6月27日の夢(南米のタクシードライバー)

 ぼくは南米のようなどこかの国の街で、タクシーを運転している。無線で仲間の運転手と交信する。「俺のクライアントはこの道をバックで逆送しろと言うんだよ」。ぼくは正体不明のクライアントに操られているのだ。とりあえず命じられた通りバックで進み、それから前進して、ほかの車の反応を探る。無関係の車ならぼくがバックをやめたことで、安心して走り出すはずだ。それとかかわりなく猛スピードで直進してくる車があれば、それがクライアントの乗った車に違いないと、ぼくは考える。
 気がつくと、ぼくの前をカップルが手を取り合って歩いている。それを危うくかわして前進したが、ぼくの車のタイヤが女性のスカートを踏んでしまった。その女性があげた叫び声を、ぼくの車の後部座席に乗った女が聞きとがめる。彼女の言葉が、クライアントの言葉とそっくりだと言うのだ。それを聞いたぼくは、車を反転させ、さっきの女を猛然と跳ねとばす。その衝撃で、ぼくの車は道路脇の店の中に突っ込み、後部座席の女は衝撃で車から放り出されてしまった。ぼくは動かなくなった女を夢中で抱きしめる。その女は実はぼくの母だったのだ。

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6月26日の夢(四谷の米軍基地)

 ぼくの所属する草野球のチームに、元ジャイアンツのクロマティ選手に加わってもらおうと思い、勧誘に出かける。彼が住んでするのは四谷にあるアメリカ軍の広大な基地の中だ。基地に入ると、丸太でできた小さな小屋がちくさんある。窓ガラスさえない、原始的な小屋だが、これはみんな独身のアメリカ兵のものだ。原始的でも、全員が個人の家を持っているのは、さすが個人主義のアメリカだと感心する。クロマティ選手は快くぼくの誘いに応じて、草野球チームに入ってくれるという。
 
 ビルのワンフロアが仕切られて、急ごしらえの舞台のようになっている。明日から劇団の地方公演が始まるので、そのリハーサルをやっているのだ。ぼくはその裏方なので、舞台の裏で俳優たちの科白に耳を傾けていると、総務のS氏がやってきて、「明日の航空券は大丈夫でしょうか?」と尋ねる。そういえば明日の飛行機は朝8時半の早朝便なのだ。地方公演を取り仕切っている中年の女性が、いつものように航空券の手配をぬかりなくやってくれているとは思うが、今日は彼女が病欠なので、ぼくにもはっきり分からないと、S氏に答える。
 そこへぼくが講師をしている某詩の研究会メンバーのH氏がモバイルのコンピューターを携えてやってきた。研究会では超問題児だったH氏だが、その後コンピューターを使ったデザインの世界で才能を発揮し、うちの会社でも彼にいろいろ仕事を依頼しているのだ。コンピューターを立ち上げて、彼の作品を見せてもらう。H氏もつくずく変わったものだと思う。

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6月24日の夢(大雪)

 ぼくは船で海に出ていた。夜、「これから帰宅する」と家にカエルコールをする。ぼくも、電話に出た妻も簡単に帰宅できると信じていたのだが、突然大雪になってしまった。浜に着いたものの、交通機関は止まってしまうし、歩き出してもものすごい積雪で這うようにしか進めない。それでも、ぼくがこんなところで雪に埋もれていることは、妻も誰も気づいていないのだ。ぼくは死にものぐるいで、もがきながらなんとか家に向かおうとする。
 真夜中、家にいると、外から女が呼ぶ声がする。好色家として知られていた、ぼくの叔父(実在しない)を呼んでいるのだ。しかし、叔父はもうとっくに死んで、この世にはいない。

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6月20日の夢(人類絶滅間近)

 未来の地球。人類は既に絶滅しかかっており、テレビ局は残り少なくなった家庭一軒一軒を顧客として大切にしている。ある家庭でお手伝いさんをしている少女は、毎年のように勤め先の家を替わり、家から家へと渡り歩いている。テレビ局では、この少女が働く家庭を主人公とするテレビドラマを制作した。それはその家族が一家全滅してしまう物語だ。番組が放映されたとき、彼女の姿が見えない。また家を替わったのかと思ったが、ひょっと顔を出した。まだいたのだ。

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6月19日の夢(自動改札)

 何かのパーティーに出席するため、新宿駅まで来た。改札を抜けようとして、胸ポケットにあるカードを次々と取りだしてみるが、どれで出発駅の改札をくぐったのか、分からなくなってしまった。カードの裏の印字を見れば、出発駅が刻印されているので分かるはずだと思い、1枚1枚丁寧にチェックしてみるが、該当するものがない。改札口の向こうには同じパーティーに出るらしい和服の女性たちがもう集まっている。でも、まだ始まるまで時間があるはずだから、落ち着いてゆっくり調べようと自分に言い聞かせ、もう一度1枚1枚見ていくが、やはり見あたらない。
 たまたまポケットに1枚の乗車券が入っていた。いつどこで買ったものか分からないが、これを精算機にかけて不足額を精算すればよいと思いつく。しかし、精算機が見あたらない。改札の駅員に「精算機はどこですか」と尋ねると、駅員はあいまいに駅の外を指さして、「あそこにあることはあるんですが、実はあまり正確じゃないんですよ」と苦笑いをする。それなら、この駅員に精算してもらおうと思い、ポケットから適当に1枚のカードを渡すと、駅員は不審そうに顔をしかめる。なんと、そのカードは1997年に使って以来、一度も使用されていないというのだ。ぼくは駅員にすっかり不審者扱いされてしまい、容易には改札を抜けられそうにない。

