1月29日の夢(ホテルの映画会)

 浜松のホテルに妻と泊まっている。夜、サロンで映画会があるので、妻と見に行く。映写されるのは北野武監督の処女作だという。会場は子ども連れのファミリーなど、大勢の泊まり客でいっぱいである。画面は昭和30年代の日本の都市らしく、画面を懐かしい路面電車が1台走り過ぎる。次に川の上のシーンになる。暗い夜の川に電飾をいっぱいつけた船がたくさん航行しており、それらの船と逆行する形でカメラも水上を進んでいく。船とすれ違うたび、船上に美しく着飾った男女や子どもたちの姿が見える。カメラがすれ違う瞬間、ものうくこちらを振り返る子どものシーンにはっとさせられる。フェリーニか寺山修司の映画のような手法だと、ぼくは感じる。映画の最後は画面の中にたくさんの路面電車や貨物列車が走り込んでくる。すごい数だ。これらはとても全部が本物とは思えない。書き割りのようなものをレールの上に滑らせているだけではないのかと、疑問に思う。だが、時計が真夜中の2時になったところで、唐突に映写が打ち切られる。会場を出ながら、妻が「いかにもタケシらしいわね」と言う。ぼくは「いや、処女作だから、これでも随分わかりやすく作っているんだよ」と答える。こんなに夜遅くまで、妻が起きているのは珍しいなと思う。そのとき、ぼくが妻になにげなく渡したコンビニの袋を見て、妻は不審を感じたらしく、「なぜ、こんな袋を持っているの?」と尋ねる。見ると、その袋には「仙川」というマークが付いている。ぼくは「実はいろいろな所を回って、昼食を仙川(調布市内の地名)で食べ、それから浜松に来たんだ。でも、それは夢の中のことなんだけどね」と答える。

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映画作りと鉄板焼き

 仕事でPR映画を制作している。他社の作った映画から一部のシーンを借用することになった。その台本を入手して、ぼくが問題の場面を書き写して、台本を作る。ところが、実際に編集したフィルムを試写してみると、ぼくが書いた台本とは随分違い、時間も短くカットされている。しかも、出演している俳優は3人だけで、その3人がとっかえひっかえいろんな役を演じているので、なんだか変な感じだ。
 会議が長引くので、食事になる。バーベキューのような鉄板焼きが室内で始まった。そんな食事はどうでもいいから、早く会議が終わってほしい。でも、映画のスタッフは、こうやって長い打ち合わせを延々とするのが好きなんだよな、と思う。リーダー格の男性はぼくより若いが、びしびしとさまざまな指示を出す。ぼくより才能があるんだから、命令されてもしょうがないよなと思う。彼は自分の箸をひっくり返して、握り側で鉄板焼きの具をつまんで食べる。ぼくは手を伸ばして、そのまま箸のとがった側で具をつまんで食べる。ふと気がつくと、もっとぼくの位置から近いところに別の鉄板焼きがある。そちらをつまんだ方がよかったなと後悔するが、そっちは既に女性スタッフたちがあらかた平らげてしまっていて、殆ど残っていない。

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ズボンをなくす

 追われている。ナチかアメリカか、侵略者か。大きな建物の中の、水たまりか池のようなところを、初老の男女数人といっしょに、向こう岸へ渡ろうとする。みんな疲れて、難民のような感じ。飛び石のように、石が水面から突き出ているのを、つたっていくが、ぐらぐらしていて、とても不安定だ。今にも水面に落ちてしまいそうな不安に襲われる。なんとか渡りきり、ほっとして足元を見ると、なんとぼくはズボンをはいていない。武装した女性兵士に「ズボンを向こうに置いてきてしまいました。取りに戻ってもよいでしょうか」と訴える。彼女は意外にやさしく、ぼくと同行してくれるという。今度は兵士といっしょなので、池を渡らず、大回りして元いた場所に戻る。しかし、ぼくのズボンは見当たらない。

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海生生物の標本

 高層ビルのベランダで妻に、ぼくが採集した海の生き物のコレクションをいくつも見せている。みんな細かく仕切られた大きな標本箱の中に整理されているが、まだ生きている。中には箱に入れて、その箱を紐でぐるぐる巻きにしてあるのに、箱ごとぴょんぴょん跳ねている元気なやつもいる。ぼくもさすがにその箱をあける気にならず、「これは怖いから、あけないことにしようね」と言う。妻は「私は女の子だから、こういうのはあんまり見たくないわ」と答える。ぼくは「そうだ。もう一個あるから取ってくる」と言って、室内に戻る。だが、見つからないので、エレベーターで一階まで戻る。そこはごったがえしたデパートの売場だった。その最後の一個をぼくはどうしても見つけることができない。

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1月21日の夢(フィリピン旅行記)

