5月29日の夢(空港待合所)

 グループで海外へ行き、誰かの家で実験のようなことをした。その仕事がうまくはかどり、例によって玄関で持ち物が行方不明になったりしたが、なんとか見つかり、いよいよ帰国することになる。
 空港へ行き、日本への出発までを待合室で過ごすことにする。待合室は金網を張り巡らせた学校のグラウンドのように広大な場所。なんだか収容所のようにも見える。そこへ入るまでは、仲間の女性の後ろ姿が見えていたのだが、右にカーブして金網の中に入ったとたん、そこにはいくら探しても仲間の姿がない。
 トイレに行きたくなり、待合所につながる建物の中に入る。それは校舎のような細長い建物だが、中はモダンでおしゃれな空間。女性専用のホテルになっているらしく、女性たちでいっぱいだが、男性の姿はない。当然ながら男子トイレもない。
 何度もトイレを探し回ったあげく、もう一度待合所に戻ると、金網越しに女友達の姿が見えた。二人ともほっとして、無言のまま眼差しを交わし合う。

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5月25日の夢(バス停)

 バス停へ行こうとする。バス停はこの古いビルの立ち並ぶ一角の向こう側だ。それならビルの中を通り抜ければ近道になるはずだ。
 ビルの中に入ると、小さな縦型の穴がある。通り抜けられるだろうか? 体を無理やり押し込むが、通り抜けられない。ぼくの後から若い男が来て、やはり通り抜けようとするが、彼も無理だ。
 あきらめて別の穴に潜り込む。しかし、やはり体がつかえて、どうしても抜けられない。

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5月16日の夢(四国の小学生の夢)

 ぼくは四国の雨が多い、高温多湿の海辺の町に引っ越してきた小学生だ。机は二人掛けで、隣に座っているのは級長の渡辺さん(ぼくの詩に出てくる登場人物)だ。授業時間中だが、クラスの男の子が問題を起こしたため、若い男性担任教諭はPTAのお母さんたちとの対応にかかりきりで、ずっと自習が続いている。
 ぼくはこっそり教室を抜け出し、学校の外に出る。目指すのは、これから学校へ来てくれる予定のО氏(かつての「詩学」編集長)のお屋敷だ。暗くて湿ったジャングルを思わせる緑の中にたたずむО氏邸は門が固く閉ざされている。ぼくはその門の前の石畳に、泥棒除けの金属片をいくつも差し込む。しかし、これでは通行する人たちに危険だと思い直し、それらをまた引き抜く。そうしているうちにО氏が外出しようとする気配がしたので、慌てて学校に戻ることにする。
 さっきはそんなことはなかったのに、途中の歩道を川のように水が流れているのを渡って、教室へ戻ると、隣の渡辺さんがいない。教卓のかたわらに台があり、そこには赤、緑、黄、青など色とりどりの蕎麦が笊に入れて置いてある。ぼくは空腹感を覚え、ちょうど戻ってきた渡辺さんに「これは人数分あるのだろうか?」と尋ねるが、彼女は「わからない」と言う。先生のいない教卓にはこの学校を紹介するパンフレットがある。町の写真も紹介されているが、観光スポット以外の住宅地は白くボカされている。個人情報だからだろうか。違和感を覚える。先生はまだ戻らない。

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5月5日の夢(野茂投手が後輩の夢)

 丘の坂道を会社に向かって通勤中。周りには同じ会社に勤める同僚たちがぞろぞろと歩いている。ぼくの後ろを歩く先輩の女性社員が後輩に何か声をかけている。しかし、後輩は無言で、返事をしない。
 振り返ってみると、後輩の男性社員は野茂投手だ。しかし、野茂もほかの男性社員も先輩の問いかけを無視したまま、横道に逸れて見えなくなる。先輩は「今の若い人達はいつも答えてくれないのよね」と愚痴を言う。ぼくは「先輩は野茂投手よりも年が上だったんですね」と問いかける。しかし、先輩ははぐらかして、ぼくを「もう7時よ!」と𠮟りつける。気がつくと、7時にかけた目覚ましが鳴り響いていた。

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5月4日の夢(どこへも行けない地下鉄)

 東京だが、ぼくの知らないイベント会場に来ている。緑もあるが、コンクリートに囲まれている。でもその切れ目から僅かに海が見える。
 帰宅しようとして、なにげなく手近な地下鉄の階段を下りる。路線図を見上げる。どの駅名もぼくの知らないものばかり。しかも、この路線は他のどの路線とも接続していない。これでは帰宅することができない。しばらく呆然としていたが、たまにはこういう地下鉄に乗ってみるのもいいのではないかという気になった。

