5月16日の夢(ミニ小田急とミニ新宿駅)

 海を埋め立ててレジャーランドができた。その中をミニ小田急が走っており、駅はすべてミニ新宿駅の形をしている。Uカメラマンがもう一人の知らないカメラマンと一緒にやってきた。彼といっしょにレジャーランドの真ん中にある建物に入る。建物は四方が大きな窓になっていて、そこから360度パノラマで美しい海と山の景色が見える。外では何も風景が見えなかったのに、ここは本当はこんな景色のいいところだったのかと、びっくりする。外へ出て、三人でお互いを写真に撮り合おうとする。ところがファインダーを覗くと、お互いの間に黄色い貨車のようなものが入っていて、じゃまだ(三人の間を一人ずつ分断するように二台の貨車がある)。これでは撮影できないと思い、カメラを覗くのをやめると、知らないカメラマンの姿が消えている。
 ミニ新宿駅の一つに列車で着く。改札口から外へ出ようとすると、1メートルくらいの段差がある。みんなはさっさと降りてしまったが、ぼくだけ段差にちゅうちょしていると、下の地面にヤギのような動物がやってきて、にゃーにゃーとぼくに甘える。その動物のおかげでぼくは外へ出ることができた。すると、降りた乗客たちは、そこでいろんな動物たちとてんでに遊んでいる。それらは動物というより、形が崩れたヒルのような不気味な生き物で、納豆のようなネバネバした液体で地面と体がくつついているのもいる。みんな、そいつらに夢中になっているが、ぼくはそいつらのことはみんなに任せて、一人歩み去る。
 突然、戦争になる。空にぼろぼろになった大きな軍旗がなびいている。ぼくは戦争をゲームに変えてしまう。一人一人が洗面器かフライパンのようなものを手に持って、そのフライパンどうしで玩具の弾丸を羽根突きのように打ち合い、勝ち負けを決めるのだ。

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5月15日の夢(警察)

大きな建物にエレベーターで上がっていく。この建物は警察署で、ぼくもそこに勤務しているらしい。エレベーターから何人か警官が降りるのとすれちがうようにして乗り込む。しかし、上がっていったフロアの自分の鍵をなくしてしまい、自分の部屋に入れなくて一苦労。それからみんなとどこかへ出発することになり、建物の外で馬車みたいなものに乗ろうと待っている。しかし、誰もやってこない。不審に思って、部屋に戻ると、やはり何か事件があったようで、部屋の中でみんなが鑑識作業をしている。
投稿作品を集めて、作品集を作ることになった。だが、なぜか原稿ではなく、その原稿を書いたボールペンを沢山集めて束にする。色も大きさも太さも不揃いの、さまざまなペンが集まった。ぼくはそれらのペンの束を、なくさないようにち自分の机の下の床に白い紙を敷いて、その上に置く。そうしているうちに、それは「隠した」というふうに夢の中で位置づけが変わり、一つ隠したのなら、必ず何かほかのものもこうしてどこかへ隠されたはずだと思う。

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5月14日の夢(二つの菓子折)

 取材先を2軒訪ねるので、菓子折を二つ用意して持っていく。うっかりして、最初の取材先で二つとも重ねて出してしまい、慌てて下の方を引っ込める。下の菓子折は上等なカステラだ。いつのまにかその菓子折の紐を解いてしまったらしく、これでは蓋が開いてしまう。何か紐のかわりになるものを探す。そこはいつのまにか駅のロビーのようながらんとした空間になっていて、はるか向こうの壁際に、誰かが捨てたズボンのベルトが、隠すように捨ててある。まさかあれを紐のかわりにするのはまずいと思う。
 そこは駅の待合室なのか、ぼくはベンチに腰掛けている。そこへまだオムツがとれないような女の子を抱いた男がやってきて、ぼくの会社が従業員が増えた分、作業場が過密になり、ミスが出て、迷惑を受けたという。そのことについて、会社側の責任を証言するよう、ぼくに迫る。ぼくは会社側につくべきか、男の側につくべきかと迷う。

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5月7日の夢(校長の定年)

 ぼくは学校の校長先生で、今日はその定年の日だ。考えてみると、ぼくは生徒という客車を引っ張る蒸気機関車として、これまで頑張ってきたのだ。そんなぼくの最後の一日を取材しようとして、テレビの取材クルーがやってきた。彼らに機関車としての校長について話そうと思って歩き出すと、本当にレールの上を蒸気機関車がやってきて、手前の広場で停車した。ぼくの生徒たちがてんでに列車の下に潜り込んで、車輪の格好をしてみせている。

