6月23日の夢(詩の事務所開設)

 今日は詩の事務所のオープンの日だ。女性長老詩人のSさんや皇族の人も開設式典に来ている。まだ事務所の中は乱雑で、ぼくは床に山となっている荷物を足でこっそり払いのけながら、もうすぐ自分のスピーチの順番が回ってくるだろうと考えている。急いで話の内容を考えようとするが、会場に飾られた大きな名画の作者は誰なのかとか、お祝いにかけつけた皇族とは一体誰なのかとか、把握してないことばかりだ。ちょっと焦るが、そんなことは無視して、開き直って挨拶しようと心を決める。見ると95歳の現役詩人N氏が元気で、さかんに指示を飛ばしている。おまけに髪に緑の羽を挿しているのがとてもおしゃれだ。
 いつのまにかそこは劇場の舞台の上で、そこに事務所のセットが造られ、そのセットの中に座って、ぼくらは芝居を見ているのだった。後ろを振り返れば、きっと大きな観客席があり、そこからぼくらを眺めている観客が大勢いるはずだ。そう確信して後ろを振り返るが、そこには部屋の壁があるばかりで、観客席は見当たらない。ぼくの隣でこの芝居の記録をとっていた女性がN氏に、「ちょっと席をはずすから、後は記録して」と言って、メモと鉛筆を渡して立ち去った。それを見て、ぼくではなくN氏の方が彼女に信頼されているのだなと、ちょっとさびしくなるが、この舞台で何が行われているのか、ぼくはまともに把握できていないので、自分じゃなくて助かったなとも思う。
 建物のオープニングでは恒例として119番をすることで、安全を祈願する風習があり、今日も誰かが消防署に通報したらしい。サイレンを鳴らして一斉に消防車が駆け付けてきた。

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6月19日の夢(大皿料理)

 ホテルで昼食をとることになる。おばさんたちがいっしょにどどっとレストランに入っていく。バイキングの大皿料理だ。それを小皿にとって食べなくてはいけないのに、おばさんたちは図々しく大皿ごと一人分として持って行ってしまう。そのためなかなか食べ物にありつけない。ソファーのかげに、やっと誰にも見つからずに手つかずの大皿があった。今度は小皿がない。なんとか、誰かが食べ終わったものかもしれない、ちょっと汚れた小皿があった。それに料理を盛り付ける。さあ、食べよう。そこへおばさんたちが「あっ、こんなところにもあった」と言って、群がり押し寄せる。
 食べ終わったぼくはレジで現金で支払いをする。7000円を超すかなりの高額だ。だが、ぼくが何かの書類を見せると、レジの女性は「すみません。間違えました」と言って、ぼくにお金を返し、かわりに「書類にサインしてください」と言う。

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6月16日の夢(更衣室)

 みんなでプールに入ろうということになり、ぼくもその気になる。ぼくはプールが嫌いなはずなので、自分で自分にちょっとびっくり。
 その場で着替えようと、服を脱いで下着姿になったところで、みんなが更衣室に行ったことに気が付き、慌てて後を追う。
 更衣室は小学一年生の教室を兼ねているらしく、かわいらしい子供たちがぎっしり座っている。その間で、空いているロッカーを探す。ロッカーというより、それは透明な引き出し付きの棚で、どの引き出しにも色とりどりのクレヨンが入っている。それでも、みんなは空いているロッカーを見つけて、水着に着替え、どんどんプールに行ってしまう。
 ぼくもようやく一つ、あいている引き出しを見つけて、そこに半分だけ脱いだ服をしまったところで、何かがあって、その動作を中断する。それからまた、服を脱ぎ始めようとするが、せっかく見つけた引き出しがどこにあるのか見つからない。先輩のМ氏にも言って、いっしょに探してもらうが見つからない。そのとき、部屋が轟音とともにぶるぶると振動しだす。ぼくは「地震ですか」と尋ねるが、どうもそうではないらしい。きっと飛行機のプロペラが出す空気振動と、部屋が共振しているのだ。
 いずれにしても、みんなはとっくにプールへ行ってしまい、ぼくだけが更衣室に取り残されている。

