3月5日の夢(1円玉が3枚)

 オーロラのような極彩色の美しい光が空に輝く現象がある。その美しい輝きについてブログで書いている女性がある。ぼくの会社の経理担当重役のKさん(既に定年退職)も、同じテーマで書いているのを発見し、ぼくは「彼女は今まで孤独だったと思う。同じ会社に同じことに興味を持ってくれる人がいて、うれしいです」と感謝の言葉を述べる。
 妻との間で何かのやりとりがあったらしく、妻に3円、ぼくの口座に振り込んでくれるよう、求める。妻は「明日、郵便局に行って、振り込むわ」と答える。だが、考えてみると、こうして向き合って話しているのだから、今現金で貰ってもよいのではないか。そこで、ぼくは妻から1円玉を3枚受け取った。

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3月4日の夢(人間爆弾)

 ぼくらは皆、敵によって人間爆弾にされている可能性がある。誰が敵で、誰が味方かもはっきりしない。最初はぼくらの言葉を信じなかった警察も協力して、しらみつぶしの警戒網が張られている。金属ネットの前で警戒していると、何かがぼくらの背後で起きた。一斉に仲間たちが、そちらへ走り出す。だが、全員がそちらへ走ると見せかけて、半分はすぐにネットに戻る。すると案の定、ネットの向こうにいた親子連れなどが一斉にこちらに向けて走り出すところだった。やはり彼らは敵だったのだ。
 先ほど何かが起きた現場へ行ってみる。海岸でやはり人間爆弾が爆発したのだった。「長崎」という言葉に反応して爆発が起きたと、みんなが言っている。だが、事実は「若い」という言葉だったという。
 Mカメラマンがおびえながらインスタレーションの作品を制作している。彼は「若い」という言葉を自分が言ってしまうのではないかと不安なのだ。だが、そばにいる女性がキーワードは「コラボ」という言葉に替わったと語って、彼を安心させる。Mカメラマンの作品はついに完成した。スクリーンの美しい光の点描が輝いている。本当によかったと思う。
 これからぼくは奈良へ旅行に行くことになっているが、今は豪華な座敷で開かれている詩の集まりに出席している。ぼくはなぜか一度外に出て、それからまた豪華な襖のような和風の横開きの扉を開けて、中に入るとゲストの舞踏家・村田氏がもうそこにいて、練習を始めていた。と、思うと、それは村田氏ではなく、ゲイの男だった。彼は日本酒の一升紙パックをこぼしながら、ごくごくと飲んでいる。その紙パックを投げてよこすので、受け取るが、まるで雲のようにふわふわと軽い。「軽いね」と、ぼくは驚いて言い、ゲイの男に投げ返す。すると、いつのまにか座敷は市街電車になって、疾走している。「えっ、この座敷は電車になるの?」と驚きの声を上げると、ゲイの男もびっくりした様子。外を見ると、ほかにも二台の電車が走っているので、それらの運転手に「これは何行き?」と、ぼくは尋ねる。彼らは知っているのか知らないのか、「さあ、どこ行きだろ?」と言う。ぼくとゲイの男は「駅行きにしないと承知しないからな」と運転手をおどす。

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3月3日の夢(トロッコ列車)

 海辺の町へ団体旅行で行った。修学旅行のようだ。夕方トロッコ列車に全員で乗る。トロッコは二列に座るのがやっとで、両側に柵も手すりもない。とても危険な感じ。別の列車に外国人のロックギタリストがギターを抱えて乗り込み、先行して出発した。彼とその仲間のミュージシャンは広い砂場のような、何もない場所で待っていた。ぼくらも列車を降りて観客になるのかと思ったら、列車はぼくらを乗せたまま、砂の広場へ入っていく。乗ったままコンサートを鑑賞するらしい。
 トロッコ列車の線路が下に向かう。トンネルのようになった最深部で、突然ぼくの前に小学生くらいの男の子がにやけた顔をにゅーっと突きだした。どうも、それは子供の頃ぼくをいじめたいじめっ子のようだ。ぼくはその子の顔の真ん中に、スローモーションでパンチを一発お見舞いする。男の子の歯にこぶしが当たる感触がして痛い。見ると、ぼくの手が裂けて、血が流れている。男の子は不適な顔つきのまま、消えてしまった。

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2月28日の夢(乗り物の中の孤独)

 浜松へ行き、誰かのファンクラブの集いに参加する。会が終わったあと、砂場で行われた二次会には数人だけが残った。ぼくも心惹かれて、残ろうかと思ったものの、やはりそのまま帰ることにする。浜松から帰る列車のデッキに乗り込む。そこは車両と車両をつなぐ連結部だが、かなりの広さがある。すぐに客室へ入るつもりだったが、そこでうろうろしているうちに、アルバイトらしい女性乗務員たちが客室との間のドアを閉ざしてしまい、ぼくはそこに一人取り残されてしまう。
 アメリカで何かの乗り物に乗る。バスだか電車だか、あるいはほかの乗り物なのか、よく分からないが、窓際に沿って座席が横一列に並び、窓はロープーウェイのように広々している。発車したとたん、その乗り物は高々とアメリカの空に舞い上がる。座席にはアメリカ人たちが腰掛け、ぼく一人だけが立っていたが、ぼくはすぐに窓の外の素晴らしい景色に目を奪われる。広大な畑や草原があり、山岳地帯がある。そのうち、いつのまにか景色は日本の風景に変わる。ぼくは国境を越えて、帰国したらしい。

