6月4日の夢(仲間はずれ)

 フランスへ男女数人で遊びにきている。ぼく以外はわりと若い人たちだ。何部屋かつながった場所を借りて、ぼくはその一室にひとり離れ、殆ど眠ってくらしている。仲間たちはぼくを相手にもしてくれないから、気が滅入って、やる気が出ないのだ。
 それでも、今日は船に乗って、海の向こう側へ遊びに行こうと皆が言うので、ぼくもわくわくして、起きあがる。ちょっとホテルから外出して、ピクニックの出発前にホテルに帰ろうと歩いていると、ホテルから出てきた仲間たちと遭遇する。皆、荷物を持っている。問いただすと、皆もう日本へ帰国するという。これでは、ぼく一人フランスに置き去りにされてしまう。
 慌ててホテルに戻り、食堂で働いているおかみさんに宿泊費の精算を頼む。お札を出すと、まずいろいろなおみやげが貰えた。ハンディな蛍光灯スタンドのようなもの。それからお釣りがきた。コインではなく、一升枡くらいの大きさの錫の塊の側面を切り取ったような不定形の立方体がお釣りだという。珍しいので、ぼくはその錫の塊をしげしげと触って眺める。その間におみやげが消えてしまったが、この錫の塊を貰えたのなら、それでいいと思える。とにかく、これで日本に帰れるのだ。

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6月2日の夢(地上を飛ぶジェット機)

 厳しいことで知られる演出家が、ぼくが書いたシナリオのドラマの演出を引き受けてくれ、今日がその稽古の初日だ。リハーサルが始まるまで、ぼくらは大勢の役者たちと共にロビーで待つ。定時の5時になったので、ぼくは役者たちに「では202号室に移動してください」と号令をかける。
 廊下で演出家は役者たちに「では、胸にこのモニターを二人一組になって付けてください」と呼びかける。木のトレイに入った名札型のモニターを役者たちは、皆胸にとりつける。ぼくも付けるべきかなと一瞬迷うが、役者ではないのだから、付けなくてもよいだろう。
 しかし、202号室ではまだ前の稽古が終わらず、少女たちがダンスのリハーサルに余念がない。曲が終わるまで待つしかない。
 ビートルズの珍しいフィルムの映写会のため、金沢に出張することになった。急がなければならないが、移動手段がないので、あるジェット旅客機のパイロットにお金をつかませ、そのジェット機に乗せてもらうことにする。だが、ジェット機は殆ど地上すれすれの高度で道路の上をゆっくり飛んでいる。これでは自動車と変わりないではないか。隣にいた同僚が「うわあ、椅子がひっくり返った。待ってくれえ!」と叫んで、道路に転がったので、その理由が分かった。ぼくと同僚だけが、飛行機の外部に椅子をくくりつけられていて、外をいっしょに飛んでいたのだ。だから、空気の薄い高空を飛ぶことができず、ジェット機は地上すれすれを低空飛行していたのだ。なんとか同僚も椅子にかけ直すことができたので、ジェット機は再び離陸し、福井を経由して、ぼくらは金沢に着くことができた。
 ホテルで上映会が始まった。このホテルはこの映画を撮るときにビートルズが泊まったホテルでもある。ぼくは一度その映画を見ているので、また見る必要はないと思い、終わり頃に会場に行く。すると、最後にぼくの知らないシーンが付け加わっていた。制作スタッフたちが自ら出演し、かっこよく歌ったり演技したりしている。なんだ、それだったらぼくも参加すればよかったなと思う。
 同僚が「このホテルには飲酒制限があってね。ビールも何本までと決まっているんだ。ジョージなんか、冗談じゃねえよと怒っていたよ」と言う。
 上映会が終わり、帰宅しようと思う。もう夜の9時だ。10時までには帰れないと、妻に言ってこなかったなと思う。「これから飛行機で帰る」と、ぼくが言うと、みんなびっくりする。女性が「私とこれで帰りませんか」と言うので、見ると、真っ白な円盤形の乗り物が駐車している。すごいスピードで走る乗り物らしい。「それは有り難いですが、料金はおいくらですか」と、ぼくはタクシー代の心配をする。