 妻とフィリピンに旅行する。温泉があるというので、行ってみる。温泉といっても田圃のようなところで、外人の夫婦などが泥の中に腹這いになっている。胸を泥に沈めているのは、乳ガンに効く温泉だからだという。勇気を出して、泥の中を泳ぐ人もあると聞く。
 帰国することになり、出国口に行列する。ポケットからパスネット(私鉄の共通カード)を出して持つ。いや、電車ではなく、飛行機に乗るのだと、間違いに気づく。そこへツアーコンダクターがやってきた。コンダクターはS病院泌尿器科のぼくの主治医だ。精算の必要があるという。ぼくは55000円だ。「多いねー!」とコンダクター。温泉などへ行ったからだろうか。財布から現地の紙幣で払おうとすると、日本円でなければ駄目だと言う。ぼくの財布には分厚い札束が入っているので、それを取り出す。だが、その大部分は以前に交換しそこなったドル紙幣で、なかなか日本円が見つからない。ようやく55000円を渡すと、コンダクターはそれを持って、どこかへ行ったまま戻ってこない。一緒に行列に並んでいた妻も、その間にトイレに行ってしまい、戻ってこない。
 一人になったぼくに、群衆の中から二人の怪しげな男が現れ、「そのお腹にくっついているものは何だい?」と指さす。自分のお腹を見下ろすと、ジーンズのズボンのお腹のところに変な金属の塊がブローチか何かのようにくっついている。「ああ、これはベルトのバックルが外れてしまったみたいたね。なんなら、あげるよ」と、ぼくは精一杯の愛想笑いをつくって答える。抵抗したら生命が危ないかもしれないからだ。でも、ただでくれてやるのも、ちょっと悔しい。「なんならお金をくれてもいいし、何かと交換してあげてもいいよ」。そう言うと、相手の男は自分がベルトにつけていた、薄汚い金属の塊を替わりにくれた。受け取ってみると、ずしりと重く、しかも金色に輝いている。しかし、お腹の金属を男に取られてしまったので、ズボンのデザインが変に間が抜けてしまってかっこわるい。ぼくはジーンズにデザインとしてくっついていた金属製の紐のようなものの位置を直して、なんとかズボンの体裁を整える。

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1月20日の夢(コンクール養成講座)

 フランスへ旅行に行き、バスで帰国した。
 コンクール養成講座というのに通ったら、あるコンクールの5位に入賞して、20万円の賞金をもらった。新聞記者に感想を求められて、「現代詩も実験的段階では教えてもらって習うということができなかったが、ようやくノーハウが確立して、教えられるようになったのでしょう」と話す。

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1月18日の夢(裏庭のテント族)

 夜、ゴミを捨てに行こうとすると、妻が「庭に暴走族が入り込んでいるようだから、追い出して」と言う。ゴミ袋を提げたまま裏庭(40年前の名古屋の実家の裏庭)に行くと、そこにはいくつも白いテントが張られていた。「リーダーは誰だ」とぼくが叫ぶと、右の方から若い男が現れ、左からは少し老けたおばさんが出てきた。「ぼくはリーダーと話したいんだ」と再び叫ぶと、男の方がぼくと向き合った。彼はぼくに地図を示しながら「この地点は昔JRの○○線の分岐点だった。だから、ここは祭りの広場なのだ」と言う。その話なら、ぼくも聞いたことがある。「だが、それは地図の読み違いで、この場所ではない。ここは小田急線の支線の分岐点だったのだ。その線が廃線になったとき一緒に地中に埋められた者たちがやがて出てくる。そしたら、ここにいると怖ろしいことになるぞ」と、ぼくは脅かす。

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1月13日の夢(海霧の妖精)

 北海道の海岸。波打ち際をぼくは何かの乗り物に乗って、左から右に動いてきた。そして陸に向かって今度は少し波打ち際から離れるように動き、そこで静止する。遠浅なのに、砂浜は40度くらいの急斜面になっている。もし自動車だったらハンドブレーキが利かずに滑り落ちてしまうのではないだろうか。ぼくは急に不安を覚えて、振り返って足下を見る。すると、ぼくは車に乗っているわけではなく、折り畳み式の座椅子のようなものに乗っているのだと分かる。一体誰がぼくをここまで運んできてくれたのだろう? 
 波間からはもくもくと白い霧のようなものが盛んに立ち上っている。その霧が凝結して、真っ白なヤギが波間に現れる。つぶらな瞳がかわいらしく、ぼくはヤギとすぐ仲良しになる。いつのまにかヤギのかわりに、そこには白い妖精のような少女がいて、ぼくに「どこまでも付いていくわ」と言う。

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1月12日の夢(超内股から超ガニ股へ)

 会社が原宿のモダンなカフェバーの中に移転した。とてもかっこいい。隣の建物は日本語学校で、その隣はインターナショナルスクール。この二つの学校は経営者が同じらしい。日本語学校にはなぜか日本人の中年のおじさんたちも通っていて、彼らがインターナショナルスクールの屋上に上がっている。経営者が「学校のイメージが悪くなるから、降りるように」と説得している。
 会社から出て、原宿の街を歩く。なぜか右足がつってしまって、一歩踏み出すごとに右足が左足より左側に着地する。超内股で歩いている感じ。手で右足をつかんで持ち上げ、左足より右に着地しようとするが、どうしてもうまくいかない。試しに両足先を両手でつかみ、膝を地面につけて歩いてみると、これは問題なくできる。
 表参道からキャットストリートへ降りる石段で何人もの若い男性が着替えをしている。ぼくはうっかり彼らの脱ぎ捨てたカラフルな上着を踏んでしまう。彼らのガールフレンドが見ている前だったので、かわいそうなことをしたと後悔する。さらに行くと、道いっぱいに青い防水テントの布が敷き詰められていて、その下にも彼らの上着が埋もれているのをまた踏んでしまった。すると、ぼくの超内股だった歩き方は元に戻るが、戻りすぎて今度は超ガニ股になってしまう。

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1月10日の夢(携帯が鳴る)

 携帯が鳴った。ぼくのだけではなく、周りであらゆる人の携帯が鳴っている。とりあえず自分の携帯を取る。「吉田ですが」と女性の声が言う。「こないだ、二人でXXの店で忘れ物をしましたよね」と言う。吉田という女性にも、忘れ物にも心当たりがない。いや、アルツハイマーになって、みんな忘れてしまったのかもしれないと恐怖にかられる。「な、何を忘れたんでしたっけ?」「プレゼント用の包み紙ですよ」「えーと、ぼくは別にそんなもの、忘れたままで構わないんですが・・・」と答える。

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