12月6日の夢(詩の先生)

 ぼくは「詩と思想研究会」というワークショップで詩の実作指導の講師をしているのですが、そのぼく自身が詩の先生につく夢を見ました。
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 ぼくの家に、詩を教えてくれる先生がやってきた。ぼくより年上で偉そうだ。その先生がごそごそぼくの原稿のチェックをしている間、ぼくはふてくされてソファに横たわり、本を読んでいる。「おい、きみ!」と先生がぼくを呼ぶ。ぼくは挑戦的な目をして、でも一応にこやかに彼と視線を合わせながら起き上がる。「そろそろ研究会で、きみの詩を出そうか」と彼は言う。そういえば、以前も彼に言われて、研究会でぼくの詩を披露し、みんなから逆に批評をもらったことがあったっけ。だが、ぼくは「ぼくは講師ですから、みんなが混乱するといけませんから」と、先生の申し出を断る。

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12月5日の夢(見つからない場所)

 タクシーに乗って、「ある場所」を探しに行く。運転手のほかに同行者は男女一人ずつ、ぼくを含めて三人で出かける。車窓から見える街はグレイに古ぼけていて、今はない昔の街のような気がする。ぼくたちは「ある場所」を探し回るが、結局見つからず、帰ることにする。道中、運転手はこの仕事を25,6歳からはじめ、今30歳だという。ぼくは「出発した場所」も見つからず、帰り着けないのではないかと不安になるが、出発した場所は無事に見つかった。そこは、ガードレールか柵のようなものが内側に切れ込んでおり、バス停であるらしい。ぼくが運転手に「ここで降ります」と言うと、ほかの二人の乗客もいっしょに降りた。運賃は一人1000円ずつだった。
 家に帰り、妻に「見つからなかったので、行かなかった」と言う。妻は「行ってみればよかったのに」と言う。

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12月3日の夢(富士山の噴火)

 会社の同僚たちと富士山に登る。富士山には中腹までエレベーターで登ることができる。エレベーターを出たところの右側はガレ場というのだろうか、岩の砕片がごろごろしていて、とても足場が不安定だ。左側には既に登山した社員たちの鞄がうずたかく積まれていて、中には谷底の方まで転落している鞄もある。そしてガレ場の向こうには広い草原があり、そこで社員たちが楽しく遊んでいるのが見える。
 不安定な瓦礫の上を乗りこえて、ぼくも草原に降り立ち、みんなと楽しく遊ぶ。ふと富士山を見上げると、休火山のはずなのに、山頂から黒い煙がもくもくと立ち上っている。ときには、ぼっと紅蓮の炎も混じる。あれっと思っているうちに、火山弾が次々と降ってくるようになった。慌てて売店の中に逃げ込むが、そこも危険になる。二台の車に分乗して、エレベーターの入り口まで逃げることにする。ぼくは助手席に乗っているが、火を噴く山頂に向かって(エレベーターの入り口は山腹にあるので、逃げるには山に向かっていかざるをえない)疾走する車の正面から、サッカーボールくらいの煙を吐く火山弾が次々と飛んできて、地面にバウンドしては車をかすめていく。今度こそ直撃されると覚悟するが、危機一髪でエレベーターの中に逃げ込むことができた。

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12月1日の夢(小狸)

 夜、自宅の台所とも道路ともつかぬところを歩いていると、小さなぬいぐるみのような動物が歩いてきた。小狸だと思った。かわいいなあ。でも自動車に轢かれてしまわないだろうか、と心配だ。いっしょに歩いている仲間に、狸を踏んづけたりしないよう、気をつけようと声をかける。
 さらに進むと、もっとかわいい小狸が何匹も歩いてくる。ぬいぐるみのような体に柄があって、本当に愛くるしい。さらに進むと、案の定、小狸が車に轢かれてぺしゃんこになっていた。かわいそうに。(夢終)
 11月まで12年にわたって仲間たちと書いてきた共同夢日記「夢の解放区」を閉鎖したため、これからはこの「ころころ夢日記」で毎日の夢を書いていきます。どうぞよろしく。

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11月25日の夢(老人になる)

