9月2日の夢(河童の曲)

 何かのコンサートかコンクールのような場所。そこで河童の曲(具体的にどんな曲だか不明)が演奏されようとしている。若いピアニストもベテランのピアニストもいろいろな理由をつけて弾いてくれない。結局、楽しみにしていた河童の曲は自分で弾くしかないのか。
 クライアントであるY社の社員がヨーロッパのある町の市長になったので、挨拶に行く。市長室の彼のデスクのすぐ前に、横向きに三つの椅子が並べられ、そこには彼の旧友三人が座っている。その椅子から少し離れて、やはり横向きに椅子が一つあり、そこにぼくが座って市長と謁見をする。
 うっかり髭を剃らないまま、街へ出てきてしまった。でも、なぜか手に電気シェーバーを持ったまま、交差点を渡っている。

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8月30日の夢(おじさんの顔をさばく)

 おじさんの顔を包丁で魚のようにさばいていく。そのおじさんの顔がテレビの画面に「どうもありがとう」という感謝のメッセージと共に映っている。

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8月29日の夢(四谷の牛舎)

 雑誌の編集室にいる。校正を見ると、若い男性編集者が編集後記を間違えたページに書いている。怒って、注意をする。日頃口うるさくてプライドの高いベテラン女性ライターのMさんも、彼のミスにいらいらした顔をしている。
 編集室を出て、取材に出かける。ところが約束していた相手が現れない。中央線の電車で四ツ谷あたりの駅に降りる。駅の近くに牧場がある。四ツ谷にこんなところがあったっけ? 牛舎の中から、両脇を二人の男に抱えられて、びっこを引きながら警官が出てくる。牛に蹴られたらしい。情けない警官だ。これから牛の品評会だ。牛を鑑定するのはぼくと一緒に電車を降りた少年だという。牛舎からその牛を連れて、牧場の主人が出てきた。さっきのケガをした警官を思い出し、蹴られると怖いなあと、ちょっとおびえる。ぼくも牛について外へ出るが、牧場で飼われている猫たちがぼくの後についてき
て、盛んにぼくの気を引こうと、ころころ地面に転がったり、かわいい仕草をしてみせる。

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8月28日の夢(手のひら型食虫植物)

 電車でふと降り立った駅は、東京郊外のまだ開発の手の届いていない町。駅から出て、市内を巡る市電に乗り換える。山間の町なので、これは市電というよりもケーブルカーだ。傾斜のきつい路面を進む市電の内部はまるで観光バスのように豪華。乗客は小学生くらいの少年を含め、2,3人しかいない。窓には分厚い大きなカーテンが激しい風にあおられている。景色を見るのにじゃまなので、外そうとするがうまくいかない。窓の向こうには雪をいただいたスイスアルプスのような高峰がそびえ立っている。だが、なぜか景色全体が映画のスクリーンのように薄暗いのが不思議だ。
 歩くようなスピードで市電は渓谷に似た市街を走っていく。ぼくは「写るんです」を取りだして、美しい景色を撮りまくる。「写るんです」は進化していて、超薄型でとてもカッコイイ。停車した駅のホームでは、この町の特産のゴボウの宣伝販売をやっている。空からヘリコプターが降りてきたと思ったら、それは無線操縦のミニチュアヘリコプターだった。ホームのかたわらには水槽が置かれ、中には食虫植物とその餌が入っている。植物は人間の手のひらそっくり。お腹がいっぱいのときは緑色の握り拳のように見えるが、空腹になるとぱっと指を開いて、餌をつかまえる。そして、餌がいくら暴れてもぎゅっとつかんだまま、けっしてもう放そうとしないのだ。

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8月27日の夢(会社に入る二つの方法)

 自分の会社に入っていくとき、二つの方法がある。ふつうに入る方法と、魔術師として入る方法とがあるのだ。せっかく魔術を使って入れる方法があるのに、もったいないなと思うが、やはり普通に入ることにする。でも、玄関をくぐるとき、魔術の印が書いてあるのを見ると、つい魔術を使ってみたい誘惑にかられる。でも、やめておく。

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8月25日の夢(動物の引く新幹線)