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5月3日の夢(三島由紀夫のロボットの夢)

 三島由紀夫のロボットができ、それが路傍で何かの説明をしている。それに耳を傾けていると、中国人の一団がガイドと共にやってきて、一緒に聞き始める。
 今日は「日本の詩祭」で、ぼくは担当者として会場にいる。会場は古い洋館の内部のようなところで、白い壁には全く窓がない。椅子はなく、参加者たちは床に座っている。あちこちに布団も敷かれていて、そこに寝ている人もいる。会場から受付までの通路をぼくは歩いていく。ぽつぽつと実行委員が立っているが、もうあまりお客はやってこないようだ。

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5月1日の夢(本屋の夢)

 本屋で小さな雑誌を買ったが、お金を払うのを忘れて出てきてしまった。遠くまで歩いてから、しまったと思い、お金を払いに戻ろうとする。けれど、一回くらいいいんじゃないか。それに、レジの人ももうぼくのことを覚えていないだろうと考えなおし、そのまま歩き続ける。

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4月28日の夢(大きな火と激しい水の夢)

 ぼくは広大な敷地に沢山の居住棟が建ち並ぶマンションで家族と暮らしている。家族の構成は分からないが、家長はぼくで、父親がいっしょにいる。
 外を見ると、火事が起きている。それも敷地内のあらゆる建物の、窓という窓から炎が噴き出す大火である。だが、ぼくらの住む棟にはまだ延焼しておらず、避難も始まっていない。けれど、ぼくと父とはすぐに危険を察知し、直ちに脱出を決意する。火事を知らせにきた住民には何も言わないまま、ぼくは家族に「出発!」と宣言する。そして、ありあわせの二種類のお菓子を詰め込めるだけポケットに詰め込む。
 脱出してマンションの敷地と外を隔てる小川の対岸を歩いているとき、ぼくと父は家に忘れ物をしてきたことに気づく。川を渡って、取りに戻ろうとしたとき、住民が「鉄砲水だ!」と叫ぶ。見ると、小川は増水してごうごうと流れ、マンションの敷地も冠水して、すべての水がぼくらの進路と同じ左から右へと流れている。とはいえ、川はもともと人の身長ほどの幅しかなく、たいした洪水ではない。父親がまず川をうまく飛び越える。ぼくも続くが、勇気がなかったためか、ぼくのジャンプは対岸まで届かず、激しい水の中に落ちてしまう。濁流に倒れ掛かるが、ぼくはなんとか体勢を立て直して、向こう岸に這い上がる。もう炎は見えない。ぼくと父は水の中を家に戻ろうとする。

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4月24日の夢(喫茶店で研究会)

 詩と思想研究会を今日は店主たちのいるスペースを囲んでカウンター席のある喫茶店で開くことになった。一人だけ若い男性メンバーが遅れてくるという。ぼくが「来るまで待とう」と言うと、メンバーたちも店主たちも不機嫌そうに沈黙してしまう。あまりの間の悪さに、ぼくが「どうせ遅れてくるのだから、先に始めよう。まずオーダーしよう。ぼくはコーヒー」と言うと、皆とたんに活気づき、笑顔になる。
 女性に抱かれた赤ちゃんがふざけてうるさい。ぼくは振り向いて、赤ちゃんの頬をやさしく叩き、「そんなことしてると、こうするよ」と言うが、赤ちゃんは騒ぐのをやめない。ぼくは「それなら抓るよ」と言い、今度は力を入れて頬を抓る。だが赤ちゃんは泣くこともなく、平気な顔でぼくを見て、「うん。じゃあ、もうしないよ」と、ませた口をきく。

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4月21日の夢(ガスコンロ)

 ぼくの家は一戸建てだが、奥へと長く続くワンルームである。そしてワンルームの真ん中を長い一個のテーブルが奥まで伸びている。その一番奥のテーブルに散らかっている書類を整理してびっくり。書類の下はガスコンロで、ぼうぼうと炎が勢いよく上がっていたからだ。昨日、点火したまま、ずっと忘れていたらしい。書類を退けたときに、手を少し火傷してしまった。
 ぼくの家の裏には未舗装で砂利敷きの広い直線道路が伸びている。その通りを少し行ったところに、一軒の店があり、いろいろな詩人が手作りカードなどを置いて販売している。ぼくは一枚のカードを見つけ、それを誰かに奪われないよう手に持ったまま、ほかにも何か欲しいものがないか探す。今は西部の開拓時代で、ここは東海岸。地理的にはニューヨークのすぐ裏に当たるので、詩人たちがよくやってくるのだと思う。

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