1月7日の夢(相部屋ホテル)

 今日は東フィルのニューイヤーコンサートで中村紘子先生がチャイコの一番を弾くというので、サントリーホールに取材に行ってきました。後半ではドボルザークの「新世界より」もやるという人気プロのため、席は完売。補助椅子で聴いたのですが、これは聴き応えがありましたねー。紘子先生には昨年、ぼくの夢にも出演していただいたのですが、その紘子先生と楽屋で二人きりでお話しをちゃうという、まさに夢のような取材でした。
(夢ここから)
 明日の朝9時から都内で取材があるので、相棒と共に急遽都内のホテルに泊まり込むことになる。相棒というのは、豊かな顎髭を生やした外国人の男である。ホテルのバーで二人で飲んでいると、テレビでニュースをやっている。強盗に襲われて無一文になった男の話だ。「あっ、あれはうちの社長だ。また、無一文になっちゃったのかー」と、ぼくはみんなに言う。それから、ぼくは相棒に言葉をかけることなく、荷物をまとめてバーを出ようとする。そんな二人の様子にホテルのバーマンは当惑しながらも、丁寧な物腰でぼくに「足下に荷物をお忘れですよ」と注意をしてくれる。
 予約した部屋を探す。エレベーターに乗り込もうとすると、ぼくの鼻先でドアが閉まってしまう。最後にドアの隙間からぼくを鋭く見ていた誰かの眼差しが妙に気になる。結局エレベーターには乗らず、歩いて部屋に向かう。部屋に入って、気がついた。このホテルは妙に値段が安いと思ったら、5人による相部屋なのだ。既に4つのベッドは男達でふさがっており、一番奥にある一番大型だが円形をした赤いベッドだけが空いている。同室の男達は「このお部屋がお気に召すかな?」と嘲笑的に言う。「なんでですか?」と、ぼくは平静を装う。男達はみんなタバコをもくもく吸っており、心臓の良くないぼくは煙が気になる。「ぼくは夜中に歯ぎしりをするんですよ」と、ぼくが言うと、男達は「この中の二人はいびきがすごいんだ」と応じる。こんな地獄のような場所で果たして眠れるだろうかと、ぼくはとても不安になる。
 そういえば、今日ホテルに泊まることを妻にまだ知らせてなかったと気がつき、男達が全員いなくなった時間を見計らって携帯をかけるが、自宅と電話がつながったときにはまたみんな戻ってきていて、周囲がうるさい。自宅にはぼくら夫婦のほかに、もう一人の女性が娘といっしょに住んでいる。たまたま電話に出たのはその女性で、ぼくを娘と間違え、「あら、マーガレット(娘の名前)?」と言う。女の子と間違えるやつがあるかと、ぼくはぶすっとなって「違います」と答える。彼女は慌てて妻に電話を替わる。ぼくは妻に宿泊の事情を話すが、妻は「約束が違うじゃない!」と言って、怒り出す。ぼくは「だって、しょうがないじゃん」と言うが、夢の設定のあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れて、目を覚ましてしまう。
(それから再び眠って見た夢)
 ホテルの一階に銃砲店がある。そこへ何度も入ろうとして、思い直す。

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1月6日の夢(水のない水槽に絵を描く)

 年末に奄美へ行ったことが、今頃夢にあらわれたのか、島へ行く設定になっていますが、特に島らしい場面はありませんでした。M氏は以前会社の同僚として20年以上コンビを組んでいたにもかかわらず、ものすごくウマの合わなかった男性。彼は何年も前にリストラされてしまい、もう会うこともないのですが。
(夢ここから)
 島へ行った。島でぼくが最初にしたのは、持っていた毛皮のコートを壁にかけること。それから水の入っていないガラス製の四角い水槽に、絵筆を持って向き合った。ぼくには手本とする一枚の絵があり、それは油絵なので平面の作品だが、その絵を四つの透明な面を持つ水槽に描かなければならないのだ。ぼくはまず手前側の面の一番下に、地面のようなものを描く。きれいな単色の絵の具を塗ったのだが、そこにはもともとさまざまな絵の具が既に塗られていたため、混じり合って部分ごとに微妙に色が変わり、不思議な模様になった。
 次にその上の全面に水色を塗ろうと思ったが、正面のガラスではなく、残り三方のガラスに水色を塗れば、正面から見るとすべて水色に見えることに気がついた。そこで、場所を移動し、左の面の外側に色を塗ろうとする。
 ところが、そこには木のデスクと椅子がごちゃごちゃとあって、会社のような雰囲気で、犬のような顔をしたサラリーマン風の男とM氏とが座っている。特にM氏は邪魔だが、なんとか左に回り込んで、水色の絵の具を塗り始める。
 そのとき、ふと目を上げると、犬のような顔の男の向こうの床に、ぼくが最初にかけておいた毛皮が落ちているのに気がつくが、それは気にしないことにして、作業を続ける。

