4月30日の夢(水中生活者)

(昨日アップしそこなった夢です)
 会社の元社員だったUカメラマンとKライターの二人が今はリタイアして、水中生活者になっている。二人は水中を泳ぎ回って、住所不定の自由な生活をしているが、そんな水中生活者にもちゃんと郵便は届くのだ。手に手に水中マスクを持った二人が今日は陸に上がってきて、ぼくに一通の手紙を指し示す。「この差出人の横田京子というのはあの横田さんか?」とUカメラマンがぼくに尋ねる。ぼくは「横田? 横井ならそうだが、横田なら違うでしょう」と答えるが、かたわらにいた詩壇の重鎮・K氏(Kライターとは別人)が「いや、あの横田さんだよ」と、にべもなく言う。UカメラマンとKライターは水中で生きていても意気軒昂で、ぼくに「一色さんも退社したら水中に入らないか」と誘う。しかし、ぼくは「自分はもっと個性的になりたいので」と、その誘いを断る。そうしている間、ぼくの水で濡れたズボンの裾に火が点き、じりじりと燃え始める。

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4月25日の夢(水売りのおばあさん)

(今日は短い断片しか覚えていません)
 石畳の広場。その真ん中に蛇口のついた水飲み台のようなものがあるが、蛇口が地面と殆ど接した高さに、地面に向けてついているため、誰もそのままでは水を飲んだり、そこから水を容器に汲むことができない。一日に一回、そこに水売りのおばあさんがやってくる。おばあさんはモーターポンプを持っていて、その蛇口からホースで水を吸い上げ、人々のバケツに水を売るのだ。ぼくの祖母もそのおばあさんから水を買って、それで何かの商売をしている。
 ぼくはその水売りのおばあさんから水を買わなくてはならないのがなんとなく釈然としない。ぼくの祖母がおばあさんから水を買おうとするより早く、その場にあった二つのバケツを急いで持って帰る。だが、気づくと、そのバケツの少なくとも一方には水が半分ほどしか入っていない。

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4月24日の夢(女社長)

 知人夫妻が経営する画廊で、週明けの月曜日から賭博場を開くことになり、その準備がすべて整った。もう帰ろうと思い、ダンナの方に「月曜は何時から営業ですか?」と聞くと、「10時からです。その方が事務的に都合がいいんですわ」と言う。賭博場だから、当然夜に営業するものと思っていたので、意外だった。
 早く家に帰りたいのに、なぜか女社長がぼくを外に連れ出した。もう夜で、細かい雨が降っていて、少し肌寒い。そういえばコートを画廊に忘れてきてしまった。これではそのまま直帰できないなと思う。女社長はぼくに「フランスへ留学するお客さんに本を書いてもらいたいの。フランスに渡る前にパリへ留学した気分を味わってもらえたら、とっても喜ぶと思う。SMAPの中居くんにデートしてもらったらいいと思うのよ」と言う。ぼくは「中居くんのギャラはとても高いし、タレントは不特定多数のために仕事はしても、個人のために仕事を頼むことはできません。そんなことは不可能ですよ」と社長を説得する。
 そのとき、ぼくがちょっと目を離して、もう一度社長の方を見ると、彼女は道路に転がっている。しまった! 目を離しているすきに、車にひき逃げされたのかもしれないと思い、慌てて屈み込んで「車に轢かれたの?」と尋ねる。すると、彼女は倒れたまま、ぼくの手を握り、ぼくの指先を愛撫し始める。どうやら、道に倒れたのは演技だったらしい。こんな女にそんなことされてもちっとも嬉しくない。やめてくれ。早く帰りたいと思う。

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4月23日の夢(大邸宅)

