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2014年01月30日

当たり前

真っ直ぐ見つめる瞳に映る
真っ直ぐな歩道を
はみ出さずに歩ける人が
この世にどれだけ居ただろう

けれど 道路の白線の中を
歩ける人が殆どで
多分 青信号で
渡ることが出来る人が殆どで

はみ出して
石をぶつけられる悔しさも
赤信号の空気が読めないと
笑い者にされる悔しさも
ガードレールの中を 行く人達は
知らない

真っ直ぐ前を向き
余所見出来ないくらいの
時間の節電

前が見えないまま
手探りで徘徊する
体験の充電

人、独り
ひとりぼっちの当たり前
そんな見え透いた
我が儘だらけの物差しは
棺桶に入る頃に 気付けば良い

分かり合えない 当たり前が
ぶつかり合いながら

私たちは 平行線のままで
嘘つくように 愛し合う


投稿者 tukiyomi : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

2014年01月04日

銀の記憶

銀の記憶


銀の鳥籠のなかに 白いインコがいます
右側に白猫のお母さん 左側に黒猫のお父さん
時々籠を揺らしては インコが怖がって
ピーピー鳴くのを不思議そうに笑ってから
赤いザラリとした舌を ペロリ、ペロリ、と
出すのです
インコは怖がって インコであることをやめました

部屋に銀の縁取の三面鏡があります
右側には過去 正面には現在 左側は
真っ黒に塗りつぶされていました
首が左側に傾いているので 未来を見るためには
どうしても右側の過去が 同じ角度で眼に映るのです
私は正面に映っている 自分の顔を見たことがありません
そこで私は鏡の中央に「入口」と書いて
そこから鏡の中に 入って行きました

鏡の中は万華鏡になっていて 全てが私の欠片
が、次の瞬間には 私の姿は嘘になる
「光輝く未来に辿り着くまで、決して裸になってはいけません!」
万華鏡の中心地に置かれていたのは
沢山の仮面と帽子 派手な衣服やマスク
それらが私に 耳打ちする
「自分で自分を欺き通せるよう、これらを纏って 猫背で歩け!」

それからどうしたかですって?
私は衣服を纏い銀のシャープペンで
相変わらず文字を ノートに走らせています
鏡に映っているのは 右側に頬杖ついている私

けれど
枕元を見てください
自分で自分を放棄したインコの羽根
あの羽根は死骸から解き放たれ
銀の鉄格子の中を飛び立とうとしてノートになり
羽根ペンになり
私の裸はこころ、と呼ばれ
自動手記で未来を 夜が明けるまで
写し取ろうと羽ばたきます

投稿者 tukiyomi : 20:57 | コメント (0) | トラックバック

共食い

共食い


共食いの夢をみた
小さな車海老が 殻だけになった海老を
バリバリと 食べていた
青いインクの揺れる 四角い水槽から
延び上がった車海老
味塩と天麩羅粉が まぶしてあった

昨日の忘年会で出てきた姿、そのままで
塩とケチャップで 塗りたくられた赤い海老
湯あげで抜け殻になって 今、胴体を無くして
脚を食いちぎられているのは
一週間前に鍋に押し込められて
浮かんで食べた白い海老

二つとも 私が食べた海老なのだけど
赤い大海老に喰われる
小さな湯だった殻だけの
白い甲殻類をバキバキと
水槽からよじ上ってまで食べていた日々を
送っていたのは この私

引き締まった身だけを むしゃむしゃ食べて
要らなくなった殻を
ハイエナに与えていたのも
この私

共食いは毎日続いて
私を彩り縁取形どり
夜になると 頭の中で消化する

忘年会
冷えきった外を甲殻のコートで武装して
共食いの街を歩む

年を忘れるどころか 年を呼び覚ます夢が
今夜も枕を黒くする

ああ、もしかしたら
あの日 茹で海老を食べ続けていたのは
私と私の子孫ではないか

そして この私すら
共食いの理念を腹に宿した
「女」ではないか

「醜女」
確かに 夢の中の海老の顔は
私に似ていた

投稿者 tukiyomi : 20:52 | コメント (0) | トラックバック