1月22日の夢(徳島取材)

 ロシアの新進ピアニスト、コブリンが徳島でコンサートをするという。ついでに買い物をしたり、映画を観たりするので、そうした日常を取材に来ないかと、楽器店の人から誘われる。「安く泊まれるところも紹介するよ」と言うから、現地のお店にいる人なのだろう。誘いにのって、一泊で行くことにする。
 ところが、後になって、コブリンの徳島滞在は二日間だということが分かる。といって、二日とも取材をすることはないだろう。後半の一日だけ取材することにし、相手に日程の変更を電話しようとするが、携帯がなかなか通じない。そうこうするうちに、向こうから電話がかかり、目の前に本人が現れた。現地の人ではなく、東京にいる人だった。彼は「一日目の方がメインだったのに」と言う。今さら言われてもしょうがない。彼は若手の後輩社員を連れていて、その男に「おまえもいっしょに行ったらどうだ?」と声をかける。そして、お店に入っていき、「ここで切符を売ってくれる」と言う。一瞬、ぼくが三人分お金を払って、切符を買うべきかなと思うが、ここは男に買ってもらうことにする。
 二台のピアノの置かれた練習室で若い女性ピアニストとリハーサルをする。一曲はなんとか弾いたものの、本当はぼくは楽譜も読めないし、ピアノもまともには弾けないのだ。ぼくを信じて待っている女性ピアニストに、「楽譜を忘れてきた」と苦しい言い訳をする。

カテゴリー: | 1月22日の夢(徳島取材) はコメントを受け付けていません

1月21日の夢(恐怖の食卓)

 妻とまだ小さな息子(現在はもう30代半ば)と三人で夕食をとる。いつも仕事が忙しくて帰りが遅いので、ぼくが早く帰宅して三人で食卓を囲むのは久しぶりだ。息子が食卓のどこにそれぞれが座るかを決める。ぼくの真向かいが息子で、その隣が妻だ。
 途中で来客があり、妻がどこかへ行ってしまった。とたんに部屋は薄暗くなり、不気味な雰囲気になる。ぼくがかじっているのは、黒い竹で編んだ笊のようなもので、よく見るとその笊には竹そっくりの黒い真田紐のような虫が何匹かとりついて、鎌首をもたげている。妻に助けを求めるが、妻は戻ってこない。「助けてーっ!」 ぼくの声はどんどん高くなり、悲鳴に変わる。食卓には息子の姿もなく、変わって見知らぬ男が座っている。
 「詩と思想」誌の昔の経営者F氏と、同誌の仲間が作った映画を見ている。ぼくは会場を出たり入ったりして、その全部を見ているわけではないが、映画にはとても象徴的な映像が多く、思った以上に面白くて引き込まれる。特に交差点で、ゴジラの縫いぐるみがもだえて転げ回るシーンは秀逸だ。映画は殆どその交差点に面したお店の中が舞台だったのだが、映画の終わりでは、その交差点の俯瞰のシーンから、そのお店だけが夢のようにふわーっと消滅してしまう。これは意外な終わり方だ。この物語は実は現実ではなかったという暗示だろうか。

カテゴリー: | 1件のコメント

1月20日の夢(自宅映画会)

 新潟へ取材に行ってきました。上越新幹線から見えるスキー場に、スキーヤーの姿は見あたりません。新潟は雪が全くなくて、ポカポカ陽気だったので拍子抜け。長靴はいていったのに。
(夢ここから)
 家の中に広い部屋があって、そこで映画会が行われる。大画面の薄型テレビのようなものが床の右側に置いてあるが、左側から画面に映写機の光線が当たっているので、テレビではなく光学的に映写されているのだと分かる。そこにぼく自身の映像が映写されるはずなのだが、それはぼく自身が撮影したものだ。というのは、ぼくは自分を他人に映されるのがいやだからだ。ぼくはこれから始まる映写に向けて、とても張り切っている。