 どこか田舎にある三階建ての大邸宅に滞在している。ぼくは三階にいたのだが、そこから二階に降りてきて、なぜかトイレを探し始める。邸宅は地形を上手に利用したためか、両端の切れた三日月型をしており、したがって廊下も曲線を描いている。廊下は片側だけ、ドアがいくつも並んでいる。そのドアの一つをぼくが開けようとする前に、邸宅の主人である老人がバスタオルを巻いただけの半裸の姿で、ちょっとだけ廊下に出てきた。両目がロボットのように赤く光っているのが印象的だ。廊下には執事の男達が何人かいて、ぼくに「この館では主がバスルームに入っている間は主優先になり、誰も入ってはいけないんだ」と注意する。だから、二階では今ぼくはトイレに行くことが許されないのだ。ぼくはその間に真ん中のドアを開けたり、端のドアを開けたりしてみるが、どのドアを開けても同じ廊下に出てしまい、その廊下に面したドアはすべてバスルームに通じているので、開けることができない。
 廊下には天井から床まで全面ガラスになった大きな窓がある。そこから山が見える。野原も山も火山灰のようなものにおおわれていて、山の斜面は木ではなく、もしゃもしゃに絡まった土色の紐のようなもので覆われている。それを見ながら執事の一人が「本当は主を外に連れ出すべきだよなあ。私も名前を変えますから、と言って・・・」と言う。そのとき、山の斜面を上から下に向けて、土煙が矢のように降りてくる。誰かがスキーのようにして滑り降りてきたとも、雪崩のような現象にも思える。
 ぼくらは既に外に出ていて、そばに女性詩人がいる。彼女は「中島みゆきって、まだお若いんですか?」と尋ねる。執事は「いや、今年もう59ですよ」、ぼくは「もう60近いですよ」と、同時に答える。
(現実には中島みゆきさんはまだそんな年齢ではないと思いますが・・・)

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4月21日の夢(荒涼とした街)

 昨日夢をアップするのを忘れていました。
(4月21日の夢)
 6時半から、ぼくの編集する「P」誌のリニューアルの打ち合わせをライターのSさんとする約束をしている。ところが5時半に「ある仕事がうまく行かない件でクライアントからクレームが来ているので、こちらに出て来てほしい」と社長(現在の社長ではなく、別の人だった)から電話で呼び出された。
 呼び出されたのは洞窟のような感じの古い建物。そこでしばらく待っているが、ちっとも仕事が始まる様子がない。クライアントから使者が戻って来たら、すぐにここで制作を始められるよう待機中なのだというが、もう6時半になってしまった。「P誌の打ち合わせがあるから、会社に戻ります」と言って、ぼくは外に出る。だが、気づくと上着と携帯を中に忘れてきた。しかたなく建物に戻ると、Sさんからぼく宛の電話が会社宛にかかってきたのが、ちょうど傍受されたところで、スピーカーから大きな音量で流れている。Sさんは「あんなリニューアルに私は必要ないはず。私にはやる気がありません」と言っている。みんなもそれを聞いている。ぼくはがっくりする。
 それでも、ぼくは構わず会社に戻ろうと外に出る。外は街のはずなのに、岩山のように荒涼とした風景。どうしたら会社に戻れるのか、見当もつかない。

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4月20日の夢(天皇になる)

