4月18日の夢(ゲテモノ商店街)

 十字路にいる。通りを隔てた向こう側は商店街だ。街全体がまだ開店していないため、通りの入口にある両開きの扉は固く閉ざされている。買い物にきた女性たちは十字路のこちら側で扉が開くのを待っているが、ぼく一人だけが十字路を渡って、扉の前に行く。
 しばらく待っていると、やっと扉が開き、その開いた扉と壁の間に、あやうくぼくの体ははさまれかかる。妻といっしょに商店街へ入る。中はモダンな地下街かデパートのような感じ。子ども用のきれいなものを沢山売っている。最初のフロアにあるのは貝や珊瑚のような海産物の小物。売場を見ていくにつれて、商品はだんだんゲテモノに変わっていく。透明なビンの中に入った真っ白なうどんのようなものは、あれはカイチュウだ。さらに進むと、象の首をいくつも売っている。子象の首だが、なぜか緑色の首だ。それを見て、妻は「思った通りのものになった」と苦笑する。ぼくは何か買って帰ろうと物色するが、一体何を買えばいいだろうか?

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4月16日の夢(式典の主役)

 日本が国家主義的な社会になっていて、建国記念日のような式典に、それと関連した演劇が上演されることになっている。毎年、それに出演したいなあと思いながら、ぼくは指をくわえて見ていたのだが、今年はなんとぼくが主役に抜擢された。自宅で前の晩にはもうすっかり台本を頭に入れ、ぼくはゆったりと本番の時を待ちかまえている。
 早朝、夜明けとともに、ぼくは満を持して会社に行く。社長ら幹部社員も次々とやってきて、ぼくを祝福してくれ、晴れがましい気持ちだ。いよいよ劇場へ行くことになる。控え室からちらりと見た舞台は、朱塗りの洞窟のような感じ。いかにも日本の古代からの伝統行事が行われるのにふさわしい。だが、式典会場から大声でがなるマイクの声は聞こえるものの、会場に人っ子一人姿が見えないのが奇妙だ。
 出演時間が近づき、ぼくは楽屋に移る。岩の洞窟のようなところだ。洞窟の先の開けたところが舞台だ。だが、やはりマイクの声が響くだけで、誰の姿も見えない。
 いつの間にか、ぼくの出番は無事終わったらしい。前前任の「Pの本」編集長のK女史はぼくと仲が悪いのだが、その彼女も一応祝福に来てくれている。ぼくは彼女にテーブルの上の厚いコピーの束を示し、「この三冊を全部頭に入れてやったから、安心だった」と自慢する。だが、「三冊」と言っているのに、二冊しか見当たらない。もう一冊はどこへ行

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二日分の夢

断片的な薄い夢しか見ていませんが、とりあえず二日分をアップします。
(4月13日の夢)
 会社が新しい場所に引っ越した。ぼくらの部署は細長いスペースだ。今までぼくは社長のすぐ目と鼻の先にデスクがあったのだが、ぼくは社長から一番遠い端から二番目の席になった。一番社長から遠い席は、社長からのパワハラで悩んでいたOさんのデスクだ。これで二人とも精神的に随分楽になった。
 ぼくは妻の書いたグランドピアノについての原稿をさっきから探しているのだが、どうしても見つからない。探しながら二階に上がる。そこもまた、ぼくの新しい職場である。ここには社長もいない。社員はとうとう二人だけになってしまったのだ。うちの会社も落ちぶれたものだ。おかげでここへ通うバスも2系統だけになってしまった。どちらのバスもいつもがらがらだ。
(4月15日の夢)
 若いピアニストが演奏する機会がなくなったのを悲観して自殺してしまった。そういえば、その自殺した部屋に、知人のピアニストMさんもいっしょに入ったはずだが、彼女も入ったまま出てこない。もしかしたら、二人で自殺したか、無理心中をはかったのではないかと、とても心配だ。
 そうしているうちにMさんの原稿が見つかった。それをデザイナーのSくんがレイアウトしてくれた。2ページ見開きの誌面にさまざまな小見出しが踊っているが、これではあまりに総花的なレイアウトで、彼女の自殺に至る要因が読みとれない。もっとちゃんと順を追って分かるよう、レイアウトすべきだと思う。

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4月11日の夢(つれあいの詩集)

