4月12日の夢(少年ギャング)

 浜松に出張しての仕事が終わり、帰る前にトイレに寄ることにする。旅館の和室の奥がトイレになっていて、畳にいくつも水たまりができている。中年のサラリーマンふうの男たちが何人もそこで立ち小便をしていて、いっぱいなので、ぼくはあきらめて我慢することにする。
 駅に向かう途中で、クライアントのM氏に会う。なんだか少し太った感じだ。仕事がうまく行ったことで、彼は機嫌が良く、二人連れだって新幹線の浜松駅に行く。
 浜松駅は小さくて、昔の田舎の駅のようだ。
 いつのまにか新幹線ではなく、バスに乗っている。ぼくは二人がけの座席の窓際に座っていたが、隣の乗客が席に傘を置いてどこかへ行った。ちょうど停留所で、小学生の子どもたちがどやどやと乗り込んできた。子どもの一人がその座席を指さし、「空いてる?」と尋ねるので、「います」と答える。
 通路の向こう側の二人がけの座席は、そこにいた乗客が二人とも荷物を置いて、どこかへ行ってしまった。子どもたちはそれをよいことに、二人の荷物を窓から外に放り出し、勝手にそこへ座る。そこへ二人の乗客が戻ってきた。「あれれ、荷物が・・・」と彼らが口ごもっているのを見て、ぼくは運転手に「ストップ! 子どもが荷物を窓から投げた!」と叫ぶ。運転手は急ブレーキをかけて、バスを停車させ、荷物は無事に乗客の手に戻った。それを見て、M氏はまたぼくを「一色さんはすごいねえ!」と褒めてくれる。

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4月11日の夢(切れないハサミ)

 古いお札や、昔の貴重なノートブックが出てきた。縁が傷んで汚く見えるので、鼻毛切りのハサミで縁を少し切り取ればきれいになると思う。しかし、そのハサミは切れ味が鈍っていて、切れば切るほど縁がギザギザになってしまい、「失敗した!」と後悔する。

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4月7日のアップしそこなった夢(臨検)

 4月7日にも夢をアップしたつもりだったのですが、再構築を忘れたみたいで、アップできませんでした。
(4月7日のメインの夢)
 四国で行われたマラソン大会に参加した。マラソンを終えて、宿舎の温泉宿に帰るため、列車に乗った。腕に黄色の社封筒を抱えており、中には自分や他の人の原稿が入っている。なぜか、その封筒を最初に座っていた車両の座席に置いたまま、隣の車両にぼくは移る。そこへ突然、軍隊か警察か分からないが、列車は停止させられ、制服の人々による臨検があった。突然のために、ぼくは元の車両に戻ることができない。臨検が終わった後、戻ったときには封筒は跡形もなかった。臨検部隊の制服の若い女性たちに「ここに黄色い封筒があったでしょう?」と尋ねる。「ああ、ありましたね」と彼女たちは答えるが、臨検で車両の入口に積み上げられた荷物の山の中にも、車両の中にも見当たらない。大事な原稿が中には入っていたのだが、「まあ、いいや」と諦めることにする。
 いつのまにか列車は船に変わっていて、港に入ろうとするところだ。雪が降っていて、港は雪と氷で幻想的に美しい。ぼくは船首に一人立って、その光景に感動しているのだが、そこは危険なので、一般の乗客は立入禁止らしい。船首の一番前で船を操っている中年の女性操舵手が、ぼくに「大丈夫?」と声をかける。入港時には船は急な坂を登っていくので、船首は急角度に傾斜し、立っていられないほどだ。 
 ホテルに戻り、自室の窓から港を見る。今度は船は飛行機に変わっており、その飛行機が滑走を始めたとき、一人の若い女性が飛行機の前に走り出てきた。飛行機は急ブレーキをかけ、驚いた女性は逃げまどって、池の中に飛び込んだ。ずぶ濡れにはなったものの、女性が安全に助け出されたのを見て、ぼくはほっとして窓から離れる。
(同日、別の夢の断片)
 夜、お腹が減ったので、外へ食べ物を買いに出る。妙に暗いなと思ったら、この地域一帯が停電している。足元も真っ暗で危険なので、家に戻ろうと思う。交差点にやってきた。そこは少し明るく、若者たちがたむろしている。その交差点を渡った向こうには、何か食べ物を売る店がありそうな気がして、渡ってみるが、そうした店は見つからず、空腹のまま引き返す。

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4月10日の夢(エレベーター)