 ぼくは老人で、ホテルに一人で泊まっている。これからほかの老人客と混じって、団体でどこかへ行くことになっている。身繕いを一人でする自信がないので、部屋付きの中年のメイドに手伝ってもらう。そのため、ドアを開けておいたら、ほかの部屋の老人が入り込んで、身繕いを始めた。「ここはぼくの部屋だから出ていってくれ」と言おうと思うが、思いとどまる。部屋の中は暗くて、散らかっている。腕時計を探す。メイドが慌てて「なんですか」と聞いてくるが、自分で見つけて腕にはめる。ポケットを探ると、汚れたちり紙が何枚も入っている。捨てたいが、どこに捨てればよいだろう? 小さな鍵も指先に触れた。きっとこの部屋の鍵だろう。
 身繕いを終えて、部屋の外に出る。どこかで子犬がメロディーのある歌をうたっている。既に引退した元編集長のKの声が背後から聞こえる。「今日もワワワン、ワワワン、ワワワン、ワッワワワワワワンという声が聞こえるわ」。それに対して、もっと若い女性の声が「あれはそう聞こえるだけで、そう鳴いているわけではないのよ」と答える。
 カメラマンのIに現代美術館に連れていってもらう。若い人たちで館内はいっぱいだ。入り口には確かナムジュン・パイクのインスタレーションがあったはずだが、そうではなく一面に落書きされた学童用の机がいくつも二段に積まれている。内部も美術館というより古道具屋のようで、がらくたがいっぱいだ。うろうろしていると、カメラを構えて記念写真をしているグループの中に紛れ込んでしまい、慌てて場所を移る。この中は不案内で、Iだけが頼りなのだが、Iだと思った男はもっと背の高い女性に抱きしめられている。ということは、あれはIではないのだろう。迷子になりそうな不安に襲われる。だが、Iはすぐそばにいて、「このへんを適当に見て回りましょう」と、ぼくににこにこ声をかけてくれる。

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11月23日の夢(逃げる)

 誰かに追われている。もう一人の男といっしょに関西へ逃げていき、肉体労働をする会社に行って、面接を受け、採用される。だが、すぐ追っ手が迫っている気がして、そのままそこを飛び出し、別の町に移る。そこでもある会社に就職しようとするが、面接が終わったとたんにいたたまれなくなり、あたりを伺うと、すぐに逃げ出す。

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11月22日の夢(ぼろぼろ千円札)

 今日は詩の研究会の講師をする日だ。しかし、主催者はぼくの知らない、初めての人たち。おまけに会場は道路。そして、ぼくとコンビを組むもう一人の講師は「折々の*」で有名なO氏なのだが、なかなか現れず、やきもきする。しかも、ぼくの腕時計は突然逆回転を始め、時刻が分からない。見上げると、ちょうどそばに時計塔があった。あれで時刻を見ればいいなと思う。
 やっとO氏がやってきた。O氏の席はぼくの左側で、彼の席だけぼくよりずうっと前方に突きだしている。ぼくの席は後方に下がっているうえ、O氏との間には金網のフェンスが張られている。これでは研究会などできない。道路の向こう側のメンバーに大声でとりあえず開会の挨拶をしたうえで、主催者に会場の作り直しを依頼する。
 やっと再設営ができたた。だが、今度は作品についてメモしたぼくのノートがない。あれがなくちゃ、批評ができない。大いに慌てる。
 いつのまにか研究会は終わったようだ。終わったのに、O氏は帰ろうとせず、ぼくに向かってにこにこしている。どうやらお礼の支払いを待っているようだ。しまった。用意するのを忘れた。財布をあけると、よれよれの千円札が入っていた。これをお礼にしよう。封筒がないが、灰色のビニール袋があったので、それに千円札を一枚入れようとする。しかし、なかなか入らず、押し込んでいるうちに、札がぼろぼろになってしまった。しかたがない。二枚目の千円札を出す。
 新興宗教の人たちの素人芝居を見ている。終わったあと、会場の外から「高い所に登ったから、外を見て!」という声がする。窓の外を見ると、あらゆる建物の屋上や最上階に新興宗教の信者たちが鈴なりになって、手を振っている。観客はみんな感動して拍手する。

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11月19日の夢(人生の駅)