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5月2日の夢(裸になれない)

 学校の何かの合宿に来ている。みんなで一斉に入浴することになる。ところが手前にあるコインロッカーは小さすぎて、財布しか入れられない。脱いだものを置くところがない。ぼくは脱いだ服をフライパンの上に置くが、ガードマンのおじさんがやってきて、それを見て「ちっ」と舌を鳴らすので、慌ててどかす。若い女性の横顔だけが見える何かの窓口がある。彼女がこちらを見ていないので、その窓口の前にも脱ぎ散らかす。しかし、気がつくと、脱いだのは下半身ばかりで、上半身はセーターを着て、リュックを背負い、おまけに帽子までかぶっている。焦る。そのうえ、前を隠すタオルを忘れた。テーブルの上にぼろぼろの穴のあいたタオルが乱雑に置かれている。どうやら、あれを借りてもいいらしい。しかし、みんながとっくにお風呂に入っているのに、ぼく一人なかなか裸になれない。

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4月29日の夢(人工海岸)

 ある友人(実在しない中年の男性でした)のところへ、原稿の執筆を頼みに行った。原稿を受け取り、帰るためにぼくは新幹線に乗る。友人もいっしょに来て、さらに執筆意欲を示すので、新幹線が止まる各駅ごとに一つのテーマで、毎回連載してもらったらいいと思う。新幹線の中でぼくは窓際の席に座っていたのだが、その話を友人と立ち話して席に帰ろうとすると、その席は可動席だったらしく、片づけられてしまい、席がなくなっている。このまま立っていくのは辛いので、真ん中の方に席を探す。新幹線の車両はまるで動く体育館のように幅が広い。こんな大きな車体が狭いレールの上に乗っているなんて、信じられないなあと思う。一応、真ん中の方に空いている席が見つかった。
 エレベーターに乗る。数人の知らない女性が乗り合わせる。床に黄色い尿が流れている。汚いなあ。足で踏まないようにしようと思う。ほかの階で乗ってきた人がいるので、奥の方に移動すると、尿はぼくの靴の裏から流れ出ていることが分かる。どこかで、知らないうちにおしっこの痕を踏んでしまったのだろう。
 家のそばをちょっと南の方に歩くと、そこに海岸ができていた。そういえば都市改良で、都心にまで海岸線を引き込む工事が進んでいたのだ。喜んで海岸線に近づくと、まだ出来たばかりの海岸は人工の砂利が固まっておらず、ずぶずぶと体が沈んで、身動きがとれなくなる。やばい。そういえば、そんな注意の立て札があったのに、見落としていたのだ。このまま潮が満ちてきたら、水死してしまうと焦る。必死で脱出しようと焦るがうまくいかないので、念力で海岸線にコンクリートの細い通路と、内陸へ通じるトンネルの入り口を作り、そこを通って脱出した。

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4月28日の夢(宇宙人の侵略)

 ぼくは父親と街の賑やかな交差点にいて、信号の変わるのを待っている。ビルの上の西の青空に飛行機雲が見える。それが妙にひんぱんに飛び交い、なんだか様子がおかしい。「あれはなんとか流星群のせいだ」と父が言う。父はなんでも知っているんだなあと感心して、さらに見ている。と、西の地平線からいろとりどりの色彩のパッチワークみたいな、色彩の氾濫が空に沸き上がった。空全体が極彩色の抽象絵画のようなものにおおわれてしまう。これは宇宙人が侵略してきたのだとわかる。
 家に帰ると、横長の不揃いの紙を乱雑に製本した分厚い冊子が届いている。一家に一冊、宇宙人が急いで配ったPR誌らしい。高度な宇宙人のはずなのに、こんなものしか作れないのかと思う。
 父の部屋に入る。とても立派な部屋で、大型テレビが左の出入り口付近と部屋の中央にある。そのほか第三の小型テレビもどこかにある。二つの大型テレビは宇宙人が入り込んだ火山の火口の様子を映している。ぼくは真ん中のテレビの前に、父用と思われる大型の一人がけソファを置いて、そこに座ってテレビを見つめる。正面に座ったつもりなのに、ソファは少し右にかたより、しかも上の方から見下ろす形になるので、画面を正面から見つめられないことに苛立ち、ソファの位置を調節する。なんとか正面から見られるようになったが、上から見下ろすのだけは修正することができない。
 そのうち、宇宙人の侵略は現実ではなく、「宇宙戦争」の映画を観ているのだと分かる。なぜか真ん中のテレビは左のテレビより数秒画面が先に進んでいる。この映画は、中国古代の「胡」という民族は実は宇宙人だったという仮説に立ち、胡による中国侵略を宇宙人侵略としてSFに仕立てた映画である。父は「胡は魚偏ではないか?」と、ぼくに尋ねる。ぼくはテレビ画面をルーペで見て、「いや、魚偏ではない」と答える。すると、父は右手奥にあった、今まで気づかなかった部屋のドアを開け、ぼくを一人残して別室に去って行く。

