6月26日の過去夢

 以下は病気になる直前、火曜日に見た夢です。この日は某詩誌の編集会議が紛糾したので、正夢だったのかも。チャイコフスキーコンクール、ピアノ部門は優勝者なし。残念だけど、ぼくは忙しくならずにすみました(笑)
 タクシーに乗っていたら、濁流が四方八方から押し寄せてきた。しかし、運転手は勇気ある態度で、濁流に向けて車を進めていく。
 ロシアを電車に乗って旅行している。ぼくは先頭の席に座っている。窓から、男達が濁流の川を泥まみれになって泳いでいるのが見える。変な女がぼくを誘惑しようと乗り込んできたので、追い返す。
 自宅に帰ると、ぼく宛の郵便物が来ている。開けてみると1月にすることになっている北村透谷についての講演(夢のフィクションです)への激励の手紙だ。だが、よく見ると、「一瀉千里様」と宛名を間違っている。失礼なやつだと思う。(一瀉千里さんという詩人の方は確か実在すると思います。その方とこの夢は何の関係もありません)

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6月29日の病気中の夢

 一昨日から昨日にかけて、流行性胃腸炎で寝込んでいました。またスリムになっちゃうな。そんな病気中に見た、ちょっと気持ちの悪い夢。
(夢ここから)
 我が家に広い部屋があり、家族でそこで食事を始める。ぼくと妻は現在の家族だが、子どもとして小さな娘がいるなど、細部が違っている。この家は最近引っ越してきたばかりで、まだあちこち探検していない。窓から意外に広い海の岩場や、台形の奇岩が見える。相当、景色のいいところに建っているらしい。
 さて、横長のテーブルにぼくと妻と子どもが座り、パンにチーズに僅かな生野菜という、粗食を食べ始めると、随分昔の仕事仲間たちが出現し、「お久しぶり」とか挨拶しながら、その食卓に加わる。中に、ミュージシャンの男性がいて、かたわらので大きな風呂敷の中からキーボードのような機械を取り出す。鍵盤のかわりに一面、ウニの針のようなものが生えていて、それに触って音を出す仕組みだ。だが、ぼくの小さな娘(現実には30代の息子しかいない)が触っても、小さな音しか出ない。ちゃんとした音を出すには二カ月くらいかかるらしい。
 どこかの音響機器メーカーの若社長が何人かの取り巻きたちを引きつれて、我が家にやってきた。ぼくの家にはヤマハのステレオが置いてある。彼らはそれを勝手に鳴らして、「いい音だな」と感心している。対応に出たぼくに社長はいかにも偉そうな口調で「いい音響機器はどこの国の製品か?」などと専門的なことを次々尋ねる。ぼくは「いろいろな国のものがある」などと、ごまかすが、とりまきたちは「そうだな、イギリスにもフランスにもあるし・・・」などと、適当に調子を合わせる。
 ぼくとの会話を終えた彼らは、「ゆっくり食事をしたいから」と言って、列車に乗り込む。列車は空中に敷かれたレールの上を走る、銀河鉄道のようなものだが、車体は新幹線のような最新型だ。そして、終点の駅を突き抜けて、もうレールのない空中へ飛び出してしまう。そこから一人の男が出てきて、空中に浮かぶ岩の上に足跡を印しながら次々飛び移って、空中のレストランへと向かう。そこで男達は食事をするつもりらしい。
 ウルトラマンとして出張から帰ってきたぼくは、名古屋のテレビ等にすとんと降り立った。これから日常の姿に戻って、自宅に戻るため、展望台への階段を駆け登っていく。しかし、なにも展望台へ登る理由はないのだと気がつき、逆に階段を駆け下りる。下の街路との間には溝があり、その上に金網が張られている。おそらく、その金網の上に足を乗せたら、破れて落ちてしまうだろう。だが、周りには女子高生のようなグループなどがぎっしり立っていて、どううまく飛んでも、向こう側に降り立てそうにない。そこへバスがやってきた。バスといっても、車体のないバスで、ハンドルを持った運転手もバスガールも乗客もみんな歩いている。
 昔に在籍していた会社に一人、忍び込み、夕闇の中で休んでいる。一人だと思っていたのだが、シャワー室に入ろうとしているのはどうも社長のようだ。彼がシャワー室に入っている間に、これまでの夢を「夢日記」に書いてしまおうと思い、2センチ四方くらいの小さな正方形のノートに書き込む。終わって、ノートを置こうとすると、指に貼り付いてしまったようで、外れない。しかも、ブーンという小さな羽音のようなものが聞こえる。どうやらこのノートは古くて、虫が発生してしまったらしい。気味が悪いので、ますます体から離そうと思うが、全然離れない。そうこうしているうちに、さまざまな人たちが誰もいないはずの空間に現れてくる。グループサウンズのザ・タイガースのメンバーたちもいる。中に一人女性メンバーがいるが、タイガースに女性メンバーなんていたっけ? 彼女はぼくに「どうしたの?」という顔をして見せる。ぼくは口に指を立てて「シーッ!」と言う。