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5月29日の夢(社員食堂)

(3日前の夢です。社員7名の会社に社員食堂はありませんが)
 土曜出勤で会社にいる。お昼の弁当を食べ終わった後で、一階に降りてみる。すると、そこは社員食堂で、立食パーティのテーブルのようにさまざまな料理が用意されている。料理の下では食材を温める炎がちろちろと燃え、同僚たちは楽しそうに、賑やかに食事をしている。お腹はいっぱいだけれど、こんなおいしそうなものを目にしては、食欲を抑えられない。ぼくはそっと食堂の中にすべりこむと、爪楊枝を一本取り、大好物の蒲鉾と卵焼きをそれに刺して、口に運ぶ。ぼくは潔癖性なので、誰かの唾がついていないか心配だ。できるだけ、清潔そうな食材を選ぶ。

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5月31日の夢(ラブホで暮らす)

 ラブホテルをしている旅館が下宿屋に転業したので、ぼくら夫婦もここに住むことにした。一つの畳敷きの部屋を見知らぬ何人かでシェアするのだ。先客は若い無口の、愛想のない男。この男は突然、ガラッと戸を開けて中に入ってくるので、妻が「きゃっ」と悲鳴を上げる。こんなやつと、はたしてうまくやっていけるのか、不安だ。あとからもう一人、若い女の子も同室者に加わった。
 それにしても、ぼくは一枚のシャツをずうっと着たままだ。たまにはもう一着のシャツに着替えようと思う。
 電車の停留所にいる。道に迷ってしまって、帰るに帰れない。

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5月30日の夢(歌うことが闘いだ)

 外では闘いが起こっている。外から帰ってきた中年の男が「外は人が多すぎる。40人ほどもいる。こんなにいなくてもいいのに」と言う。外でこの建物を守っているぼくらの守備隊の人数の話だ。銃撃の音が聞こえる。だが、それに混じって、高くギターをかき鳴らして歌う声も聞こえる。彼にとって、歌うこと、ギターをかき鳴らすことは、銃撃と同じく闘いなのだ。もうすぐ彼は敵の銃弾に倒れるだろう。だが、それでもなお、彼は苦しい息のもと切れ切れに歌い続けるだろう。
 というストーリーのアニメを見終わったクライアントのM氏が「これよりもう一つの作品の方がいいのでは?」と言う。それに対して、ぼくは立ち上がって、次のように演説する。「いいえ、ぼくはそう思いません。なぜなら、この作品は歌うことと銃を撃つこととは同じだ。そういう作者の思いを伝える作品なのだから」。
 デパートの中を歩いている。ぼくは別のフロアの「中央通路」に出たいのだが、そこまでの行き方が分からない。うろうろしているうち、一つのドアに手をかけると、制服のデパートガールが「それは外へ出るドアですよ」と注意してくれる。だが、ぼくは「それでいいのだ」と思って、ドアをくぐる。
 確かにそこはデパートの外だ。上階だと思っていたのに、もう地上階だったのだ。ここをデパートの外壁に沿ってどんどん歩いていけば、センター通路への入口に行き着くだろう。だが、ちょうどデパートの中央部は工事中のシートがかけられていて、そこから中に入ることができないで、ぼくはそのままデパートの右端まで出てしまった。
 そこには大きな通りがあって、夜店の出店準備が着々と進んでいる。
 会社のトイレに入る。右奥の床に深い穴があいていて、そのはるか底の方に禿頭が見える。S印刷のK氏の頭だ。この穴の底の個室で、用を足しているらしい。ぼくは左手のデスクに座り、スーツを着たままでおしっこをする。誰かがぼくを呼びに来て、「もう行こう!」と言うが、用を足している最中だから、まだ立ち上がれないよ。

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5月27日の夢(ゴボウの絵)

 ぼくが講師をしている詩の研究会に、既に絵本として印刷された作品が提出された。その一頁一頁の絵が作品なのだという。ただでさえ提出作品が多いのに、一人で何枚もの絵を提出するのはやめてほしい。これは断ろうと思う。念のために一番最後の頁を見ると、それはゴボウの絵だった。

