6月2日の夢(仕事一覧絵図)

 編集部の仕事のすべての流れが、壁一枚分くらいの大きさのパネルに絵解きされている。各部門ごとに各担当者の動きがマンガ風のイラストで描かれており、コマとコマの間は矢印で、流れが分かるようになっている。それを見ながら、ぼくは「ぼくが京都大学に入ったのが1970年だから(真っ赤なうそ。ぼくが私立のW大に入ったのは1969年です)、その年から“北朝鮮の強制労働開始”と書き加えて」と、指示をする。

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5月31日の夢(電車が会社)

 電車に乗っている。電車の中が職場で、ちょうど就業時間が終わったところ。帰ろうと思い、座席にあった自分の荷物を網棚に載せようと思うが、同僚の女の子が沢山の荷物を先に網棚に載せてしまったため、載せるスペースがない。それに皆一向に帰ろうとしないので、ぼくも帰るわけにいかない。
 朝、お湯を沸かそうとするが、薬缶という薬缶、鍋という鍋にいろんな料理が入っていて、沸かす薬缶がない。

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5月28日の夢(コンピューターの内部)

 19世紀。ショパンとAさん、そしてもう一人誰だか覚えていないアーティストの三人が仲良しだったというのは、歴史上有名な話だ。会社の同僚の女の子に、ショパン全集とAさんの全集のそれぞれ第一巻を読ませていたのだが、それを読んでしまったので、両方とも第二巻を貸してほしいと言われる。それらの本は会社のコンピューターの中に入っているので、一人でコンピューターのところに行く。実はコンピューターの中を開けるのは初めてだ。記憶をたどりながら、上部にあるボタンを押すと、ボタンに赤い光が点灯し、パカッとコンピューターの扉を開くことができた。
 コンピューターの中は何段もの書類棚のようになっている。そこに二人の本があるはずなのだが、なぜか見あたらず、かわりにおびただしい写真のスライドがいっぱいに詰まっている。おまけに一番下の段が外にはみだして閉まらなくなってしまったので、押し込んでガムテープを貼り、無理矢理コンピューターを元のように閉じる。そして、またボタンを押すと、コンピューターは元通りになった。女の子に本を見つけられなかったことをどう言い訳しようかと悩む。
 窓の外をパレードが通っていく。みんなはそのパレードに夢中のようだが、ぼくはそのパレードにものすごく反感を抱いていて、無視して中に閉じこもっている。すると、またその嫌いなパレードが戻ってきたと、誰かがぼくに告げる。ぼくはもう我慢できなくなり、怒りのあまり外に飛び出していく。ところが、もうパレードは道の曲がった先の、ぼくからは見えないところへ通り過ぎてしまっていて、あたりはがらんと寂しくなっている。ぼくは気勢をそがれ、「パレードはもう通り過ぎたあとだったよ」と、さっきの誰かに告げる。道ばたには材木がたくさん置かれており、その上には木くずがまるで雪のように深く積もっている。

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5月27日の夢(沖縄)