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12月29日に沖永良部で見た夢

 12月29日に沖永良部島で見た夢。でも、なぜか狛江の夢。登場するダブルのタカコさんは、以前J-WAVEでDJをしていました。なぜ「ダブル」なのに一人でやっているのだろう?と疑問を持ったのが、この夢につながっているようです。(実は今も疑問)
 なお、初夢に楠田枝里子さんが登場したのは、奄美で偶然つけたNHK教育テレビに詩人の正津勉氏が出てきたためです(なんのこっちゃ!)。楠田さんには若い頃、編集者として童話を書いていただいたことがありました。
(夢ここから)
 会社を出て、狛江近くのバス停でバスから降りる。そこで誰かが「京王線の特急が止まる駅で、狛江に一番近い駅はどこか?」と尋ねる。「それは枚(ひら)…」と答えようとして、下の一字をど忘れしてしまう(現実にはそんな駅はない。狛江は小田急線しか通っていないが、その質問の答として当てはまる京王線の駅は調布)。隣にかつて同僚だったM氏がいて、いっしょに考えてくれている。そこにバスが着いて、双子のデュオシンガー「ダブル」のタカコさん(ただし、夢の中では「タカコ」という名前をど忘れしている)の弟だという少年が降りてきた。タカコさんも弟もそういう駅名についての雑学に詳しいと有名(弟さんは実在しないし、もちろんすべて夢のでたらめ)だが、尋ねてみると、そんな駅名は知らないと言う。タカコさん自身もやってきたので尋ねてみるが、彼女も知らないと言う。
 バスが来たので、M氏と共に乗る。ぼくは乗客達に「この中で今パソコンを持っている人は?」と尋ねる。4人ほどの若い男性が手を挙げた。さらに「今、検索できる人は?」と尋ねると、3人くらいが手を挙げた。「では、狛江の近くの京王線の駅で、特急が停まる駅を検索してください」と言う。男達の一人から「なぜそんなことを知りたいのか」と質問が出る。ぼくは「ある有名な女性歌手が知りたがっているからだよ」と、タカコさんの有名さを暗示する口調で言うが、実は彼女の名前をど忘れしているから、名前を言えないのだ。それに、彼女が知りたがっているというのは、口から出任せだ。それで、みんな検索を始めるが、時間が経っても誰も検索に成功しない。そのうち、バスは停留所に止まり、運転手が後ろを振り向いて、「皆さんは特急の停まる京王線の駅を探していらっしゃるが、ここがその駅、枚方(ひらかた。実際にはこの地名は関西にあり、京王線には存在しない)です」と言う。なーんだ。一挙に問題解決となる。
 ぼくはM氏と別れ、タクシーを拾って家に帰ろうと思うが、もう夜の8時過ぎで、しかもここは裏道なので、タクシーも通りかからない。以前にも、夢でここにやってきたなあ。そのときは父親といっしょで、タクシーを探しに父親が駅の方へ一人で歩いていってしまったのだったなあと、思い返す(以前そういう夢を見たことが現実にあった)。そのとき父親が消えていった駅の方向とおぼしきあたりへ、ぼくも歩き出す。
 途中、路傍にホームレスの男が座り込んでいて、子犬と向き合っている。子犬がぼくの進路をふさいでいるため、よけようとするがぶつかりそうになる。通り過ぎた後、ホームレスが子犬に「○○へ行け」と命令するのが聞こえる。子犬は日本語で「なぜ、そんなところへ行けというのだ?」と口答えする。ぼくは子犬が日本語を話すのは不思議とは思わないのに、なぜ犬に日本語がわかるのだろうということを疑問に思う。