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4月27日の夢(寅さん)

 柴又の寅さんといっしょに、子供たちといっしょに博物館に行く。ぼく自身も子供かもしれない。入口で一人の女の子が「こういう博物館には、いろいろなものがごちゃごちゃに展示してあるところが必ずあるでしょ? あれはどうしてなの?」と、寅さんに質問する。すると、寅さんは壁いっぱいに展示してあるパネルに、野菜やらバケツやら野球のグローブなど、いろんなものの絵を次々と、多分磁石でくっつけていきながら、「それはな。・・・」と説明する。ぼくにはそれは全然説明になっていないと思われるが、女の子は「ありがとうございました」と納得し、ぼくだけが取り残されてしまう。
 みんな帰ることにする。小田急線と、もう一つ別の線で帰る組と、二手に分かれる。ぼくはポケットの中の切符を確かめる。切符は丸いあめ玉で、最初は二つあったと思ったのに、今は左ポケットに一つしかない。しかも、ねばねばしてポケットの中でべたべたくっつく。いつ、それを渡せばいいのかと迷っているうちに、二つの電車がやってきた。どっちがどっちの線だかわからないが、みんな遊園地にある乙女チックな馬車のような感じ。みんなどっと乗り込むと満員になってしまい、ぼくだけが取り残される。孤独感をかみしめるが、ふと気がつくと、ぼくの周囲に誰も気づいていない座席が2列あった。ぼくはそこにほっとして、ゆったりと腰をかける。車両は出発した。前の席にいた女の子の一人だけが気づいて、後ろを振り返り、抱えていた人形をぼくの方に差し出す。ぼくはそれを受け取って、自分の席の隣に置く。

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4月21日の夢(眼鏡屋)

高崎へ会社の仕事で出張しようとしている。すると、社長が「それなら、ここも寄ってきて」と言ったのは、最近出来た大手のメガネ屋だ。店舗プランニングの仕事の参考にしたいらしい。おやすいご用だ、と「いいですよ」と二つ返事をする。すると、かさにかかって「横浜のメガネ屋にも寄ってきて」と言う。「それは無理ですよ」と抗議するが、社長は退かない。

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4月20日の夢(精神科医)

社長といっしょに精神科のクリニックに仕事で行く。ここは「何かあってかかりつけのクリニックより上級の診断が求められるときのための専門クリニック」だ。社長が「こんなに流行っているクリニックは珍しいね」と言う。受付で支払いを待つ間、社長は携帯でどこかに電話をかけている。ぼくがふっと右を見ると、そこには広い投薬窓口のカウンターと、ゆったりと長いソファーがあるが、誰も患者はいない。ぼくはそのソファーの端にちょこんと腰掛けて、待つことにする。
詩人で精神科医のS先生の新しい著書をぼくの編集で出すことになった。既にその本は原稿が揃い、レイアウトした校正も出来上がっている。ぼくは上司の編集者といっしょに、それをS先生に届けに行く。そこにはS先生の先輩学者による「まえがき」と、S先生自身によるその本のテーマについての短い解説コラムはあるが、「著者あとがき」がない。なくてもいいのだろうか? と疑問に思う。ぼくはこの本をこれからのんびり作ればいいやと思っているのだが、上司の編集者はS先生に「ぼくらは徹夜して一生懸命やればすむことだけれど、問題はそちらの方ですね。今、表紙のデザインのために、先生の顔写真が要るとか言って、みんな大騒ぎしてますよ。問題は昼間の時間だな」と言う。S先生は「じゃあ、明日の朝までにやっちゃおうか」と軽く言う。のんびりしていたぼくは、そんな短期決戦なのかと、びっくりする。

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