9月20日の夢(ダンゴという動物)

 ここはアフリカ。人によく似たダンゴという動物がいる。ちょうど黒人とゴリラのハーフのような感じの二足獣である。このダンゴと一人の黒人の男とが同じ獲物を取り合った。それに怒った黒人は、ねぐらに帰ろうと川を泳ぎだしたダンゴを、両手に持った日本の棒ではさみつけ、水中に沈ませようとした。しかし、ダンゴの方が力が強い。反対に男の右目を殴りつけた。男は右目にハンセン氏病を病んでいたが、その眼窩を殴られて骨折してしまい、危うく溺死するところだった。そこへおばばがやってきて、「いくら医者が接吻してくれたとはいえ、その前に胞子が閉じてしまっていたのだろうよ(意味不明だが、夢の原文通り)」と男に言う。それから、12歳くらいの息子を振り返り、「おまえも安全圏というには少し大きすぎるから、伝染しているかもしれないよ」と言い聞かせる。

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呉智英くん

 自宅の部屋に蒲団が敷いてある。先輩詩人がここで寝ていたらしい。だんだん、その蒲団が一つの問いに見えてきた。その問いに答えなくてはいけないと思う。
 場面変わって、高校のクラス会に出席している。呉智英くん(中学・高校と実際にクラスメートだった。もちろん本名は別だけどね)も来ていて、教室で席から立ち上がってぼくに向かい何かを言う。ぼくは「うっせいなあ。俺は昔と人が変わったんだよお」と答える。
 それから自宅に戻り、冷蔵庫を開けながら、「ぼくは何も変わっちゃいないさ」と、一人ほほえむ。

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9月15日の夢(四次元投稿)

 ぼくの編集する「SとS」誌に、作品を投稿してきた詩人が、自分の作品に「四次元」をセットしていることが分かった。四次元をかけると、どうなるのだろう? 四次元が「時間軸」だとすれば、作品の時制がずれてしまうのだろうか? いや、そうではなく、その作品が印刷されたときに、この世界にとても危険なことが起きる気がする。だが、皆、その危険性をよく分かっていないみたいなのだ。作者に「四次元」を削除してもらうことにした。

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9月14日の夢(出張報告会)

 夕方、会社にいると、浜松に出張に行っていた何チームかが新幹線でいっしょに帰ってきた。口々に「今回ほど、どのチームもこてんぱんにやられたのは初めてだ」と言う。二階の楕円形の大きなテーブルの周りに、全社員が集まり、報告会のようなことが始まった。
 最初はぼくの関わっている仕事に対するクライアントの直しの報告だ。なるほど、これは根本的に仕事をやり直さなくてはいけない。でも、こんなふうに一つ一つの仕事の報告を、関係ない全社員が聞いていたら、夜中になっても終わらないだろう。
 お腹の空いたぼくは、途中でふらりと退席し、階段を下りて、外に出る。ちょうど12時を過ぎたところで、外は真昼だ。まだこの時間ならレストランにも空席があるだろう。ぼくはいくつかのレストランを覗く。どの店も確かに空席があるのだが、ぼくは入店する勇気が出ずに、うろうろと歩き回るばかりだ。

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9月9日の夢(環境会議)

 ヨーロッパのお城風の広いお屋敷で、その屋敷の主人を交え、環境問題についての会議を開いている。非公開の会議なのだが、侵入者の女の子が二人あり、奥の部屋に押し込めてある。
 会議のシナリオでは、このタイミングで屋敷中の捜査・点検をすることになっており、ぼくは主人と二人で各部屋を見回る。主人は屋敷からぼくを連れ出し、外へ出る。バスがやってきたので乗る。車内には環境問題の同志たちが乗っていて、そのまま会議になる。向かいの座席に座った男が、主人に向かい、「なぜ、あなたは環境切手を売るとき、環境切手だけでなく他の切手も売るのか」と詰め寄る。主人は「環境切手だけ売ろうとしても、売れないのは常識じゃないか」と反論する。
 ぼくはバスがどんどん屋敷から離れていくのが、とても心配だ。こんなに遠くまで来てしまっていいのだろうか。
 降りてから、乗客名簿が配られた。見ると、中に詩人の鈴木志郎康さんなど、有名人が混じっている。そんな有名人がいたのなら、ぜひとも記録にとどめておきたいと思う。