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2月27日の夢(携帯電話)

 詩人のYGさんと、これから出す彼の本のことで、まだ決まっていないことを打ち合わせたくて、アポもとらずにいきなり彼の住まいの近くまで行く。そこから電話しようと携帯を取り出すが、どうしても彼の電話番号を検索できない。いろいろ操作しているうちに、「この住所の近くの人たち」というタイトルの一覧表が画面に表示される。カラーの顔写真付きだ。すごい。こんな機能が今の携帯には備わっているのかと驚く。しかし、その顔を一人一人眺めても、彼の顔はない。また、いきなり彼の住所だけが「2-9-17」というように、画面に表示される。ここに住んでいるのか。この住所への行き方を調べようと地図をめくる。今ぼくのいる地下鉄の駅のそばのようだが、地図帳には「この近くで起きたピストルの発砲事件で、流れ弾が達した住宅」という矢印付きの精密な地図があるだけで、かんじんの「2-9-17」を表示した地図は全くない。

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2月26日の夢(汚れた銭湯)

 夜の10時ぐらいに町田の銭湯に出かける。以前に来たときはぼく以外に誰も客がなく、貸し切り状態だったので、今回もそのつもりで来たのだが、驚いたことに広い風呂場内にいくつもある浴槽には、大人か子供が必ず一人二人入っている。しかもお湯は浴槽の底の方に少しあるだけで、それも汚れていて、子供が食べ残したお菓子のかすのようなものまで底にたまっている。といって、ここまで来て、お湯に入らないというわけにはいかない。手近にあったタオルをつかむが、ふとここは銭湯なのだから、ここにあるタオルはすべて客の個人持ちのタオルではないかと、不安になる。タオルをつかんだまま、おそるおそる他の客を見回すが、全員自分のタオルを持っているから、このタオルはぼくが使っても大丈夫のようだ。そのタオルで股間を隠しながら、浴槽の一つに入る。
 さて入浴を終えて、帰ろうとする。玄関で靴をはいて帰ろうとするが、下駄箱にぼくの靴が見あたらない。そこへちょうど見回りの警察官たちが3人顔を出した。ぼくは彼らと番台のおばさんに「靴がない」と訴えるが、「自己責任」だと言って、誰も相手にしてくれない。

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2月25日の夢(世界一の貨物列車)

 デジタルカメラが壊れてしまった(現実にはデジタルカメラは持っていない)ので、新しいフィルムカメラを妻といっしょに買いに行った。
 その途中、雑誌の座談会で使う個室を借りようとホテルに行く。妻をロビーに待たせたまま、ぼくは外に出る。すると目の前に踏切があって、バスでやってきた観光客でみるみるそこがいっぱいになり、通り抜けられなくなってしまう。踏切を貨物列車が通過する。それは世界一の貨物列車で、観光客たちはそれを見物に来たのだ。観光客たちが写真を撮りやすいように、貨物列車はいったん踏切で停止する。なるほど、貨車には半円形の翼のようなものが付いていて、いかにも世界最高の貨物列車だ。ぼくも観光客たちに混じって、買ったばかりのカメラを向けるが、観光客の一人に突き飛ばされたはずみに、カメラの裏蓋が壊れて、開いてしまった。一度も使わないうちに壊れてしまうなんて、悲劇だ。
 さてホテルの広大なエントランスには新旧二つの出入り口があって、そのどちらにも個室があるというので、ぼくはホテルの初老の主人に「日曜日に使わせてください」と予約する(新旧どちらのものだったかは忘れた)。ところが実際に個室を見に行ってみると、そこは海水浴場で、個室というのは砂浜に蚊帳を吊っただけの「海の家」だった。おまけに、そんな蚊帳の個室がいくつも並んでいて、これでは隣の部屋がうるさくて、座談会には使えそうにない。
 妻を呼んで帰ろうと思う。ずーっと遠くのロビーに妻が座っているのが見える。ぼくが手を振って合図すると、彼女は気が付いたようで立ち上がって、こちらへやってくる様子。ところが、今日はお正月なのでたくさんの人が歩いていて、妻はその人波の中に隠れてしまう。そして、いつまでたっても現れない。
 (それと前後するエピソード)妻と誰か有名人のお葬式に出る。超有名人なので、お葬式は沢山の人が出席できるよう、街頭で行われる。参列者の名をマイクで紹介することになる。司会者によってその役に指名された男性は「えー、この漢字は何と読むのでしょうか」と、最初からつまずいている。どうも韓国人の名前の発音に悩んでいるらしい。その名前が呼ばれても、誰も返事をしたり、お辞儀をする者はいない。そもそも広大な街の中に、参列者はたいしていないように見える。退屈だからもう帰ろうと、妻を促す。
 (さらに、それと関連したエピソード)詩人で有名な実業家のT氏となぜか家族になった。成城の駅前で彼とばったり会い、ぼくは「今日の出版記念会は何時からでしたっけ」と、鞄をごそごそ探しながら尋ねる。T氏は「ぼくはちょっと出れないので」と言う。出られないということは、ぼくらの家に帰るのかなあ。でも、いくら家族になったとはいえ、偉い人だから、我が家には帰らずどこかで過ごすのだろうなと思う。