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6月15日の夢(実家の庭)

 夜、用を足そうと思って、庭に出る。ここは名古屋にあった実家の庭だ。なかなか用を足せないでいるうち、闇の中からぬっと見知らぬ男が立ち上がる。驚いて逃げようとするが、間に合わない。男は手裏剣のようなものを投げてくる。いくつか身を交わすが、もはや絶体絶命。観念して、男の投げたのを身に受けるが、それは男の主宰する空手教室のチラシだった。

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6月11日の夢(自分が二人)

 夜中にトイレに行こうとする。我が家なのだが、沢山の人が部屋の中で眠っているようだ。祖母や知らない男性など、沢山の人がトイレに起きてきていて、なかなか入ることができない。真夜中のトイレは幽霊が出そうで怖いので、誰かといっしょに入りたいと思うが、みんなさっさとすませて寝てしまった。しかたがないので一人で入ろうとする。トイレの前には沢山のスリッパが乱雑に置かれている。わらじから現代的なスリッパまでさまざまなものがあるが、なぜか全部片一方ずつ不揃いなものばかり。しかたなく片足にわらじ、片足に現代のスリッパをつっかけてトイレに入る。中はぼくが幼年時代を過ごした名古屋の実家のトイレだった。便器の前に立つと、自分の着ている長い寝巻がじゃまになる。おまけにぼくの体は左右に二体あって、複雑に腕がからみあっているため、うまく用をたすことができない。
 会社にいて、夕方からのプレゼンに行こうとしている。自分の作ったラフのコピーをしようと一階に降りるが、他の同僚がコピー機を使っていて、あきらめる。待つ間にラフの上に自分で作って置いておいた握りずしを全部自分で食べてしまった。しまった。コピーしてから食べるべきだったと思うが、もう遅い。

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6月6日の夢(タクシーで揮毫)

 大きなイベントで司会をすることになり、タクシーで会場に向かう。こういうときは祝いに運転手にご祝儀をはずむべきだ。まず記念として半紙に揮毫をする。この代金が1万3千円。そのほか、あれが8千円、これがいくら・・・と大変な出費になる。そういえば財布にはそんなにお金が入っていない。一番お金のかかる揮毫はやめるべきだろうか。第一、記念に運転手に渡すものなのだから、運転手の方が払うべきで、ぼくが払うのは筋違いではないか。
 そんなことを思っているうちに、ぼくは畳の部屋にいて、半紙に揮毫を終わったところだ。字の下手なぼくとしては、日付や会場や自分の名前もまあまあ書けていて、ほっとする。ところが、いつのまについたのだろう。半紙の上には何かの液体が飛び散った跡が点々と黄色いしみとなって残っている。やっぱり書きなおすべきだろうか。

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6月3日の夢(展覧会と映画館)

 明日は秋田へ出張するので、朝早く起きなければならない。それなのに親子で出品する展覧会の準備ができていない。父と母が11時近くなって制作を始めたので、ぼくも慌てて踏み台に上がって、高い棚の上のものをおろしたりして、材料を集め始める。家の中には古い人形やらガラクタなどが山のようにあり、箱庭風のオブジェを作るには材料に事欠かないのだ。12時頃、父はもうできたと言うが、ぼくの制作は夜中の3時を過ぎても終わらない。これでは寝ている暇がないので、制作を中止して眠った。
 翌朝起きて、階段を下りる。地下へ降りる長い階段は、降りても降りてもまだ深い。ぼくの横を女性が歩いて降りていくが、ぼくは足が立たず、這って降りなければならない。
 ようやく映画館に着いた。なんとか間に合ったようだ。マニアックな映画館らしく、喫茶店のようなつくりだ。もともとは喫茶店だったのを改造したのかもしれない。一番手前の席が空いていたので、そこに座るが、そこからは覗きこまないとスクリーンが見えない。奥にも空席があるようなので、中に入る。しかし、通路が狭く、椅子を乗り越える必要があるので、とても難儀をする。ちょうど一列すっかり空席があり、その一番通路側に座る。だが、こんなに通路が通りにくいのでは、途中でトイレに行くのも大変だろう。腕時計を見ると、まだ3分近くあるので、急いでトイレに行くことにする。ところがトイレの通路は既に用を足した人とこれから足す人とでごった返し、すれ違うのも容易ではない。これではやっぱり開園に間に合わないかもしれない。