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9月7日の夢(八方ふさがり)

 会社で映像製作についての自分なりの指針を文章にしてデスクの上に置いておくと、それをうっかり制作部長のUに読まれてしまった。Uは「○○××なんですよねー」とぼくに言うが、何と言ったのか分からず、「えっ?」と聞き直すが、やっぱり「○○××」の部分が聞き取れず、意味不明なので、「ああ、そうなんですかあ」といいかげんな返事をする。
 名古屋の実家のあった覚王山で銀行を探す。やっと見つけたが、ちょうど現金輸送車が到着して店内に入っていくところだったので、遠慮して外で待つ。輸送車がいなくなってから、店内に入り直そうとしたが、どうしても店内への入り口が見つからない。しかたなく、別の銀行を探しに行くが、場所が分からないまま、大雨に降られて、ずぶ濡れになってしまった。

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9月6日の夢(吉原幸子さんの冷蔵庫)

詩人の吉原幸子さん(故人)のお宅に伺い、大きな冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中は溶鉱炉のよで、轟々と炎がいくつも上がっている。ぼくたちはそれぞれ持参した自分の肉を火の上に載せる。「うまく載せて、焼け焦がしてしまわないようにね」とお互いに言い合いながら。

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9月5日の夢(高速道路を歩く)

妻と旅に出ることになり、高架の広い高速道路の上を徒歩で歩いている。高速道路なのに、そこは大木が生い茂り、花々がカラフルに咲き競う美しい公園道路だ。景色を見ると、どうやらここは名古屋の久屋大通らしい。随分歩いたのに、駅になかなか着かない。カーブを曲がると、このあたりはもう東京の秋葉原のあたりらしい。妻が「駅はまだ遠いの?」と聞くので、「もう近いよ」と慰める。それより旅先のことがぼくは気になる。「でも、ホテルをとってないんじゃない?」と尋ねるが、妻は「そのようね」と意に介さない。

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9月3日の夢(また席がない)

(昨日の夢です)
 詩集の出版記念パーティーに妻と出かける。受付で問題用紙が配られ、その解答用紙を提出した順に、会場で席が与えられる仕組みだ。ぼくと妻は1番と2番で解答用紙を提出。時間があるので、開会前にその詩人の提出した作品を鑑賞する。文学と美術が一体となったオブジェで、とても美しく、感動する。
 パーティーが開会するというので、受付に戻る。床に受付をすませた人の名札が置かれている。しかし、一番にすませたはずのぼくと妻のものがない。「変だね」と二人で言い合い、体育会系の雰囲気の受付の男に苦情を言う。男は「ええ、聞こえてましたよ。困ったなあ」と言う。しかし、らちがあかないので、腹いせにぼく一人帰ってしまおうかと思う。

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9月1日の夢(父への土産が見つからない)

 父のおかげで、ぼくと祖母は何日間もの旅行を楽しみ、今戻ってきた。野球好きの父への何よりのみやげは、広島球場で見た中日・広島戦の試合経過だ。中日の2勝1敗で終わった3試合を、どの投手が何回まで投げたかの記録を、ぼくは確かに父のために清書しておいたのだ。ところが、父の前に出てみると、鞄の中にある土産や手帖、ノートを何度ひっくり返しても、その記録が見つからない。それでも、ぼくはあきらめきれず、道路にぺたりと座り込んで、何度も何度も探し続けている。(夢ここまで)
 現実には、ぼくの30年近く前に亡くなった父は、特に野球好きだったわけではありません。また、ぼくは父親への憎悪がいまだに消えず、たとえぼくが死んでも父母と同じ墓にはけっして葬らないよう(できれば散骨してほしい)、家族に遺言しています。

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