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5月24日の夢(パソコントラブル)

 昨日忙しくてアップできなかった夢です・
(5月24日の夢)
 紙に印刷されたある企業のURLスキャンして読み込み、ネットで検索しようとする。しかし、カーソルがぐるぐる動作中を示す円を描くばかりで、一向に検索結果が表示されない。そこへ、背の低いもっさりした中年男がやってきて、「これは深刻なトラブルだ。このマシンを借りていかないと、原因は分からないよ」と言う。そんな大げさな話にするつもりはなかったので、びっくりする。第一、そのURLはその企業が自分で制作したパンフレットに載っているのだから、間違っているはずがないのに。だが、中年男は感電防止用らしい布を広げて、パソコンを包み込んだ。そのとたん、パソコン全体がパーッと真っ青な光に包まれる。すごいことになってきた!

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5月21日の夢(感熱紙)

 ドンキホーテのような安売り量販店に行く。パソコンのプリント用紙の束の安売りをしている。見本を見ると、なんと感熱紙で、しかも一枚ごとに台紙がついていて、それを剥がして使うようになっている。こんなの古いや、と思う。見本の下に、山と積まれた用紙の束から一つを取り上げて値札を見る。50枚入りでいくら(値段は忘れた)と書いてある。古いし、高いし、こんなもの買えるか!と思う。

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5月20日の夢(指揮の練習と現代オペラ)

 息子が指揮者になる訓練をしている。プロの指揮者の指導を受けながら、存在しないオーケストラに向かって、指揮の練習をする。二人のちょうど真ん中あたりのステージ奥に、第三の男がいる。彼がオーケストラのかわりらしく、息子はまず男に向けて指揮棒を上げて、演奏をスタートさせる。そして、指導者の指揮者と二人で、存在しないオケを指揮する。ぼくの耳にはうっすらと、その存在しないはずのオケの音が聞こえる。演奏しているのは現代音楽だ。
 別の現代オペラのシーンになる。金網を張り巡らした鶏小屋の中に、沢山の男女の歌手が寝ころび、一人ずつソロをとっていく。寝たままで歌う歌手と、少しだけ上半身を起こして歌う歌手がいる。寝たままで発声をするのは難しいらしく、口をものすごく縦長に開け、口の中に長い舌が見える。その様子はなんだか不気味だ。歌っているアリアの一節には「お母さんはもう一度床屋へ行くわ」という歌詞がある。

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5月18日の夢(題名のない映画)

 会社のデスクの上に、これから作る映画の企画案の資料が塔のように山積みになっている。これを読んで、映画の題名を考えるよう、社長から指示されている。資料をぱらぱらとめくると、そのまま映像が出てくる。なかなかよくできていて、殆どもう完成していると言っていいくらいだ。これなら、ぼくが手を下す必要もないくらいだと思うが、よく見ると冒頭のタイトル画面だけが白く抜けている。やはり自分で題名を考えなければいけないらしい。向こうで老眼鏡をかけて書類を見ている社長が見える。なんとなくプレッシャーを感じる。しかし、これだけよく出来ている企画案なのだから、題名をつけるのは簡単だろうと思う。
 食堂のテーブルでのんびり食事をしようとすると、印刷所の営業マン二人が入ってきたので、慌てて挨拶をする。そのうちの後から入ってきた方が、この映画の企画を持ち込んだ人だらしい。当人が現れたので、思わず身構えてしまうが、どうやら本人は映画の制作をあまり急いでいるふうでもないので、ほっとする。
 これから三日間ほどどこかへ出張しなければいけないのだが、どうしてももう一人見知らぬ相手と同室に宿泊しなくてはいけないと、母がぼくに命令する。最初の日は、ぼく自身の部屋で泊まればよいというが、ぼくの蒲団のほかにもう一つの蒲団がぼくの足下に並べて敷かれている(つまり、二つの蒲団が並列にではなく、縦一列に並んでいる)。知らない相手だから、できれば互いに足を向けて寝たいと思うが、礼儀上そうもいかないだろう。明日からは一つのベッドを共有しなくてはいけないのだという。ますますいやだ。

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