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5月27日の夢(トイレ)

 我が家のトイレに入ろうとする。そういえば、我が家には男子中学生たちが合宿中だった。トイレは彼らで満員である。うっかり開けてしまったドアの下にスリッパがはさまり、閉まらなくなった。用を足して中から出てきた生徒に「ごめんね」と謝る。「ぼくは奥の個室の方でするよ」と他の生徒に言って、個室のドアを開ける。
 そのとたん、我が家のトイレは体育館くらいの広さになった。あちこちの床に便器が点在しており、中学生たちがてんでに用を足している。だが、ぼくの用を足そうとした便器はセメントで埋めて、しっかりと固められてしまっていて、ぼくだけが用を足せないのだった。

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5月27日の夢(ズボン)

 街を歩いていて、いつのまにか自分がズボンをはいていないことに気づく。恥ずかしいから、古着屋でズボンを買おうかと思うが、裸というわけでもないから、そのまま歩き続ける。原宿の駅前で学生時代の友人のHに会う。彼もずいぶん年取ったものだと感心する。別れ際、ぼくは彼に「実はズボンをはいていないんだ」とレインコートの前をちょっとだけ開けてみせるが、いつのまにかまたいつもの白いズボンをはいていた。
 もう会社は退職したのだが、会社に行って個室で原稿を書いている。その個室は壁の中に塗り込められたようにしてあるので、社員でさえ個室の存在に気づかないかもしれない。仕事を終わり、ドアを開けようとするが、ドアの調子が悪く、うまく開かない。もし開かなければ、誰もこの部屋の存在に気づかず、ぼくは閉じ込められてしまうかもしれない。ようやく引き戸をこじあけて、オフィスの中に出る。もう夜なので、誰もいないのかと一瞬思ったが、一番後ろのデスクで一人の女性社員が残業をしていた。彼女はぼくに目をやるが、たいして驚いたようではない。

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5月24日の夢(熊男)

 食べ歩きツアーのバスに乗り込む。ほとんどがおじさん、おばさんばかりだ。
 たとえばある場所では、禅寺の僧侶たちがそばをふるまってくれる。一人ずつ小皿を芝生のようなものの上に置いて待っていると、かたわらで何種類ものソバの苗を僧侶たちが育て、それを棒のようなもので押して丸めてソバにして、ぼくらの皿の上にソバが自動的に乗る仕組みだ。芝生のように見えたのは実は薬味で、それもいっしょに皿に乗ってくるのだ。
 最後はバスから降りて、電車に乗った。電車が地上から地下のトンネルに入るところで急停車した。ぼくの後ろにいたおばさんが押されて「いててー」と悲鳴を上げる。窓から前方を見ていると、熊の毛皮を着て、熊の仮面をつけた男がトンネルの中から出てきて、係の男たちにつかまえられるところだった。男たちは熊男を棒でさんざんにぶちのめす。どうやら最近、そういう熊退治のゲームがはやっているらしい。ぼくには熊男が哀れに思える。なんだか羊男を連想させる。殴られる熊男をかたわらに電車は動き出した。なんと、仮面をとった男は貧相な老人ではないか。乗客たちは「かわいそうに。本当にいたそうですよ」と同情する。

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