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初夢

 年末は奄美諸島を巡って過ごし、元日の夜に帰還しました。でも、向こうで不整脈が出ちゃって、ちょっと体調が万全ではありません。
(夢ここから)
 今日は全国的にケーキを食べる日だ。だが、つましく暮らしている我が家ではちゃんとしたケーキを食べるなんて、とても無理だ。ケーキをあきらめている顔の妻に、ぼくは「ケーキはあるよ」と伝える。妻は驚いて、顔を輝かせる。もっとも、そのケーキはまだデパートの売り場にあって、まだ買っていない。それに、ケーキといってもただのスポンジケーキに過ぎないのだ。
 ぼくはデパートのある売り場に一種類だけ売っているケーキか、その一階下のフロアに何種類か売っているケーキのどちらかを買うつもりで、妻に「どちらがいい?」と尋ねる。妻は早速見に行くが、戻ってきて、「ねえ。どうしてもどれを買えばいいのか決められないの」と言う。
 どうも話の具合から、彼女は別のものと勘違いしている様子なので、改めて売り場に行ってみる。すると、最初の売り場に一つだけあったケーキは既に売れてしまったのか、影も形もない。一階下の売り場に行くと、楠田枝里子さんが店員をしていて、3種類くらいのスポンジケーキがあった。そのうち、ケーキの上に赤いジャムの帯が載ったものを指して、妻は「これだといいな」と言う。それはまさに、ぼくの買うつもりのものだった。
 久しぶりに詩のジャーナリストとしての仕事をすることになり、明日から始まるある展覧会の会場に取材に行く、同業の郷原さんと会場でいっしょになる。二人が取材に来るのを全く予想していなかった主催者たちは大喜びだ。小柳さんが郷原さんと挨拶している間に、ぼくは大西さんに「ごぶさたしています」と挨拶するが、なんとなく彼はぎこちない様子をする。とりあえずみんなに並んでもらい、写真を撮影する。
 会社で何かの仕事をするために、二つの別々の場所にあるデスクを与えられるが、それらは本来は別の人のデスクをぼくがその仕事をするために借りる形になった。そのうち、一つのデスクの左隣は《ぬえ》さんのデスクだ。ぼくは3本の蛇柄のマフラーを持っていて、それを彼がいない間に左のデスクの上に置く。それはまるで本物の蛇のように不気味だ。やがて《ぬえ》さんが戻ってきて、じろりとぼくを一瞥し、無言のままそれを退かした。ぼくは「これを片づけなきゃいけないと思っていたんだ」と言い訳をして、それを自分の机の上に戻すが、《ぬえ》さんは無言のままだ。

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12月27日の夢(道に迷う)

出発前に執念で最後の夢を書きます。
(夢ここから)
 「詩と__」のM編集長が著者に貸すのだといって、古い小型のカメラを持ってきた。ドイツ製だろうか。ファインダーを覗き、焦点を合わせるボタンを押す。ジーッといい音がして、ズームになる。とってもいい感じ。
 まだ行ったことのない詩書出版社S社へ行こうとしている。アポなしだが、「一色です」と言えば、なんとかなるだろうと思っている。場所は御茶ノ水のはずだが、正確な場所は知らない。でも、これまたなんとかなるだろうと思っている。ホームでどの出口から出るべきか、まごまごする。改札を出たが、道がわからない。道しるべになる地図もどこにも掲示してない。「ここは南口」という声が聞こえる。ぼくは北口へ行くはずだったので、方向を180度間違えていたことに気づく。こっちの方角かなと思うが、そこは道はすぐ行き止まりで、水を満々とたたえた水路が一直線に遠くまで続いている。途方に暮れる。

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12月26日の夢(待機)

明日から年末旅行に出発してしまうので、これが今年最後の夢です。皆さん、よいお年を!
(夢ここから)
 ホテルのロビーのような場所で、座談会か対談の司会をすることになっていて、ひとり待機している。左方にドアのない出入り口があり、そこを左へ曲がった隣の部屋が座談会の会場だ。メンバーのひとりは既にそこで待機している気配だ。もうひとりのメンバーの男が間違えてこっちへ来て、ぼくのすぐ前でコートを脱ぎだした。挨拶した方がいいのかなと一瞬思うが、ぼくはまだ休憩中だし、ここは会場ではないので、気がつかないふりをすることにする。そのうち、彼も隣の部屋へ行ってしまい、ぼくは再び一人になった。

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12月25日の夢(背中の痒みで世界を感じる)

定年過ぎたというのに、土曜日は深夜残業でイブの日に朝帰りでした。全くいい年をして、何やってんだか。さて、今朝の夢です。背中が痒かったので、こんな夢を見ました。
(夢ここから)
 何かの会である女性を紹介するスピーチをすることになっている。「彼女は背中の痒みで、世界を感受している」と言いたいのだが、そんなことをいえば「ふん。田舎者」と笑われてしまうかもしれない。それより、ぼくの部屋に彼女がエッセーを書いた「文芸春秋」があったはずだ。あれからネタを拾おうと思いつく。本棚の一番上に、何冊も「文芸春秋」が山積みされている。一番上の号をとると、それは芥川賞の発表号だった。その下に、彼女のエッセーの掲載された号があった。
 自宅のマンション前の道路を歩いている。からりと晴れたいい陽気だ。道路を何人か、上半身裸の若い男達が歩いていく。ホームレスだろうか。それにしては、みんな労働した後の雰囲気を漂わせている。ふと見ると、川向こうの空き地がいつになくきれいに整理整頓されている。空き地の周囲は野球場のバックネットのようなもので区切られていて、そのネットに2,3人の男がよじ登っているが、彼らはこの清掃作業を指揮した男達らしい。マンション前にも、彼らの作業用資材を運んできたらしいワゴン車が、後ろのハッチを開けて待機している。あの空き地を彼らが毎月一回、定期的に清掃しているのだと理解できた。

