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2015年02月24日

おとぎばなし

大正元年生まれの祖母は、当時中学生だった私にはとても大きくて、
昔の家の水回りを守り続けるような人でした。

けれど、セイジ、とか、シソウ、とか、ヨロン、というものには無頓着で、
毎日お茶碗を洗うように、水に流して過ごしていきました。
父が祖母に、「おかあ、おやつ!」と言えば、
祖母は「これでもくろとれ!」といって、ブーーーーツッ!と、
一発、父に浴びせては、「屁は出で良し、鳴って良し!そこらの埃も、取れて良し!」と、
笑い飛ばすよな豪傑だったと、聞きます。
日本の教科書が、「はと」、「まめ」、と書ければ、女学生と認めた時代、
祖母の口癖は「千両蔵より子は宝」、でした。

けれど、平成二十七年。
祖母が死んで幾十年が経ち、おやつ、おやつ、と、
祖母の着物の裾を引っ張っていた父すら、世の中に追いやられていき、
とうとう寝込んでしまえば、無視できなくなった、
シャカイ、とか、シソウ、とか、ヨロン、とか、セイジ、とか、、、、。

介護保険を支払っているから、とか、よりも、ガイコクジンヘルパーを雇用しても、
人数が足りない老人大国、日本の国の片隅で、私の家は病院通い。

入院しても看護婦さんが、ツレナイのは、お金を握らせてないからだと、
どこぞの高級ホステスか倶楽部に通うかのように、錯覚していく父。
いいえ、本当はそういう仕組みになっていたのかのかもしれません。
とぼけてしまった父の話ですから、何とでも誤魔化せます。私も。病院も。

人の命が地球よりも重いなどと、教えた人は伝説になりました。
その説が本当の話であったならテンノウヘイカ、が死んでも、私が死んでも、
同じくらいの人が、同じ悲しみを持ってくれますか?って、
センセイみたいな人に聞いて回りたい。
例えば、お父さんみたいなおばあちゃんに。

ソウリダイジン、とかクニが決めた、ソシキ、とか、キギョウ、とかの
シホン、は、お金じゃなかったの?シホンと、キホンって、
どこですれ違っていったのかな?


「千両蔵より子は宝」って、言っていたおばあちゃんが消えた日、父はいい放つ。
「出ていけ!金さえあればお前の世話になんかなれへんわい!」
母が追い討ちをかける。
「私かって、お金さえあれば、あんたらの世話にはならんと、一人で快適に暮らせたのに!」


いつか、おとぎばなしに、なればいいのに。
蔵の建たない家の話。
役に立たない子供の話。

投稿者 tukiyomi : 13:15 | コメント (0) | トラックバック

2012年12月05日


 パチンコ屋の換金所の前で、もう何時間もひとり遊びをしている子供がいた。
 台車の棒にぶら下がったり、独り言を喋ったり・・・。
 どうやらこの子の両親は、パチンコに夢中になっているらしい。
「おばちゃん、コレ開けて。」
 ガチャガチャの機械から取り出したプラスチックの、丸いボールの蓋を開けてと言う。

「ありがとう」
 女の子は無邪気な笑顔で、再び換金所の前に座る。
 夕日は、傾きかけていた。
 ”この子の親は、どうしているのだろう・・・。”
 そんなことを考えていたとき、それを見ていた私の母が、
「あの子は、強い子になるだろう・・・。孤独ということからは強い子になる。」
と、言った。

その時、女の子の母親らしき人が、
「もう、中で遊びなさいって言ったじゃない!」
と、女の子の手を、強く引っ張る。
 その子は母親の大きなお腹を擦っては、
「赤ちゃん、赤ちゃん。」
と、言い続けた。

どうやら、母親は、妊婦らしい。
そして、換金所で働く母の話では、毎週二回、土曜日曜、女の子は換金所の前で、遊ぶ。

   【孤独から強い子になる。】

 母の一言が、頭の中でリフレインする。
 
 果たしてそうだろうか・・・?
 今度は赤ちゃんが生まれるというのに。
 赤ちゃんが産まれたたら、母親は姉になるその子の面倒までみれるだろうか。
 幼い頃の愛情不足が、大きくなって暴走しなければよいのだけれど・・・。
 その子も寂しい。私もなんだかやるせない。また、パチンコでしか満たされないその子の両親すらも。
 
 いつからこの国は、こんな孤独な社会になったのだろう。
 夕日はもう、とっくに沈んでしまったというのに。
 こぼれたパチンコ玉を見つめながら、
少女は自分にしか分からない唄を歌っている。

投稿者 つるぎ れい : 23:20 | コメント (0) | トラックバック