6月12日の夢(新学期)

 ぼくは学校の先生で、明日から新学期が始まろうとしている。担任する教室も明日から変わるのだ。まず以前の教室を、次に明日からの新しい教室の掃除をする。どちらも泥やほこりがいっぱいで、掃除機がそれを吸い込んで止まってしまうくらい汚い。大変な苦労をした後、やっときれいにすることができた。上司の学年主任に「明日は何時にここへ来ればいいですか」と尋ねると、「必ずしもこの教室がきみのクラスの部屋になるとは限らないんだよ」と言われる。がっくり。

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6月10日の夢(リヒテルの家)

 昔、ロシアの巨匠ピアニスト、リヒテルが日本に住んでいた大きな家(もちろん、そんな家は現実にはない。リヒテルは既に故人)が今はぼくの職場になっていて、その二階で仕事をしている。今日はその当のリヒテルがこの家に戻ってくる日だ。一階に降りていくと、玄関先に「Pの本」元編集長のK女史の姿がある。二人は個人的には険悪な仲だったが、そんなことはそしらぬ顔で、二人ガラス越しに手を振り合って挨拶する。気づくと、この家の周りはリヒテルを迎えようというマスコミやファンらが何重にも取り巻き、大変な騒ぎだ。
 ついにリヒテルが到着した。彼が車から降りて手を上げてみんなに挨拶すると、テレビ中継が一斉に始まり、ものすごい喧噪になる。
 ぼくは二階の小部屋で、同僚の女性とテーブルを囲んで座っている。そこへ女性のお手伝いさんがワゴンで料理を運んでくる。この特別席で、ぼくらは料理を食べながら歓迎行事を見物するのだ。その歓迎イベントの一環として、小学生くらいの少女たちがモダンダンスを始めた。
 そうやって悦に入っていると、沢山の招待客たちがこの部屋に招き入れられ、どっとテーブルを囲んでしまう。あっという間に、ぼくは彼らに押し出され、テーブルにはもう手が届かなくなる。所詮、ぼくは余計者だったのかと思う。
 リヒテルの歓迎行事が終わり、そこに一泊して帰ろうとすると、靴が見つからない。うろうろして、ぼくはしかたなく一階に降り、「あのー、ぼくの靴はどこでしょうか」と尋ねる。でも、みんなもうぼくの顔さえ覚えていない。「誰に入れてもらったの?」「鍵は持っているの?」などと聞かれる。ぼくが「最初からぼくはここにいたんです。二階で働いていたんです」と言うと、そこにいた女性や若い外国人の男性が「じゃあ、二階の客間からじゃないの?」と答える。
 彼らに教えてもらったルートで外へ出ると、ちゃんとぼくの靴もあり、やっと戸外へ出ることができた。地平線に雪を真っ白にかぶった連山が見え、とてもいい景色だ。このリヒテルの家には確か東京のある駅を降りて来たはずだったのに、まだ東京にこんな素晴らしいところがあったのだろうか。いつのまにかその家は以前よく一緒にステージに立っていたピアニストのSさんの家に変わっている。Sさんは「なかなか銀行がお金を貸してくれなかったけど、ゆっと手頃な物件が見つかって」と言っていたが、この家にはきっと大変なお金がかかったのだろう。ぼくも退職して引退したら、もっと自然の豊かなところに住みたいなと思う。

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6月8日の夢(洋服選び)

 洋服売り場で服を買おうとする。円形のハンガーに何着もの上着が吊されている。薄いグレーから濃いグレー、さらに真っ黒なものまで、全部モノトーンの色調だ。ぼくはその中から黒を選び、レジの女性に渡すが、間違えてグレーの服を渡してしまう。しまった。でもまあ、これでもよいかと一瞬思うが、やはり「この黒の方がいいな」と言って、黒い服を選び直す。ところが、よく見ると、黒い服は生地が薄くて、よれよれで、しかも綿埃が一面に付着している。「あっ、だけど、これはほこりっぽいね」と、ぼくはレジの女性に言い、その隣に吊られている服を見る。その服はさらにほこりで汚れていて、なんと鳥の羽までが付着している。ぼくはそれを指さし、彼女に「ここに鳥が来たの?」と尋ねる。女性は言いよどみ、「・・・」と黙ってしまう。

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6月7日の夢(打ち上げ)