カテゴリー: | 1月20日の夢(自宅映画会) はコメントを受け付けていません

二日分の夢

 書かなければならない仕事の原稿がたまってしまって、今日は自宅に缶詰になっていました。
(1月16日の夢)
 詩人の吉増剛造さんが週刊誌に重大な記事を書いたらしいという。印刷所から送られてきたばかりの、まだ製本前の雑誌を、ぼくと妻ともう一人の男と三人でぱらぱら見る。大きな記事だとばかり思っていたぼくは、見出しをひとわたり見て、「そんな記事はない」と言うが、実は小さな記事なのだと聞き、もう一度探し始める。
(17日の夢)
 長方形の大きな教室のような場所に、沢山の椅子が整然と並び、すべての椅子に人が座っている。ぼくはその真ん真ん中の席に、女性と二人並んで座っている。座っているのはそこなのだが、ぼくら二人のやっている港の管理会社の受付机は、この長方形の部屋の短辺の両端にある出入り口に置かれているので、仕事のたびにそこへ出向かなければならない。おまけに、女性と反対側の席に、スキー板か琴のようなものが倒れてきて、そちら側には出ていけなくなってしまった。

カテゴリー: | 2件のコメント

1月15日の夢(御岳山のお客)

 社長に御岳山の山頂に本を届けるよう、命じられる。午前中に会社を出発し、これなら夕方までに悠々帰れるなと思ったのだが、駅近くまで来てから、肝心の本を忘れてきたことに気づいて、会社に戻る。本を手にして、改めて出発しようとするが、この本を届けても、御岳山山頂のお客から貰えるのは郵送料分の150円だけだと言われる。拍子抜けするが、それでも150円分の領収書を持っていかなければならないだろう。会社中の引き出しという引き出しを開けてみるが、領収書がない。同僚の女性社員があり場所を知っているかもしれないと思い、彼女を探す。ようやく、奥の部屋で割烹着を着てアイロンをかけている女性社員を見つけ、尋ねると、手の離せない彼女は言葉だけで、領収書の入っている引き出しのありかを指示する。その言葉に従って、このあたりかなと思う場所の引き出しを探すが、やっぱり見つからない。もう午後3時近い。この分では御岳山から帰れるのは、深夜になるなと思う。(夢ここまで)
 御岳山は「おんたけさん」です。名古屋にいた子どもの頃、よく名前を聞きましたが、どこにあるどんな山なのか分かりません。

カテゴリー: | 1月15日の夢(御岳山のお客) はコメントを受け付けていません

1月14日の四つの断片夢

 ツアーの旅行に一人で出かけ、東京へ帰る列車に乗っている。どこかで乗り換えなければならないのだが、どこで乗り換えればよいのか分からない。座席は船の二等船室のような感じで、床にみんな座っている。たまたま隣に座っていた同じツアーメンバーの女性に乗換駅を尋ねて、教えてもらい、それがきっかけで仲良くなる。それから間仕切りをまたいで、隣の区画に行き、そこにいた男性とも仲良くなる。
 東京に着いて、ぼくはさっきの女性の家に行く。彼女と夫とがちょうど帰宅したところを、門の外から「お帰り!」と声をかける。ぼくは彼女は自分と同じ旅行から帰ってきたところだとばかり思っていたのだが、彼女は「あれからダンナと別の旅行に行って、今帰ってきたところなの」と言う。ぼくはとまどいを感じて、そこを離れる。
 パスネットのカードを沢山貰い、無造作にポケットに突っ込む。そのまま駅に行き、改札を通ろうとするが、それらのカードに自分の定期券が紛れてしまい、見つからない。通行する人々が見ているところで、みっともないと思いながら、ぼくはポケットの中からカードを全部出し、床に分類しながら積み重ねて、定期券を探すが、見つからない。
 布団の中に男の死体がある。ぼくが殺したのかどうかは分からない。死体の男から荷物を奪って、こっそり玄関から逃げようとする。玄関は暗いので、沢山置いてある中で、どれが自分の靴か分からない。とにかく男物の靴を探して逃げようとするが、足先に触るのは先端がとがった女物の靴ばかりで、なかなか逃げることができない。

カテゴリー: | 1月14日の四つの断片夢 はコメントを受け付けていません

1月13日の夢(ヘッブバーンの車に乗る)

 オードリー・ヘッブバーンの運転する車の後部座席に乗っている。車が角を曲がったはずみで、ぼくは座席ごと外へ投げ出された。座席は縦長の長方形をしている。放り出されて座席はバウンドして倒れそうになったが、なんとかバランスを保ち、ぼくを載せたまま、道に立っている。居合わせた少年が走っていって、運転するヘッブバーンに知らせてくれたらしく、彼女はUターンして戻ってきて、またぼくを乗せてくれた。
 会社のビルの改装工事が始まった。自分たちの働いているオフィスの部屋は何の変わりもないが、ドアを開けると、そこから先は工事の人たちが忙しく動き回っていて、足の踏み場もない。