 どこかのビルで一階から二階に行くため、エレベーターに乗る。ぼくといっしょに若いカップルも一緒に乗る。エレベーターは横幅は普通のエレベーターと同じだが、奥行きは人一人の体分くらいしかない。おまけに、エレベーターの中はものすごい風が吹いていて、「二階」のボタンを押すのも大変。若いカップルも、ぼくを「大丈夫ですか?」と気をつかってくれながら、「きゃーきゃー!」と叫ぶ。
 エレベーターには窓があり、見ているとエレベーターはモノレールのような一本レールの上を横に走りだした。ジェットコースターのようにアップダウンを繰り返しながら、空中を走り、全然別の場所に走っていく。このビルの二階は随分離れた場所にあるのだ。
 エレベーターはさらに走り続け、線路も何もないコンクリートの上を進んでいく。その向こうに、普通の鉄道用の二本のレールがあり、エレベーターはそれに乗って、駅のプラットホームに走り込む。ホームではなく、レールの上に若い小太りの男の駅員がいて、エレベーターを誘導し、今にも轢かれるという寸前にぱっとホームに跳び上がって、手動でドアを開けてくれた。
 やっと「二階」に着いた。カップルは入場券の半券を駅員に出して、中に入っていった。ところが、ぼくはそんなものが必要だとは思ってもみなかったのだ。コートや上着、ズボンのポケット等を探し回るが、出てくるのは関係のないゴミばかりだ。

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4月8日の夢(最後の研究会)

 3月で神楽坂エミールという東京都の施設が閉館し、そこで毎月開いていた某研究会を4月から別の会場に移すことになりました。それが今頃こんな夢に。
(夢ここから)
 今日はエミールでの最後の研究会だ。なぜか会場の部屋がいつもと違う。和室だが、いつもより狭く、しかもL字型をしている。奥はエレベーターホールに、手前はそのまま事務室のある廊下につながっている。変な部屋だと思う。
 メンバーの一人が柔道漫画を持ってきたので、読み始めたら面白くて、やめられなくなってしまった。開会寸前になって、そういえばこれから合評をする作品集を今回は全く読み込んでこなかったことに思い当たる。まあ、なんとかなるだろうと思う。
 会場を見渡す。案内も出していないのに、最後の会だからだろう。WさんやAさんの顔も見える。さあ開会だ。最初の作品は久しぶりにHさんの作品だ。ところがHさんの姿がない。「手洗いに行った」とみんなが言う。やっと戻ってきたが、「私は信念として朗読しない」と言う。困った。「それなら他の人にあなたの作品を朗読してもらおうか」と言い、他の人に朗読を依頼するが、その人はさっさと自分の作品の朗読を始めてしまい、Hさんの作品はとばされてしまう。朗読の間も、カウンターに座った頭のはげかかった眼鏡の初老の男と、隣に座った若者が私語を続ける。うるさい。注意をしても、やめないので、「出て行け!」と二人を退場させる。
 次の作品発表者は初めて参加したファミリーで、手書きで2ページに家族5人が共作した作品が書かれている。子どもとその両親、さらに祖父母の5人だ。彼らはおばあさんの三味線を中心に、手に手に楽器を持ち、賑やかに自作の詩を伴奏入りで朗読する。やれやれ。「家族みんなでほほえましい作品になっていますね」とか、適当な批評をしようと思う。ちょっと朗読が途切れたので「終わった?」と聞くが、まだまだ延々と続く。次のページをふと見ると、「大人のためのピアノ教室」で有名なC先生が、弟子の子どもたちの作品を何編も提出している。げげっ、と思う。
 時計を見ると、開会からもう30分も経ってしまった。これでは本来のメンバーのちゃんとした作品合評の時間が足りなくなってしまいそうだ。うーん、頭が痛い。

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4月6日の夢(トリック)

 路上で新興宗教のキャッチセールス(?)に意図的にひっかかって、携帯で誰かと連絡をとりながら、その宗教団体の催しの場に車で行く。会場は厚生年金会館のような巨大なホール。ぼくはなぜかホールの中ではなく、扉の外のロビーで待っている。催しが始まると、ホールいっぱいの参加者たちは皆喜々としてお祈りを始める。ぼくのようにキャッチセールスしてきた人がもっといると思ったのに、どうやら信者でないのはぼくだけらしい。
 大きなトラックがお湯をいっぱい運んできて、たらいの中にお湯を張る。そこへぼくは足を突っ込む。足の親指から黒い大きな斑点が剥がれて、お湯に浮かぶ。それを見て、信者のおばさんが「ほら、これはきっと出生斑だと思うけど、でもお祈りのせいで離れていったね」と言う。でも、ぼくの足の親指にそんな斑点は最初からなかったはず。これはトリックだと思う。それに、お湯にはたくさんの魚の頭や、刻んだホーレンソウのようなものが浮かんでいる。「出生斑」なるものも、きっとこういう材料から作りだしたものに違いない。

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4月5日の夢(カメラマンの行方)

 撮影をしている。絨毯のようなものを掲げて撮影するのだが、強い風にあおられる。地元の学生たちが手を貸してくれるが、とても大変だ。最後に2カット分の撮影が残った。カメラマンはまだ2カット残っていることを忘れてしまったのではないか。心配になり、「まだ2つ残っているよ」と叫ぶ。しかし、聞こえなかったかもしれない。カーテンのように視界をふさいでいる絨毯の向こうへ行って、カメラマンにそのことを伝える。彼は撮影の準備に大忙しの様子。
 準備が整うのを待っているが、カメラマンはどこかへ出かけてしまい、何時間経っても戻ってこない。どうしようか迷っていると、某研究会のK氏がやってきて、一緒に探しに行ってくれる。本当にK氏は頼りになる人だ。
 やっとカメラマンが帰ってきたらしい。ぼくの目の前の視野をさえぎっている絨毯が突然倒れてくる。それも1枚倒れたと思ったら、さらに次の絨毯があり、それが倒れたと思ったら、また次の絨毯が・・・というように、際限なく倒れてくる。この絨毯のカーテンの向こうに、はたしてカメラマンはいるのだろうか?