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二日分の夢

 二日間続けて夜のコンサートへ行きました。コンサートを聴くだけと言っても、それも仕事だったりするのでちょっとぐったり。今日も土曜日ですが、これから出勤して、深夜まで仕事です。定年過ぎたのにい?!
(12月22日の夢)
 観光バスに乗って、これから社員旅行に出かけるところ。社屋の一部は部屋の中が何もなくなるほど破壊されている。女性社員の中に定期的に精神に異常をきたす人がいて、定期的に室内を破壊するのだが、辞めさせるわけにもいかないのだ。
 「バスは環城壁のところに停めてあるからね」と誰かに言われる。「環城壁」ってどこのことか、ぼくには分からないが、みんなは知っているらしい。とりあえずこっちだろうと思う方向に歩いていってみるが、行けども行けどもバスはいないし、社員達の姿もない。
 もう随分遠くへ来てしまい、時間も経ってしまったから、みんなは出発してしまったろうと思うが、まだあきらめきれずにその辺の建物をうろうろ探し回ったり、少し元に戻ったりしている。
(12月23日の夢)
 詩人のMくんとKさんらがぼくを呼び出して、池袋のホテルの部屋にベッドを並べて、みんなでごろごろしている。大画面でゲームをしたり、テレビを見たり楽しくしていたのだが、どうしてここが分かったのか、ぼくの父親が面会にやってきて、そのまま部屋の中に居ついてしまった。追い出すわけにもいかず、みんな居心地が悪い思いでいる。おまけに父親はみんなの演説が下手だというようなことを言い出し、ぼくを困惑させる。
 部屋には窓が二つあり、こちら側の窓から見える風景はごく当たり前の都会の風景だが、反対側の窓を覗くと、そこはイラクあたりの中東の都市である。しかも、真下のロータリーの真ん中で超大型のクレーン車が横転して、自転車が下敷きになっている。クレーンの台座あたりに見える赤黒いものは血かもしれない。クレーン車には沢山の箱が積まれていて、そこから赤茶色の顔料のようなものが一面に流れ出している。いつのまにか社長がそこにいて、「それは天馬の色だと言われているが、本当にそうだろうか」と偉そうに演説する。

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12月19日の夢(犬山行き)

 撮影したフィルムの現像に犬山まで行かなければならない。朝、電車に乗って、木曽川の鉄橋を渡り、犬山駅に着いた。降りると、駅員が「Oさん(ぼくの会社の同僚で、カメラマン夫人)が待っているよ」と声をかけてくれた。さらに進むと、沢山の他社のスタッフがいて、みんなフィルムの到着を待っている。その人波をかきわけて、Oさんの姿を探すが、彼女の姿はない。ぼくのそんな様子を見て、他社のスタッフたちが奥の方に声をかけてくれる。その声に気がついて、ずっと離れたところで話し込んでいた彼女が現れ、無事にフィルムを引き渡すことができた。(夢ここまで)
 夢ではぼくは東京ではなく、名古屋にいました。子どもの頃、いつも父親に連れられて、犬山に遊びに行っていた思い出が重なっているようです。

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12月18日の夢(坂本龍一のオペラ)

 今日は自動人形師のムットーニ氏の国立のアトリエに行き、インタビューをしました。夢はまた坂本龍一氏関連です。顔のある現代彫刻は以前に見た、中村紘子先生の夢に出てきた坂本氏の顔つき弾丸とピアノ線のオブジェにそっくりでした。
(夢ここから)
 坂本龍一氏らが東京で大がかりなオペラを上演するというので、大金をはたいて一人で見に行く。入り口で三列に並ばせられる。ぼくは真ん中の列の先頭に並ぶ。でも、この列は「フェメール」だと係りの男に言われる。ぼくは男性だが、いいのだろうか。入り口で靴を脱ぎ、かわりに下駄の形をした小さなオブジェを渡される。そしてその小さな下駄に、自分の名前を糊で貼り付ける。本名を書いてよいものかどうか迷うが、結局「まこと」と書く。そして、それを床に置くのだが、置くスペースを探すのが大変だ。
 まごまごしているうちに出遅れた。指定された右の方向へ一目散に走る。だが、会場はどこにあるのだろう? 暗くて静かな博物館のようなところに迷い込む。金属でできた現代彫刻のようなものが、いくつも暗い中に並んでいる。ぼくのほかに中年の男が一人、それを見ている。彫刻には顔があるので、もしかして生きているのかと叩いてみるが、やはりそれは彫刻だった。
 博物館を出て、さらにオペラの会場を探す。電車の線路を渡る。少し賑やかになって、道ばたに子どもたちが座っている沢山のベンチがある。ここもオペラの観客席なのだろうか。上方には大きなモニター画面があって、そこでは子どもたちが「今日のオペラのチケットを盗まれた」と悲しい歌をうたっている。
 

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