カテゴリー: | 1月13日の夢(ヘッブバーンの車に乗る) はコメントを受け付けていません

1月12日の夢(魔法の床と目覚まし手袋)

 会社にいて、休憩時間になる。同僚達と野外で大きなテーブルを囲んで、お茶を飲むことになるが、ぼくだけ席がない。まごまごしていると、同僚の一人が椅子を貸してくれたが、その椅子は座高が低くて、とても座りにくい。Mくんがみんなに「休憩時間は1時間半あるので、見たかったお芝居を渋谷に見に行ってもいいですよ」と言う。
 また、会社が改装になった。今度は魔法の床になっている。床板に黒茶色のアメーバ状の染みのようなものが見えるが、近づくとそれは秘密の引き出しで、それを開けると中にロッカーがある。だが、どれがぼくのロッカーだか分からず、迷っていると、同僚が「二つのガラスコップを一階の食堂に片づけてもいいか」と尋ねる。ぼくは「それは一階ではなく、二階のものだ」と言って、自分で二階に返しにいく。そこはレストランのようになっていて、働いているおばさんたちは「このコップはここのものではない」と言って、受け取りを拒絶する。コップは三階のぼくのオフィスのものだったのだ。だが、三階に持っていっても、やはり置き場所がない。
 金色に輝く目覚まし時計があり、それをぼくは左手の手袋としてはめている。目覚ましには、目や耳のような出っ張りがあり、そこをボタンのように押すと、出たり引っ込んだりする。その手袋を指人形のようにして遊ぶ。

カテゴリー: | 1月12日の夢(魔法の床と目覚まし手袋) はコメントを受け付けていません

1月10日の夢(混雑したバス)

 また、バスの夢です。いつも通勤で利用しているからでしょうか。
(夢ここから)
 妻とバス停に並ぶ。振り返ると、ぼくらの後ろにすごく沢山の人が並んで待っている。ぼくらのかたわらに若い貧相な男がいっしょにいる。
 バスが来たので、乗り込む。すごい混雑で、ぼくらはバスの一番後部まで押され、妻は最後部の座席に座った乗客の膝に乗ってしまう。その手前の窓際に、横向きのシートがあって、そこはなんとか二人分空いているので、妻にこっちに座るように言う。
 妻は手に持っていた一握りのコインと何かの雑貨をぼくに手渡す。片手からあふれんばかりの量なので、一度床に置いてから握り直そうとするが、片手で全部はとても持ちきれない。一度床に置いてしまったことを悔やみ、妻にそのことを話すと、妻は「○○(不明)を学士家さんに渡した?」と尋ねる。貧相な男のことを言っているらしい。学士家さんなんて言い方は初めて聞くなと思う。男はぼくらに「まだ貰っていない」と言う。

カテゴリー: | 1月10日の夢(混雑したバス) はコメントを受け付けていません

1月8日の夢(レールを走る車)

 今日は「詩と思想」誌の新年会兼「詩と思想新人賞」授賞式でした。受賞者紹介をスピーチしたので、もうぐったり。
 昨日、東フィルと書いたのは東京交響楽団のことですが、この楽団はトウキョウ・シンフォニーという英語名だから、東フィルと略すのは間違いかも。
(夢ここから)
 カメラマンに頼んで車を運転してもらう。街の中から少し外れたところに出る。ここは墓場だと思う。もうこの辺で停めてもらおうと思っているうちに、道路はいつのまにかレールに変わり、しかもそのレールはジェットコースターの軌道のように空中に持ち上がっていく。そのまま進み続けると、保線工事に行く手をさえぎられてしまう。しかたがないので、工事の人にも手伝ってもらい、バックすることにする。幸い、うまくタイヤとレールがかみ合って、地面の上までバックすることができた。
 地面に降り立ったところで、車を降り、カメラマンに運転のお礼を渡す。漢方薬の箱に25000円ほどの現金を詰め込んだものをまずポケットから取り出す。それからまたポケットをごそごそして、透明な液体の詰まった小瓶を2個取り出すが、その間に現金の入った箱を見失いかける。探すと、地面に落っこちていた。これだけのお礼では少ないかなと思い、「これでいいですか」と渡すと、カメラマンはとても喜んでくれ、「ちょっといいですか」と言いながら、地面の上に小さなテーブルを置いて、ぼくを酒盛りに誘う。(夢ここまで)
 現実に道路とレールの上を両方走るバスというのは開発されているみたいですね。

カテゴリー: | 1月8日の夢(レールを走る車) はコメントを受け付けていません