 沖縄に取材に来た。ある大家族の息子を取材しに来たのだが、その母親が出てきて、ずるがしこそうな様子で「取材するなら、私の要求を受け容れてくれ」と言う。ぼくは熟考するが、きっぱり「駄目です」と母親の要求を拒絶する。母親は当然ぼくが要求を受け容れると思っていたらしく、口をあんぐりと開けてびっくりした様子だが、ぼくは構わずカメラマンと共に隣の部屋に取材に入る。
 隣の部屋は小さな体育館ほどもある広さで、中二階が周囲を取り巻き、一階と吹き抜けになっている。そこに子ども達をはじめ、祖父母などすべての家族が生活しているのだ。中二階は一階を取り巻くように、内側がひとつながりのデスクになっている。子どもたちはその好きなところに座って勉強をするらしい。いいなあ。ぼくもこんなデスクが欲しいと思う。撮影があると聞いて、大家族の人たちは一斉に着替えに表に出ていく。
 ぼく自身、沖縄の離島に引っ越してきてしまった。夜の8時過ぎに帰ろうとして渡し船に乗ろうとするが、もう海岸のお店はすべて戸を閉めてしまっている。ということは、もう渡し船も最終便が出てしまったのだ。今夜はこちらで夜を過ごすほかないのだと思う。
 ぼくは沖縄のテロリストで、もう一人の仲間と港を歩いている。敵が二人、物売りのワゴンを港に出している。一人で一人ずつやっつければいいと思うが、武器は仲間が持っていて、ぼくは丸腰だ。それでも、敵の武器を奪えばいいと思い、ワゴンに近づいていく。と、突然、横から別の男に「ちょうどよかった。ロケの撮影のエキストラになってくれない?」と声をかけられる。お坊さんがガスバーナーのようなものを手にしていて、そこから炎が噴き出し、空中に浮いている蓮の花のようなものとの間に、何枚もの花弁が炎の熱にあおられて飛び回っている。南の島の独特の宗教儀式らしい。ぼくは怪しげなそうした装置の一つを持たされ、居合わせた数人の男たちと共に撮影に参加させられて、終わって「ご苦労さん」と言われる。
 浅草のようなところで、街角でオペラをやっている。いろいろなお店で歌手が歌い、それで客寄せをしているようだ。通りがかったぼくは、それを聞くともなしに聞いている。ちょうど歌い終わったところで、外国人の女性歌手が店から出てきた。手にその店の商品を一つ恥ずかしそうにして持っている。店には商店主も店員も誰もいないが、出演料がわりに好きなものを一つ持っていっていいと言われたらしい。

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5月25日の夢(財布と靴をなくす)

 女の子がぼくのために両開きの立派な金属製の扉を作ってくれた。その扉に計算用紙がわりに数字を書き込んで、ぼくは何かの計算をする。そんな立派な扉をぼくに提供してくれながら、女の子自身は綿埃のいっぱいついたぼろぼろの紙しか使わず、それで計算して間違えてしまったと泣いている。
 旅館に仲間の男女二人と泊まる。二人は先に座敷に上がってしまったが、ぼくは玄関で靴をどうしようかと、もたもたする。どっちを実際に履いてきたのか分からないが、ぼくは黒い革靴と白いスニーカーと2足の靴を持っている。結局、スニーカーはビニール袋に詰めて、部屋へ持って上がることにし、革靴の方は旅館の女性に預ける。ところが、部屋に上がろうとして、自分が財布を落としたことに気がついた。一文無しでは旅館に泊まれない。慌てて玄関に戻るが、ぼくの革靴が見つからない。自分で床下を覗き込んでみるが、そこにはぼくのではない靴が1,2足あるだけだ。

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5月24日の夢(噴き出す夢)

 詩人のM氏が店長になって、渓谷の崖の上に観光客用のカフェを営業している。ぼくはそのスタッフの一人。そこは見渡す限りの岩だらけで、木や草は一本もない。川の両側の崖の上に幅の狭い平坦な岩場が続いており、その上に椅子とテーブルを置いただけのオープンカフェである。川は増水しており、突然、対岸の崖を突き破るようにして、大量の水が噴き出してきた。水と、水圧で跳ねとばされた岩がこちら岸にぶつかる衝撃を感じる。「あぶない! 崖が崩れる!」と、ぼくはとっさに判断し、店長に「逃げましょう」と言うが、スタッフたちは誰もぼくの意見を聞かない。その間にも、あっという間に濁流が押し寄せ、腰のあたりまで水につかってしまう。もうカフェなどあとかたもない。ぼくは逃げようと、手探りで水中に自分のリュックを探すが見つからない。「店長! 店長!」と叫ぶが、ぼく以外誰の姿もない。必死で水をかきわけ、逃げる途中、ふと手に触れるものがある。引き上げてみると、ぼくの探していたリュックだった。命からがら逃げ延びたぼくは、ようやく安全な高台に息もたえだえでたどり着く。何かの建物の入口にへたりこんだまま、ぼくは紙を広げ、九死に一生を得た思いを詩に書いていく。かたわらに男性がいて、ぼくに「生還したんだね」と声をかけてくれる。ぼくは「うんうん」とうなずくばかりで、声にならない。