 つれあいのOが新しい詩集を作ることになり、表紙を有名なカメラマンに依頼した。沢山の撮影スタッフを従えて、撮影地に向かって出発したが、前を走っていた車が突然火を噴いて燃えだした。そのため、足止めされて、道路脇の建物の中で休むことにする。
 アメリカの家庭によくあるような、裏側に中庭をそなえた建物。車座になって話しているうち、カメラマンが「運転を交替してくれないか」と、ぼくに声をかける。つれあいは「この人は運転免許を持ってないんですよ」と言う。カメラマンは「免許を持ってないなら、取ってもらいましょう」と言いつのる。ぼくは不快な気分を押し隠して、「いや、自転車にも乗れないぼくが免許を取ったら、あまりに危険過ぎます。何人も人を殺してしまいますよ」と、冗談にして笑い飛ばすが、カメラマンとの間は険悪なムードになる。おまけにお腹も減ってきた。「もっと何食分も買い込んでおくべきだったな」と、カメラマンはスタッフたちに言う。
 夜になって、やっと出発できることになった。ぼくはそのとき中庭に出ていて、中庭の隣家との境の印しに置いてあった、三日月型のコンクリートに電球が沢山ついている不思議なものを手にとって見ていたが、慌ててそれを放り出したので位置が変わってしまったが、まあいいやと思い、そのままにして出発する。なんだか罪の意識にかられる。それにしても、いつもは夜になると眠れないからいやだと言っているのに、つれあいが自分の詩集のことだといやに元気だなと不満に思う。
 そのつれあいが借りた分厚い本をぼくは持たされている。一階から階段を上がって、四階くらいまで来た。この階が地表とちょうど同じ高さなので、やれやれやっと外に出られると思う。しかし、本が重いため、本は歩くたびにビリビリと破れてちぎれ、ついにぼくの手から床に落ちてしまった。そこで、つれあいはようやくその本を外に持ち出すことをあきらめた。
 ところが、ちょうどそこにこの建物の女性職員が通りかかり、ビリビリになった本を見て、「その本はここのものだから、所長に報告しなくては」と言って、階段を降りていく。もう少しで外へ出られるところだったのに、残念だな。それにしても、こんな夜だから、もう所長は帰宅してしまって、いないのじゃないだろうか。

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4月11日の3つの夢

 オフィスで仕事をしていると、中年の男の来客があった。頭のはげかかった貧相な男だ。用件は「詩のボクシング」の件だという。そういえば、ぼくのデスクの上に、それについての原稿が載っていたな。女性詩人のIが書いたものだ。同僚たちは男を追い返そうとするが、ぼくはその原稿を持って、打ち合わせスペースへ行き、男と話し合う。
 今日はこれから映画の試写と打ち合わせをする予定だが、スタッフは別の打ち合わせが長引いているらしく、延々と待たされてしまう。そのうち、突然、白髪の男が一人、椅子を一つ持ってぼくらのテーブルにやってきて、「さあ、打ち合わせをしよう」と言う。こうして唐突に打ち合わせが始まったが、あっという間に終わってしまう。
 もう夜なので、みんな帰宅の足の心配をしている。ぼくもいつも乗る電車はもう終電が出てしまっている。駅の券売機の前に行き、町田経由で小田急線に出ようと思うが、その電車は9時半にしか出ず、しかも小田急線には接続しないと分かる。こんなことなら、オフィスのパソコンで駅スパートで調べてきた方が早かったと後悔する。
 
 打ち合わせの終わった会議室で、一人ね誰かが戸締まりに来てくれるのを待っている。だが、待つ必要などないのだと気がつく。なぜなら会議室の鍵はぼく自身が持っていたのだ。鍵をかけていると、ガラスの壁と下にわずかな隙間があって、そこに小学生の女の子たちが沢山押し掛け、てんでに自分の服を外から内に押し込もうとしている。ぼくはそれらの服を次々と引っ張って、中に入れる。そうしているうちに少女の母親たちがやってきて、彼らをそこから立ち退かせる。やれやれ、これでやっと帰れると思う。

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4月8日の夢(そっこへん)

 「そっこへん」という名前の少し小太りの女性がいる。彼女の作った三通りの言葉を第二候補とし、別の男性の言葉を第一候補として表紙に使っている。しかし、そっこへんの言葉のカードもすぐ取り出せるよう、ぼくは定期入れか何かに入れて持っている。目覚まし時計が鳴ると、パッとそっこへんの言葉のカードが目の前に現れて、目が覚めた。

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4月5日の夢(タルコフスキーの家)