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4月3日の夢(研究会)

 土曜日の午前中、自宅とは別のアパートのような仕事場で原稿を書いていて、ふと今日は某研究会の日だったと思い出す。ぼくは講師として、提出された作品集の批評をしなくてはいけない。慌てて作品集を開けてみるが、作品を読んではおいたものの、批評のためのメモは全くとってない。最初に載っているのはYKさんで、次がKHさんだ(昨日、寝る前に「つれあいが某誌で対談する相手」としてこの二人のどちらかがいいのではないかと、言い合っていたのがそのまま夢に出ました)。今回は講師より有名詩人が作品を提出しているのが、一番の特長だなあと思う。部屋には時計がないので、外に出てみる。街頭にある時計が12時過ぎをさしているのに驚く。研究会は2時開会なのだ。1時頃自宅に帰り着き、昼食もとらずに出発することにする。もう一度作品集に目を通す。今回の作品は皆が皆、ハードボイルド小説のような作風になっているのが不思議だ。

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4月1日の夢(吉沢京子さん)

 親戚の家で泊まりがけで会議をしている。メンバーには社長や、元「夢の解放区」メンバーのKさんなどの顔がある。ぼくはみんなの発言をまとめて一つの論旨としてノートに記録しようとするが、持っているのはペンではなく、曲がった太い針金だった。それでいくらノートを引っ掻いても、やっぱり文字は書けない。ふと見ると、足下にたくさん鉛筆やペンなどの筆記具が散らかっている。その中からちびた鉛筆を取り上げ、ようやくぼくはノートに文字を書くことができた。これで一つのロジックが完成した、と達成感が湧く。
 翌朝、ゆっくり寝ていると、妻が「こんなときに吉沢京子さん(もしかして昔のアイドルタレントの名前?)が来ちゃったわ」と言って、起こしに来た。ぼくは寝床の中で寝ぼけたまま、かたわらのKさんに「吉沢京子さんって誰?」と尋ねる。Kさんはぼそぼそと、ぼくに答えるが聞き取れない。二度聞き返しても、声は聞こえるのだが、意味がとれない。ぼくはしかたなくKさんに「どうしてだろ? ぼくには全然あなたの言うことが分からないよ」と言う。Kさんがもう一度説明してくれる。すると、「この家にとって・・・お嫁さん」という二つの単語だけが、意味のある言葉として聞き取れた。それで、吉沢さんというのは「ぼくらが逗留しているこの家が経営する会社の許認可権を一手に握っている人物のお嫁さん」なのだということが分かった。そこで「急いでぼくも別室で着替えるから」と言おうと思うが、それをためらったところで目が覚めた。

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3月31日の夢(川のある豪邸)

 どこかの豪邸を訪問している。社長と一緒に来たらしいが、彼の姿はすぐに消えてしまう。部屋には布団が敷かれていて、気むずかしいカメラマンが寝そべっている。この男がこの家の主人だろうか。家の中には自然の小川が流れ込んできていて、家をくねくねと横切ったあと、また外に出ていくようになっている。その川が室内に流れ込むところには、水面の上の空間を仕切るドアが付いているが、突然嵐が来て、すごい風と増水した川の水圧で、ドアはたちまち消し飛んでしまい、川の水がどっと室内に流れ込んできた。家には美しい夫人がいて、ぼくと彼女は「あらあら」という感じで、平然と笑って見ている。
 その夫人とぼくは別室に行く。そこは広い図書室になっている。ぼくは彼女に「家の中で図書室はここだけですか」と聞こうとするが、なぜかやめて、トイレへ行く。
 トイレは文字通りバスルームという感じで、便器はなく、奥に大きな浴槽が、その手前には足洗い用の水槽があって、その水槽が便器を兼ねている。そこにぼくはおしっこをする。お風呂に入るときは、これにお湯を足して薄めてから足を洗うらしいが、それで汚くないのだろうか。
 帰ることになり、その家の若主人と彼の自家用車に乗る。自家用車といっても大きな家のように巨大で、窓は運転席らしい彼の座った左側にあるだけ。あとは高い壁と広い天井。内部は普通の部屋のようで、ソファのような長椅子があつこちにある。ぼくは運転席とはかなり離れた後方のソファに座るが、そこからは景色も見えないし、若主人と話しもできないので、彼の隣のソファに移動する。隣といってもかなり離れている。車は走っているはずだが、床は全く振動すらしない。

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