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2月24日の夢(首縄)

 会社の同僚達と大きな旅館かお寺のようなところで合宿している。ぼく以外は全員二階で寝ているが、ぼくだけが一人、一階でぽつんと寝ている。
 食事中、女性社員の0さんが笑いながら、8の字を描いて(むしろ無限大マークといった方がいい)みんなが囲む二つの食卓の周りをスキップしている。「今日は食卓が小さいので、楽だね」とみんなが笑う。0さんも「あはは」と笑いが止まらず、とても楽しそう。だが、食卓の周りが一カ所狭くなっていて、彼女はそこを通り抜けるのに苦労する。
 原宿に撮影に出た。なぜかぼくは道路を這って歩いている。途中、10代の金持ちのどら息子や娘たちが行列をしている店がある。彼らの一人の使用人である中年の「ばあや」が、その命令でどこかへ用足しにやらされる。彼女は和装である。
 ぼくは相変わらず道路を這っていて、そのぼくの首に縄をつけて、女性詩人のW・Mちゃんが自転車に乗ってひっぱっていく。道の途中に岩がでんとあって、ぼくはそれに引っかかってしまうが、彼女は後ろを振り向こうともしない。ぼくは自力でなんとか岩を避けて前進する。

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2月23日の夢(拉致された女性)

 山へ行き、急坂を登っていく。最後は垂直のはしごをよじ登って、向こう側へ降りようとするのだが、向こう側に人がいてじゃまだ。「この野郎」と思いながら、向こう側へ降りてみると、そこは観光バスの中。乗客達からぼくの方が白い目で見られてしまう。
 川の中に木製の杭が沢山打たれ、その杭にぼろぎれが幾つもひっかかっている。実はここは25年前にヨーロッパの観光地で、甘い言葉で宗教団体に引き込まれ、拉致された女性の“家”なのだ。ここは関西で、彼女は今は関西各地のさまざまな場所で講演をして、結構な有名人になっている。ぼく自身も彼女の講演を聴いたことがある。しかし、いまだにこんな水上の巣のような生活をしているのだ。そんなことを連れと話しながら歩いていると、ちょうどその女性とすれちがった。彼女は今は中年で結構太ってしまっている。
 突然、足の痛みを覚える。見ると、足の甲を毒虫が這っている。痛いのに、ぼくは自分でとろうとせず、連れの女性(男性かもしれない)に取ってもらおうとする。

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2月18日の夢(消えた羽田空港)

 フランスにようやく留学できることになり、出国審査の行列に並んでいるが、審査官がいなくなって、なかなか列が進まない。やっと帰ってきたと思ったら、その風采の上がらない中年の審査官は「鉛筆を貸してくれ」と言う。しかし、審査官の目の前の籐で編んだ籠には、よく削られた新品の鉛筆が沢山ある。「ここにあるじゃないか」と、その一本を手にとって渡そうとすると、「削り立ての鉛筆をおろすのはもったいない」と言う。審査官の前に使い古しの鉛筆が一本落ちていた。「ここにあるじゃないか」と、もう一度言い、ぼくはその鉛筆を拾って渡す。審査官はその鉛筆で書類をチェックして、「はいどうぞ」とぼくを通してくれる。しかし、チケットを渡してくれないので、要求してやっと貰うことができた。この男は本当に審査官なのだろうか。
 これで、本当にフランスへ旅立つことができるのだ。ぼくはフランス行きの飛行機で大空へ舞い上がる喜びを想像しながら、勇んで羽田空港への道を歩いていく。途中、舗道が仕切られて、一団の婦人警官たちが訓練を行っている。片側に細い通路があるので、そこを通ろうとすると、向こうから教官らしい婦人警官がその通路を歩いてくる。一人分の幅しかなく、すれ違うのは難しいが、ぼくは急いでいるので、無理矢理彼女の脇をすり抜ける。そこを通り抜けたところで、はっとする。行けども行けども羽田空港がないのだ。しまった。道を間違えたのか。いや、そうではない。あの羽田空港は消え失せてしまったのだ。悲しくて泣きそうになる。

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