 若い女性教師のところへ、出来の悪い女生徒が相談に行った。教師はマル秘であるはずの落第基準を生徒に教えてしまう。女生徒はその落第基準に自分が当てはまるので、「ああ、どうしよう?!」と教師に泣きつく。すると、教師は「ちょっと待っていて」と言って、奥の部屋に入ってしまった。その一部始終を見ていたぼくは、「この先生は駄目だな」と思う。かたわらから教師の母親が出てきて、「大丈夫よ、大丈夫よ」と言って、生徒を慰める。
 新しく大きな家に引っ越した。父と母とぼくの三人家族である。家には部屋がいっぱいあり、一室にはその半分を占める大きな浴槽がある。浴槽の縁は曲線を描き、面積こそやけに広いが、水深はとても浅い。浴槽が広すぎるので、有効利用しようとしてだろう。両親はその中に立派な書棚をいくつも置いている。樫か何かで作られた扉のあるデザイン家具調の書棚で、中の本は外からは見えない。
 その浴槽にお湯を張ると、当たり前だが書棚に水が入り、本が濡れてしまう。ぼくは慌てて寝室にいる両親を呼びに行くが、お湯は浴槽からあふれてすべての室内に侵入してくる。よく見ると、部屋の仕切部分には穴があけられていて、そこからお湯が次々と流れ込むようになっているのだ。あっという間に、家中に湯気の立つお湯があふれ、タルコフスキーの映画の一場面のようになってしまう。両親が寝ようとして、女性のお手伝いさんに蒲団を敷かせているが、その蒲団もお湯につかり、両親もお手伝いさんも困惑顔だ。ふと見ると、窓の外の屋上のようなところに一段高い部屋があり、そこにはお湯は侵入していない。しかも、三つのベッドが並んでいる。ベッドだから、ここなら濡れずに眠ることができる。ちょっと安心するものの、両親といっしょに寝るのではプライバシーがなくなるからいやだなあと思う。

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4月2日の夢(L字ストック)

 詩人のH氏にメールで詩のファイルを送った。H氏は「谷川俊太郎の詩を読まなくてはいけないので大変だ」と言う。ぼくは「真実のことをそのまま書いたって、それは詩じゃないのにな」と思う。H氏は海外遠征にこれから行くところらしく、スキーのストックのようなL字型の金属の物体を2本、部屋の外に持ち出す。ぼくはそれを持ってみる。どっしりと重い。それが地面に突き刺さるかどうか試してみるが、地面が固いので全く突き刺さらない。

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3月29日の夢(解体されたテレビ塔)

 「詩と思想」編集部の建物に泊まり込んでいる。T社長のご主人と、ぼくと、もう一人見知らぬ男性がいて、三人で蒲団を並べ、ごろごろしている。ここでは夕食の時間がやけに早い。そのため夜になってお腹が減るが、買い食いに出かけるわけにもいかない。
 あるホテルに入る。ロビーへの自動扉を通り抜けたとたん、上から頭に液体がかかった。なんだか、おしっこをかけられたような気がして、気持ちが悪い。そのままロビーを歩いていくと、従業員の女性が「入り口で水をかけられませんでしたか」と言いながら、おしぼりを持って、近づいてくる。よかった。水をかけられるのは、ぼくだけじゃなかったのだと、ほっとする。
 もう帰ることにして、車で走っていると、役割を終えた名古屋のテレビ塔が解体されて、いつのまにか根本だけしか残っていない現場を通りかかる。ヘルメットをかぶったとび職人が次々と鉄骨を解体していく。周りは住宅街で、そこにぽつんと土台だけになったテレビ塔が、こんなに小さかったのかと驚く。

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3月27日の夢(クビになった女性)

 これもアップする暇がなかった3月27日の夢日記。
 小学校の講堂のような広い場所。前の方にK会長はじめ、会社の幹部が横一列に座っている。会長がぼくを呼び、分厚い書類の束を寄越した。以前クビになったSさんが書いたものらしく、ぼくに読むように促す。そのクビ事件にぼくがかかわった証拠が、そこに書かれているのだという。ぼくが読んだのを見て、会長は「ニューヨークへ行ってもらうかもしれません」と言う。英語もできないぼくをニューヨークに左遷するということらしい。
 都電に乗っている。銀座で降りるつもりだったが、ふと気づくと知らない場所を電車は走っている。運転席の窓越しにお寺の名前がついた停留所の駅名が見える。どうやら気づかずに、乗り越してしまったらしい。電車を降りて、反対路線に乗り換えようとする。するとそこにもっと以前、会社にいて、やはりクビになったIさんが立っている。ぼくは彼女を見て、「あ、あなたはうちの会社にいた・・・」と言うが、名前が出てこない。彼女は「そうよ。でも、名前を思い出せないなんて、ひどい」と言う。懸命に思い出そうとするが、どうしても名前が出てこない。

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