 京都で何か朗読パフォーマンスのような公演を終え、楽屋で片づけを始めている。そこには死んだ母がいて、他のスタッフに「受付に置いてあったおつり用の大量の小銭はきっと息子(ぼく)が用意したものだろうから、返してやってくれ」と言う。ぼくは「いや。ぼくは1円も出していない。スタッフが銀行から持ってきたものだよ」と否定する。
 楽屋には天丼やサンドイッチなど、いろいろな種類のおいしそうな弁当が残されている。でも、きっと古いものだから、食べたら食あたりするだろう。
 ふと見ると、天井近くの壁に2本、縦の金属棒が立っていて、そこにぼくの息子が蝉のように取りついているのが見える。ぼくが声をかけると、「おーっ」と声を返してくる。首吊りの真似をしてぼくを脅かすつもりだったのが、そうする前にぼくに見つけられてしまったのかもしれないと思う。
 出演者たちはなかなか楽屋に引き上げてこない。打ち上げには出ずに、帰ってしまう人たちもいるようだ。
 楽屋には黒い布のようにも、板のようにも見えるものが置いてある。何かの法律の関係で、これはもう使ってはならないことになった道具らしい。それを何となくぼくは受け取ってしまうが、さて、これをどうしたものだろう?と考え込む。

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6月4日の夢(手みやげ)

 取材先に持っていく手みやげのセットを和菓子屋で注文する。しかし、もう昼休みが終わりそうなのに、なかなか手元に出来上がってこない。イライラしていると、女店員が器に入ったうどんを持ってきた。半分くらいが器からお盆にこぼれてしまっているが、お店の支配人はぼくに「おいしいから拾って食べなさい」と言う。お腹が減っていたので、ぼくは言われたままに拾って、うどんを食べる。気がつくと、ぼくの要求した手みやげのセットが紙袋に入って、ぼくの手にぶらさがっている。

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6月3日(両手に荷物)

 出張から帰宅するため、急行電車を乗換駅で降りる。ぼくのほかにも何人かがホームで降り立ち、そのままその場所で立って待つ。こうしていればそのまま歩く舗道のようにホームが動いて、ぼくらを各駅に運んでくれるような気がした。でも、そんなことは起こらず、ここで各駅停車の電車に乗り換えないといけないのだ。
 今度は妻といっしょに、両手に沢山の紙袋を提げて電車を降りる。急ぎ足に歩きながら、左手に持った小さな紙袋を、右手に持った大きな紙袋の中に入れる。これで少し荷物が減った。
 出口に向かうところで、まるで鍾乳洞の洞窟のように、天井が床近くまでぐっと曲線を描いて下がっているところがある。妻は「ここはとても・・・」と言う。「通り抜けられない」と言うつもりだったらしいが、二人は無事そこを通り抜ける。そこは小さな子供のための遊戯室になっていて、一人の若いお母さんが自分の子供を遊ばせている。部屋の真ん中に小さな滑り台のようなものがあり、ぼくと妻はそれを登って降りる。子供がオムツにうんちをしたのだろうか。とても臭い。そこを通り抜けたら、駅の外に出ることができた。両手が荷物でふさがっているのに、雨が降っている。

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6月2日の夢(取材パニック)

 東京郊外のある楽器店でレスなーさんためのイベントを開くというので、取材に行く。まず楽器店の事務所に行き、手帖を出して何人かの担当者に取材をする。手帖を出すのが間に合わないときは、そのあたりにあった四角い板に指で文字を書いてメモする。板についたほこりがこすれてかすかに文字が浮かび上がるが、殆どメモの役には立たない。「それでよく覚えられるね」と、みんなに感心される。
 会場に出かける前に事務所でトイレをすまそうとする。事務所の中は黒いスーツを着た若い楽器のセールスマンたちでいっぱいで、トイレは見つからない。廊下へ出ると、そこは普通のマンションで、住人の奥さんたちが歩いている。そこにもトイレは見つからない。
 外の広場に出て、そこから車に乗る。黒くてくたびれた車だが、とても大きな車。三列座席があるが、三列ともセールスマンたちで埋まってしまい、ぼくの乗るところがない。と思っていると、三列目の座席のうしろに、さらにスペースがあって、そこに地味な洋服を着た若い女性が乗っている。ほっとして、そこへ乗る。座席とはいえず、殆ど床に寝ている感じで、体を起こさないと、窓から景色を見ることさえできない。走り出してから、「しまった。この広場には公衆トイレがあったのに」と思うが、もう後の祭りだ。
 会場前に着いた。そこには風情のある歴史的街並みが広がっている。東京郊外にこんな街並みがあったのかと感激する。うっすらと雪化粧さえしていて、とても美しい。車から降りると、そこは荒れ果てた空き地で、ごみでいっぱいだ。イベントの責任者に話を聞こうとする。イベントが終わってからでもいいのだが、それでは帰宅が遅くなってしまう。相手も時間を作ってくれたが、話すには紙に書いて説明した方が早いらしい。空き地の地面に半分泥に埋もれていた白紙を何枚か拾い上げ、そこに何か書き始める。ぼくもメモ用紙のために、残りの紙を地面から拾い上げる。と、突然地元のおばさんたちが飛び出してきて、ぼくを取り囲む。「ここを掘って、大事なものを持っていくのはあんただったのね」と、すごい剣幕だ。「違います。ぼくは***という雑誌を編集している者で・・・」と胸ポケットから自分の名刺を出そうとするが、見つかるのは他人の名刺ばかり。ぼくが自分自身を証明するのに焦っている間に、別の人がぼくのことを説明してくれ、おばさんはあっさり引き上げて行った。