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6月24日の夢(朗読会)

 円形の建物の半円の部分が屋外ステージになっている。そこでオーケストラをバックに、4人の詩人が自作詩を朗読することになっており、ぼくはその3番目に出演する予定だ。しかし、事前に何の準備もしておらず、ただ段ボールに自分の詩集などを入れて持ってきただけである。
 既にプログラムが始まっており、ぼくはようやく建物の裏の半円の側にある楽屋に、自分の段ボールを開けに出向く。ところが、開けてみると、入っているのは殆どがぼくの詩集でも掲載誌でもない、知らない書物だ。探しても探しても自作が見つからない。楽屋で困惑していると、係の人が「出演しなくてもいいのか?」と、ぼくを呼びに来た。しかたがない。適当に段ボールの中から小さめの本を取りだして、ステージに向けて走る。
 服を着る暇もなかったので、黒いズボンをはいているものの、上半身は全くの裸だ。そのまま犬かオオカミのように背中を丸め、狼男のような感じでステージに駆け上がる。雨が降ってきたせいか、聴衆は意外にまばらだ。皆、ぼくの半裸で獣のような姿に驚きの声を上げる。手にした本の適当なページを開けて、朗読を始めるが、どうもそれはぼく自身の作品ではないようだ。でも、どうせ聴衆にはそんなことは分からないだろう。風邪をひいたのか、いつもの自分とは似ても似つかぬ声だが、ハスキーながら高い声もちゃんと出る。上々の朗読を終え、再び獣のように背中を丸めて、一目散に楽屋に駆け戻る。

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6月23日の夢(四国旅行)

今日は「詩と思想研究会」でした。16人とぐっと人数は減ったのですが、少数精鋭の緊張感ある会で、本当によかった。
(夢ここから)
 船で四国へ修学旅行に行った。さまざまな船を乗り換えて、各地を回る。ある町の海辺で、ひとりぽつんと取り残され、孤独になってしまった。透明な海の浅い底には、緑の海草がスポンジのような感じでたくさん生えている。ぼくは水の中に足を入れてみる。温かい。手も入れてみる。
 最後の寄港地は高知だ。高知の海岸には見上げるような大きな波が動かずに続いている。これを超えて上陸するのだ。
 ある街でコーヒー店に入る。どの席に座って本を読んでもいいと言われる。小さな椅子、大きな椅子、カウンター席といろいろあって、迷うが、実直そうな店主のいるカウンターのところに座って、読書することにする。

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6月22日の夢(仕掛け時計)

 歩いていると、黒ネコヤマトのドライバーから「2万2千円の時計が1万5千円に値引きされているので、ぜひそれを買って、お客さんにプレゼントするといいよ」と勧められる。彼に教えられて地下道を進んでいくと、地面にその時計が並べられていた。鳩時計のような仕掛けで、正時になると4つの窓から4人の怪人が飛び出す仕組みになっている。こんな時計を顧客プレゼントに使っていいのかどうか心配だ。見本を同僚のOさんに見せる。他の社員たちも出てきて、口々に「これはいい」「安い!」とほめそやす。そこで、「そんなに評判がいいなら、ぼく自身が社長のところへ届けに行くよ」と言って、(多分、時計を持って)歩き出す。途中、背後から「一色さん」と声をかけられてきょろきょろする。すぐ後ろに経理の若い女の子がいて、ぼくに(多分時計の)代金を渡してくれたので、てっきり彼女に呼び止められたとばかり思ったのだが、ぼくを呼んだのは経理部長のIさんだった。

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6月20日の夢(巨大オープンセット)