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5月23日の夢(作家にサインを貰う)

60歳前後の和服を着た男性作家(実在の作家ではない)に著書を差し出してサインを貰う。ぼくはその本を市場のようなところに持っていき、そのむきだしの床の上に腰を下ろして、最後まで一気に読み切る。あとがきに作家は「私は丹下監督(映画監督らしいが実在しない)の第六助監督だった」と書いている。なんだかとても感動したぼくは市場を出て、住宅街を歩いていく。家々の屋根や木々の梢など、見るものすべてがいつもと違って見える。作家から勇気をもらった気がする。

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5月22日の夢(選挙管理委員)

 気がつくと某詩人団体の選挙管理委員になっていた。専用の大きな手提げ紙バッグが支給されており、中には既に郵送されてきた投票用紙が何通も入っている。毎日の投票状況をレポートする用紙もある。一日ごとに何通来たかを書き込めばいいのだろうと思い、出勤前にやってしまおうと、投票用紙を開封する。しかし、目が痛くて、投票用紙に何が書いてあるか、皆目見えない。おまけにレポート用紙には、小学生の夏休み日記みたいに、毎日の気圧が何ヘクトパスカルかを新聞のお天気欄で調べ、棒グラフで書き込む欄まである。ぼくはもう10日間もほったらかしにしていたので、妻がぼくのかわりに何日分かつけてくれていたようだ。一体、投票と気圧とどういう関係があるのだ。ばかばかしい。忙しいのに、こんなものやってられるかい! と、ものすごく腹を立てたあげくに眼を覚ます。(起きて、夢だとわかってからも、ものすごくプリプリ怒っていました)

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5月21日の夢(料理の夢2つ)

友人の漫画家Nさんは料理も得意で、彼女のフライパンの中にはカレーかおじやのような料理が三等分されて入っている。神田味とカリブ味と、もう一つは分からない。カリブ味の部分が神田味をじりじりと圧倒して広くなっていく。
そのNさんと、ぼくとNさんの友人であるファンタジー作家のIさんがメインゲストでお呼ばれをするというので、ぼくはお相伴するつもりで一緒についていく。ところが行ってみると、二人は欠席でお呼ばれはぼく一人だった。一段高くなっところに、床屋の椅子のようなものがあり、そこがぼくの席で、そこに鍋のような容器に入った料理が一品置かれている。招待役のY社のN氏は一段低いところに、へりくだって座っている。ぼく自身はおまけでついてきたつもりだっので、椅子にも座らず、料理にも手をつけていなかったが、ぼく一人しかいないのなら、やっぱりぼくが食べてあげないとまずいかなと思う。

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5月17日の夢(入れない部屋)

 会社の建物が新しくなった。ぼくの在籍する会社の部屋は、今自分がいるオフィスのほかに、道具をいろいろ置いた部屋があったはずなのに、いくら建物の中を歩き回っても、あるのは親会社の部屋ばかりで、探している部屋を見つけることができない。存在しないのでなく、なぜかそこへ行けないというふうなのだ。そこで、一度建物の外に出て、玄関から入り直したら、その部屋へ行けるかもしれないと考える。ところが、いったん外へ出たら、もうその建物へ入る入り口が見つからない。入ろうとしても、それはほかの何でもない商店だったり、戦後のナイトクラブだったりする。世界はカラーで色彩豊かに見えているのに、そのナイトクラブの中だけはモノクロの世界だ。そこだけが過去のためだろうか。ナイトクラブの中には津川雅彦など有名人の客の顔も見える。ここからビルの中へ入れそうな通路があるが、歩いていくうちにどんどん天井が低くなり、頭がつっかえてしまって、進むことができなくなる。

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