 隣の駅まで電車で行き、戻ることにする。自販機で130円の切符を買おうとするが、コインが入らない。自販機にはいろいろな種類があって、ぼくの買おうとしていた機械の下には「その他」と書かれた自販機がある。この自販機でもいいかもしれないと思い、コインを入れると、機械ではなく、隣の窓口から男の駅員が、回数券のように何枚か綴りになった切符を手渡してくれた。だが、よく見ると、それは電車の切符ではなく、「愛のなんとか」という名前の喫茶店かバーの回数券だった。
 ぼくはその回数券を持って、ずんずん駅の中に入っていく。幸い、改札がないので、そのまま線路を渡って、ホームへ上がろうとする。今渡った線路を貨物列車がやってきた。これから渡ろうとする線路を、客車が反対方向からやってきた。その客車の運転手がぼくに「その貨物列車は長いぞ。さあ、人生の意味をよく見ておくように」と叫び、ある一点を指さした。指さしたところには、石碑のようなものが建っている。たまたまぼくの後から線路を渡ろうとした老人と共に、その石碑を眺める。
 電車に乗って、元の駅に戻ってきた。さっきの駅で切符なしに入ったから、この駅から出られるかどうか心配だ。案の定、あちら側もこちら側も踏切棒が降りていて、ぼくは駅から出ることができない。この駅から出ることができない。

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11月17日の夢(祖母と女性運転手)

 喉が痛くなった。女性が風邪薬を手渡してくれたので、飲んだ。
 朝、死んだ祖母がぼくの部屋にいるので、何をしているのかと見に行く。祖母はピアノの前で歯を磨いている。ぼくを見て、慌てて「あっ、こっちでやるから」と言い、北の窓を開けて、がらがらぺっと口をゆすいだ水を、窓の外に吐く。死んだ母も出てきて、祖母を眺め、「困ったねえ。ぼけちゃったのか」と言う。
 その祖母とバスに乗る。とても混んでいる。運転席のすぐ後ろに立っていた客が急に体調が悪くなったようだ。運転手の女性はすぐに席を立って、着ていた白いセーターを脱ぎ、豊かな胸をあらわにして、その客の背中におしつける。「こうすると、痛みが緩和するんだよ」と、ぼくは連れの女性(いつのまにか祖母ではなくなったらしい)に教える。

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11月16日の夢(電話型切符自販機)

 妻とある有名作家を訪ねて、旅行に出ている。駅にやってきた。ここから一駅向こうに作家は住んでいるはずだ。なんだか、動物園の入場券売場のような切符売り場。並んでいる自動販売機は緑の公衆電話みたいだ。
 妻は普通の切符自販機の行列に並んだが、ぼくはその右端にある特別の自販機の行列に並ぶ。この路線には有名な「全線共通切符」というのがあり、これはその切符だけを売る専用機で、並んでいる人数も少ない。
 その電話機のような自販機にコインを入れるが、入れる前から機械の下にはレシートのような形の紙片が沢山あった。誰かがそこへ置いていったものらしい。これが「全線共通切符」だろうか。だが、よく見ると日付が違う。一枚だけ今日の日付のものもある。これは今ぼくの入れたコインに応じて出てきた切符だろうか。だが、よく見るとコピーのように見える。こんなものを改札口に持っていって、駅員に捕まってしまったら大変だ。
 こんな自販機では危険だと、ぼくは妻の並ぶ行列の後ろにもう一度並び直す。妻は行列のすぐ前に並んでいる女性に「湯布院の○○先生のところに行くのですが・・・」と尋ねる。すると、その女性は一番左端の窓口にすっ飛んで行き、駅員に尋ねてくれる。その駅員も女性で、「それなら、今夜の6時に送り届けてあげますよ」と言う。ぼくは慌てて「いや、2時に会う約束をしているのですよ」と口を出す。時計を見ると、もう1時40分だ。あと一駅だから、この時間で間に合うと思ったのに。
 それを聞いて、女性駅員は慌てて「早く早く」と、ぼくを促しながら、別の場所に走っていく。それを見て、妻は「駄目じゃない!」と、ぼくを叱責する。車で送ってくれるのだろうか。ぼくは思わぬ展開に、ぽかんと口を開け、言葉もなく妻の後をついて走り出す。

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