 ぼくは天皇だ。朝食を食べる。天皇なので、テーブルには毎朝、和食から洋食まであらゆるメニューが並び、よりどりみどりだ。いつもはパンを食べるのだが、今朝はいたずら心を出して、おかゆを食べることにする。若いシェフが「天皇はいつも何を食べるか分からない」とぶつぶつ言っているのが聞こえるが、無視する。そのまま和食を食べ続けようとするが、目の前にケーキの山があるのでつい一個食べる。おいしい。イチゴのショートケーキやチョコレートケーキなど、いろいろなケーキがあるのでついつい手を伸ばして食べてしまう。
 団体旅行のツアーに来て、旅館の部屋にいる。制服を着た女性の係員がやってきて、みんなに心理テストの紙を配る。大きな紙を八つ折りにしてあり、開いてみると、表側は「試験勉強は早めにやってしまう方ですか?」といった一般的な質問だが、どの質問もぼくの答はオール・ノーだ。裏面は女性向けの質問ばかりで、答えようがない。係員に「これは間違いじゃないか? 女性向けだよ」と言うが、少し離れたところから妻が「それしかないらしい」と代わりに答える。みんなおとなしくその心理テストをやっている。ぼくは一つも「イエス」と答える問いがない。「イエスが一つもない人」と言われて、真っ先にぼくが手を上げたらみんなびっくりするだろうなと思う。しかし、こんな心理テストに興味はないので、畳の上に放りだして庭を見ていると、係員が近づいてきて、「あなたは神経質そうなのに、プライバシーを放りだしておいてよいの?」と言う。ぼくは「一つも答えないからいいよ」と答える。
 部屋に戻ると、誰もぼくには集合の声をかけなかったのに、みんな整列して出発を待っている。ぼくが現れると、添乗員がちょうど人数を数え終わり、みんなに「一列20人でデモの隊形を作りなさい」と言う。観光の一環としてデモに参加するらしい。しかし、全員スクラムを組んで、ぼくは一人だけ取り残されてしまった。ぼくは無理矢理左端の男の手の下に自分の手を滑り込ませ、スクラムに加わる。「久しぶりだなあ」と、デモへの期待に胸がうずく。
 いつのまにか部屋の浴室に戻っている。古い金ダライの中に、古いオキシフルの溶液が満たされている。そこに別の薬品をぼくが加えると、もくもくとガスが発生した。しまった。これは硫化水素ではないか。ぼくは慌ててドアを開け、息を詰めて通路に逃げるが、まるで迷路のようだ。

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4月18日の夢(ゲテモノ商店街)

 十字路にいる。通りを隔てた向こう側は商店街だ。街全体がまだ開店していないため、通りの入口にある両開きの扉は固く閉ざされている。買い物にきた女性たちは十字路のこちら側で扉が開くのを待っているが、ぼく一人だけが十字路を渡って、扉の前に行く。
 しばらく待っていると、やっと扉が開き、その開いた扉と壁の間に、あやうくぼくの体ははさまれかかる。妻といっしょに商店街へ入る。中はモダンな地下街かデパートのような感じ。子ども用のきれいなものを沢山売っている。最初のフロアにあるのは貝や珊瑚のような海産物の小物。売場を見ていくにつれて、商品はだんだんゲテモノに変わっていく。透明なビンの中に入った真っ白なうどんのようなものは、あれはカイチュウだ。さらに進むと、象の首をいくつも売っている。子象の首だが、なぜか緑色の首だ。それを見て、妻は「思った通りのものになった」と苦笑する。ぼくは何か買って帰ろうと物色するが、一体何を買えばいいだろうか?

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4月16日の夢(式典の主役)

 日本が国家主義的な社会になっていて、建国記念日のような式典に、それと関連した演劇が上演されることになっている。毎年、それに出演したいなあと思いながら、ぼくは指をくわえて見ていたのだが、今年はなんとぼくが主役に抜擢された。自宅で前の晩にはもうすっかり台本を頭に入れ、ぼくはゆったりと本番の時を待ちかまえている。
 早朝、夜明けとともに、ぼくは満を持して会社に行く。社長ら幹部社員も次々とやってきて、ぼくを祝福してくれ、晴れがましい気持ちだ。いよいよ劇場へ行くことになる。控え室からちらりと見た舞台は、朱塗りの洞窟のような感じ。いかにも日本の古代からの伝統行事が行われるのにふさわしい。だが、式典会場から大声でがなるマイクの声は聞こえるものの、会場に人っ子一人姿が見えないのが奇妙だ。
 出演時間が近づき、ぼくは楽屋に移る。岩の洞窟のようなところだ。洞窟の先の開けたところが舞台だ。だが、やはりマイクの声が響くだけで、誰の姿も見えない。
 いつの間にか、ぼくの出番は無事終わったらしい。前前任の「Pの本」編集長のK女史はぼくと仲が悪いのだが、その彼女も一応祝福に来てくれている。ぼくは彼女にテーブルの上の厚いコピーの束を示し、「この三冊を全部頭に入れてやったから、安心だった」と自慢する。だが、「三冊」と言っているのに、二冊しか見当たらない。もう一冊はどこへ行