 東北地方を旅行して、新幹線に乗っている。素晴らしいスピードで疾走する新幹線だが、レールの上ではなく道路を走っている。窓から見ると、この新幹線は大型犬のような二匹の動物が犬橇のように引っ張っているのだ。道路は左側通行だが、動物が右側に移ったので、対向車線ですれ違いを待っていたバスや車が慌てて反対須川へ移動するのが見える。そのうち動物たちはスピードを急に落としてしまった。しかし、新幹線そのものは慣性がついているので、運転士が左にハンドルを切って動物を轢かないように避けて、追い抜く形になった。ぼくらの席の窓の下で、二匹の動物はすっかり止まってし
まったのが見える。

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8月24日の夢(都市建設とトイレクエスト)

 東北で新しい都市を計画的に建設している。都市は二重構造になっていて、城壁のようなもので内側と外側の二つの市街に分けられている。その内側の市街だけで、もうすぐ2万5千の人口に達する予定だ。
 トイレに入る。トイレだという部屋は、ベッドやインテリアがきれいに整えられた普通の部屋で、ベッドカバーの上に弁当箱大の白い箱が置かれている。これが便器だ。しかし、この箱に命中させるのも至難の技だし、やっているうちに溢れてしまいそうに思われる。それなら通りを隔てて向かい合っているビルのトイレを貸してもらった方がいいと思いつく。早速通りをわたって向かいのビルに入ると、そこは一階・二階ともファストフード系のお店が並んでいる。隅々まで歩き回るが、トイレは見つからない。

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8月23日の夢(お葬式とゴキブリ)

 妻とお葬式に行く。舞台の上にうずたかくお供え物が積み上げられている。司会者が参会者の名前を一人ずつ呼んでいく。まるで国会の記名投票のよう。呼ばれた人はそのお供えの山の中から、自分のお供えを取り出して、祭壇に捧げる。ぼくは「テレビ関係者」というグループの最後の列にいて、ぼおーっとしていると、司会者に「一色さんはまだですか?」と促される。慌ててお供えの山から、自分が持ってきたものを取り出す。それは夢の解放区のメンバーとかつて発行していた同人誌「黄金時代」だ。大判のその雑誌はかなり古びて、表紙には大きな黒い穴もあいている。ぼくは妻とそれを見て、「だいぶ年季が入っているね」と苦笑し、丁寧に祭壇に捧げる。
 台所に大きなゴキブリが出た。必死でソファーの下をごそごそと逃げ回るそいつを、ぼくははえ叩きを持って追いかける。

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8月21日の夢(封印された津軽弁)

 自分たちが主宰する朗読ライブに、青森からただ一人出場する少女がいる。彼女は朗読用の作品を収めた大判のファイルを持っているが、そのファイルの中に一回り小さい縦長のノートが入っている。そこには津軽弁で書かれた作品が収められており、それだけはけっして朗読しないことにしているという。

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8月19日の夢(無駄の摘発)

 野外の競技場。といっても地面はでこぼこで整地もされず、草野球場のような感じ。ぼくは警備担当で「無駄なもの」がどこかに置いてないか、チェックするためグラウンドの観客席(といって固定した椅子があるわけではなく、草原の上に腰をおろす感じ)を一周して見回る。無駄なものはとても危険な存在なのだ。ちょうど4分の3ぐらい回ったところに、アメリカのブッシュ大統領が座っている。そのすぐ後ろを通過する。もうすぐ一周地点に戻るというあたりで、物置の棚におばさんが韓国製の食品をたくさん積み上げているのを発見する。これは無駄なものだ。直ちに摘発する。
 道ばたに辛い生活をしている犬たちが何匹もいると聞き、出かけていく。そのうちの一匹の黒犬が寝ころんでいるところへ行き、ぼくは棒を黒犬の鼻先に突き出し、遊んであげる。犬は生まれてから一度も人間に遊んでもらったことがないので、感激して大喜びでぼくの棒の後を追いかけてはしゃぎ回る。そして生涯で初めての満足を覚え、満ち足りた様子で家の中に入ると、そのままやすらかな眠りにつき、天に召されていく。(その後、目は覚めないまま大泣きをしました)

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