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6月1日の夢(イチローと電話)

 イチロー選手に電話する。「**から電話しています」と言うと、「早くからそうしてくれと言っていたのに」と冷たく言われる。もう一度電話するが、彼はにこりともしないで、一方的に自分のしゃべりたいことをまくしたてる。

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5月31日の夢(スターウォーズ最新作)

 ぼくは家で、小学生くらいの少女とおばあさんと一緒に暮らしている。二人は北側の部屋に二つ机を置いて、そこで生活しているのだ。もう一つ空き部屋があるのだから、少女は独立した部屋を持った方がよいのにと思うが、本人にはその気がないようだ。
 その部屋から大きな音がした。驚いて覗きに行くと、少女が転倒して、障子が破れたり、家具がひっくりかえったり、食事も散乱して大変なことになっている。それをぼく一人が黙々と片づける。
 家にはもう一人、見知らぬおじさんが来ている。二人と関係がありそうだが、肉親ではないらしい。家にあるテレビで、「スター・ウォーズ最新作」のVTRの再生が始まった。同シリーズはもう完結したと思っていたが、さらに最新作が出来上がったのだ。意外に宇宙が明るく、よく見ないと星が見えない。ぼくはみんなの最前列で、目を皿のようにしてテレビを見ている。皆が後ろで食事を始めたのが分かるが、ぼくは一人食事する気にもなれず、夢中で画面を見つめている。そうしながら、何度も椅子に座ったまま後ろのテーブルにもたれかかって、ひっくり返りそうになるが、倒れはしない。
 テレビの後ろに置かれていた銀のフォークとナイフを、おじさんが手に取った。そのとたん、その影響でVTRの再生が停まってしまい、ぼくはもうこのまま「スターウォーズ最新作」の続きを二度と見られないのではないかとショックを受けるが、幸い他の人が直してくれた。画面の中では、家にいる少女がロボットになってこちらへ歩いてくるシーンが映し出される。だが、なぜかぼくはあんなに夢中になっていたテレビを見るのをやめて、食事のために外に出てしまう。

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5月29日の夢(交通事故)

 ぼくは名古屋に住んでいて、東京の医者にかかりに行く。医者は和服を着た老人で、ぼくが小学生のとき通っていた算盤塾の先生に似ている。その医者に運動のしかたを教えてもらう。気がつくと、ぼくはTシャツを着ていない。なぜか目を閉じて、手探りでその家の玄関先を探し回るが、見つからない。
 高速バスに乗って、名古屋へ帰ろうとしている。女性詩人のAさんも乗っている。港の近くで、桟橋へ進入しようとする車列と交錯し、衝突しないか心配だが、うまく運転手はそれらの車を避けて疾走していく。ところが、後ろに薬品の袋をたくさんつなげて筏のように引きずって走っている車があり、その袋についにぶつかってしまう。制服を着たガードマンのような男がその袋に飛びつくが、バスはそのガードマンも引きずったまま暫く走る。やっと止まったときには、破れた袋からあふれた液体で、バスの中はくるぶしあたりまで浸水している。ぼくは乗客の一人に「体に害はないのでしょうか」と尋ねる。男が「いや、刺激があるらしい」と答えるので、ぼくは慌てて座席の上に跳び上がる。ぼくの一つ後ろには椅子ではなく、ベッドがある。そこへ上がりたいと思うが、うまく体が持ち上がらない。逆に、着ている服の一部を薬品につけて、濡らしてしまう。Aさんは窓から外を眺めながら、「早く帰りたい。バスを乗り換えさせてほしい!」と呟く。
 ふと気づくと、ぼくはもう名古屋の会社に戻っている。同僚に「知ってる? Aさんと事故にあったんだ」と話しかけるが、誰もぼくの話に関心を示さない。

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