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二日分の夢

断片的な薄い夢しか見ていませんが、とりあえず二日分をアップします。
(4月13日の夢)
 会社が新しい場所に引っ越した。ぼくらの部署は細長いスペースだ。今までぼくは社長のすぐ目と鼻の先にデスクがあったのだが、ぼくは社長から一番遠い端から二番目の席になった。一番社長から遠い席は、社長からのパワハラで悩んでいたOさんのデスクだ。これで二人とも精神的に随分楽になった。
 ぼくは妻の書いたグランドピアノについての原稿をさっきから探しているのだが、どうしても見つからない。探しながら二階に上がる。そこもまた、ぼくの新しい職場である。ここには社長もいない。社員はとうとう二人だけになってしまったのだ。うちの会社も落ちぶれたものだ。おかげでここへ通うバスも2系統だけになってしまった。どちらのバスもいつもがらがらだ。
(4月15日の夢)
 若いピアニストが演奏する機会がなくなったのを悲観して自殺してしまった。そういえば、その自殺した部屋に、知人のピアニストMさんもいっしょに入ったはずだが、彼女も入ったまま出てこない。もしかしたら、二人で自殺したか、無理心中をはかったのではないかと、とても心配だ。
 そうしているうちにMさんの原稿が見つかった。それをデザイナーのSくんがレイアウトしてくれた。2ページ見開きの誌面にさまざまな小見出しが踊っているが、これではあまりに総花的なレイアウトで、彼女の自殺に至る要因が読みとれない。もっとちゃんと順を追って分かるよう、レイアウトすべきだと思う。

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4月11日の夢(つれあいの詩集)

 つれあいのOが新しい詩集を作ることになり、表紙を有名なカメラマンに依頼した。沢山の撮影スタッフを従えて、撮影地に向かって出発したが、前を走っていた車が突然火を噴いて燃えだした。そのため、足止めされて、道路脇の建物の中で休むことにする。
 アメリカの家庭によくあるような、裏側に中庭をそなえた建物。車座になって話しているうち、カメラマンが「運転を交替してくれないか」と、ぼくに声をかける。つれあいは「この人は運転免許を持ってないんですよ」と言う。カメラマンは「免許を持ってないなら、取ってもらいましょう」と言いつのる。ぼくは不快な気分を押し隠して、「いや、自転車にも乗れないぼくが免許を取ったら、あまりに危険過ぎます。何人も人を殺してしまいますよ」と、冗談にして笑い飛ばすが、カメラマンとの間は険悪なムードになる。おまけにお腹も減ってきた。「もっと何食分も買い込んでおくべきだったな」と、カメラマンはスタッフたちに言う。
 夜になって、やっと出発できることになった。ぼくはそのとき中庭に出ていて、中庭の隣家との境の印しに置いてあった、三日月型のコンクリートに電球が沢山ついている不思議なものを手にとって見ていたが、慌ててそれを放り出したので位置が変わってしまったが、まあいいやと思い、そのままにして出発する。なんだか罪の意識にかられる。それにしても、いつもは夜になると眠れないからいやだと言っているのに、つれあいが自分の詩集のことだといやに元気だなと不満に思う。
 そのつれあいが借りた分厚い本をぼくは持たされている。一階から階段を上がって、四階くらいまで来た。この階が地表とちょうど同じ高さなので、やれやれやっと外に出られると思う。しかし、本が重いため、本は歩くたびにビリビリと破れてちぎれ、ついにぼくの手から床に落ちてしまった。そこで、つれあいはようやくその本を外に持ち出すことをあきらめた。
 ところが、ちょうどそこにこの建物の女性職員が通りかかり、ビリビリになった本を見て、「その本はここのものだから、所長に報告しなくては」と言って、階段を降りていく。もう少しで外へ出られるところだったのに、残念だな。それにしても、こんな夜だから、もう所長は帰宅してしまって、いないのじゃないだろうか。

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