 アメリカに移住したぼくたち日本人の集団居住地を、次々と謎の殺人事件が襲う。青い布のカーテンでおおわれた縦長の箱の中に首を突っ込んだ女性が、中に青年の死体を発見して「ぎゃーっ!」と悲鳴を上げる。だが、中からその当の青年が出てきた。ただ眠っていたのを、女性は見間違えたのだろうか。それとも、彼は生き返ったのか?
 ともかく、これが最後のクライマックスシーンで、ぼくらが出演していた映画は終わった。スタッフたちとぼくら出演者は和やかに言葉を交わし合う。セットの天井を指さして、大道具の担当者が言う。経費を節約するため、結構安物の材料を使っているのだと。なるほど。よく見ると、天井の大きな梁と見えたのは、プラスチックのようなぺかぺかの素材で作られたまがい物だ。セットは居住地全体が壁一面にパノラマ状に開いた窓から見渡せる、巨大なドーム状の建物である。居住地は同じ形をした一軒家が、無数に建ち並ぶスケールの大きなオープンセットとして造られている。さすがはハリウッドの大作映画だ。この居住地は狛江(アメリカのはずなのに、なぜかぼくの住んでいる町)という想定だが、窓から見える景色はあまりにも壮大で、かえってうそっぽい。きっとアメリカの砂漠地帯に建てられたセットなのだろう。
 そこでまた一騒動が持ち上がった。海賊が襲撃を予定している場所の一覧表が入手されたのだ。そこにいた老人の一人の顔がみるみる青ざめていく。彼の経営するここから遠く離れた場所にある会社が、襲撃場所に含まれているからだ。

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6月17日の夢(旅館)

昨日は、同姓同名の漫画家・一色まことさんのアニメ「ピアノの森」のコンサートに行ってきました。そんなわけで、アップする時間がなく、少し古い夢になってしまいました。
(夢ここから)
 昼食に旅館のようなところに行く。途中で外に出ると、斜面に大きな木の切り株のようなものがある。木製の輪のようなものと言ってもいいかも。それを男たちが切ろうとしている。ぼくはその切り株の根というか、枝のようなものの上を、ひょいひょいと伝い歩いて、なんとか落下せずに通り過ぎる。それから元の旅館に戻るが、ぼくは果たして昼食を食べたのかどうか思い出せない。だが、「お勘定」と言ってみると、ちゃんと請求されたので、食べたのだろう。きちんとお釣りなしに払ったはずなのに、5円玉や1円玉を返されたところを見ると、うっかりお札といっしょに小銭を渡してしまったらしい。自分の宿泊する部屋に行ってみると、まだ前の客の泊まったまま、掃除も片づけもすんでなく、ベッドが乱れたままだ。窓を開けることさえできない。人の気配にはっと振り返ると、入り口の近くに従業員らしい男が一人入り込んでいる。

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6月15日の夢(豪華客船)

 南の海を行く豪華客船に妻と乗って、いろいろなアトラクションを見物している。映画のさまざまなシーンを順を追って、ジオラマで再現しているものがある。登場人物が奇怪な水棲生物に変身するホラー映画だ。鏡が激しい音を立てて割れるシーンでは、ぼくら夫婦はジオラマのすぐ前で立って見ていたのだが、背後の客席で座っていた人々のところには、バーン!という大きな音と共に頭上から鏡の破片に見立てた金属片が降り注ぎ、観客から「おおーっ!」と嘆声が上がる。これは面白い。この映画の関連グッズを沢山買い込んでしまいそうだなと思う。
 アトラクションが終わり、一人トイレへ行く。なぜか裸足だ。ぼくの前に身体障害者の女性が車椅子のまま介助されながら便器のところへ行く。ぼくもその後からあいている便器のところへ行くが、便器の周りがひどく汚れて水たまりになっていて、とても裸足では近づけず、トイレをあきらめて外に出る。
 そこは乗客が立ち入りを禁止されている前部甲板だ。船体の縁はごつごつした丸石のつらなりでできていて、それが少しずつ下がりながら、無限の階層となって沖まで続き、沖へ行くほど少しずつスピードが速くなっている。これでは一体どこからが船で、どこからが海で、さらにどこからが空なのかも分からない。怖いので、足早にそこを立ち去る。

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6月14日の夢(オレンジの雪)

 ある女性に雪を降らせてくれるように頼む。夜になると、ちゃんと窓の外に雪が降ってきた。家の裏に面した窓から見る外は、雪にけぶる空全体がまるでオレンジシャーベットのようにぼおっと温かく発光している。妻を呼び、庭の側のサッシを開けて外に出る。空には赤や緑の光も輝いていて、信号の三原色が幾何学模様を描いているようで、とても美しい。雪を降らせてくれた女性にはいずれお金がしかるべきところから支払われるのだが、とりあえずぼくが立て替えて報酬を支払ってあげる。

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6月13日の夢(2つの旅の夢)

 仕事で一週間以上自宅を離れて取材をしている。お寺のような場所で、同行者と別れ、夕方これでどうやら東京に戻れそうだ。これなら一日予定より早く家に帰れる。だが、今日帰宅したら夕ご飯は用意してくれているだろうか。それが心配だ。
 妻と小笠原へ旅行した。意外に寒い。ターミナル駅の五階がホテルになっている。これなら、ここに投宿して、荷物を部屋に置いてから観光に出かけられるので、楽だなと思う。

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