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6月18日の夢(テロップ係)

 ぼくはテレビ局に勤めていて、番組の画面にテロップを入れる役目をしている。次々といろいろな場面が出てくる度に、それに合わせて画面の下に、数行でいかに気の利いた字幕を流すかが腕の見せ所だ。
 それは音楽番組で、画面では新人の女性クラシックピアニストが演奏を始めた。あれは音楽ライターとして、ぼくと一緒に苦労していたIではないか。成功したのだ。良かったなあと思う。彼女の名前をテロップで流そうとして、手元の資料を見ると、彼女の本名が書いてある。あれっ、彼女の芸名は別の名前ではなかったっけ? 思わず声に出してしまったらしく、番組の出演者としてぼくの傍で待機していたベテランの女性ピアニスト(小川典子さんだった)が「そうよ。クラシックのピアニストが芸名を使うときは、本名とは全く違う名前にするのが普通よ。よーし、あたし絶対言ってやるからねー」と言う。名前を間違えたアシスタントディレクターのことを、番組のプロデューサーに訴えてやると息巻いているのだ。
 場面が変わって、この番組の女性司会者が画面に登場した。彼女の前のテーブルには緑色をしたミニチュアの小山のようなセットが置かれている。彼女は緊張してあがっているらしく、「坂本龍一さんから7月になったら、きっと貰えると思ったら、やっぱり送られてきました」と、なんだか意味の分からないことを言うと、緑色の半球形に先のとがった長い柄の突いたもの(柄の長い蝙蝠傘のようなもの)を何本も持ってきて、それを小山にブスリブスリと刺していく(ミニチュアの小山に樹木の模型をいくつも植えたような感じ)。すると、かたわらにいた何人かの女性がそれを小山からまた引き抜く。それで、その緑色をした半球形のものは針山であることが分かる。彼女たちはそこから糸のついた針を抜いて、一斉に縫い物を始める。
 この場面は女性司会者があがって、しどろもどろになり、あまりにも意味不明になってしまったので、司会者グループの一人である若い男性が彼女に、「ぼくは頭が熱くなり過ぎて、よく分からなかったんですけど、今の場面はこういうことだったんですかねー」と助け船を出して、懸命のフォローをする。

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6月17日の夢(巡礼)

 某現代詩人会主催の大がかりな詩祭が今年はとてつもなく変わった場所で開催された。ローマかギリシャの古代遺跡を思わせる、古い石造りの野外劇場で行われたのだ。ぼくは最初、左側前方のステージに近い席に見知らぬ女性といっしょに座っていたが、「あなたはここにいるべきではないのでは?」と彼女に言われ、立ち上がってほかの席を探しに行く。しかし、4〜5人ずつ単位に仕切られた席は満席ではないとしても、どの仕切にも必ず何人かが座っていて、空席も帽子が置いてあるなど誰かがいる気配である。これではどこにも自分の居場所がないと感じて、会場の外に出ると、会場の外壁を登っていく石の階段を見つけた。それを登ってみると、二階席・三階席の背後からステージを見下ろせる、会場の一番奥の一番高い場所に偶然出ることができた。
 
 会場を出たところで、学生時代の詩のサークルで先輩だったO氏をはじめ、何人かの仲間と出会い、この少し先にパゴダのようなものがあるから、そこまで行こうということになる。地図を頼りに出発するが、道は迷路のようだし、異様な生き物や盗賊に襲われたりして、冒険を重ねるうち、メンバーはだんだんバラバラになる。どうやらここはイスラエルとパレスチナのせめぎあうあたりらしい。ひとまず路傍の小屋に入り込み、一息つこうとする。ふと気がつくと、手に黒い大きなバッグを持っているが、一番大切なものを入れてあるリュックを持っていない。ドキッとする。だが、よく考えると、リュックはちゃんと背中に背負っていたのだった。
 夕方になり、ぼくらは宿に泊まることにする。バラバラだったメンバーが再びここに集結する。宿はフローリングの部分もあるが、部屋の部分は畳敷きだ。ここはシモンという都市だと聞いているが、こんなところにも日本人旅行者のための宿があるのだろうか? ぼくらのリーダーはもうかなりの年だと思われる関西弁をしゃべるおばあさん。夕食前に彼女の日本での苦労話を聞いたり、お互いに身の上話をしたりする。部屋の一方は池に面している。というより、この宿は池の上に建てられているらしい。反対側は中二階のように高くなっていて、その窓からは大きな広場とそこから伸びる車の走る街路が眼下に見下ろせる。どうも建物のこちら側は、この広場の上に建てられているらしい。もうすぐ夕日が沈む。さあ、食事をして、眠ろう。明日はようやく最終目的地のパゴダに巡礼することができるだろう

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6月15日の夢(自殺常習者)

 自殺衝動を抑えられずに神経病棟に入院している若い男性と向き合い、その話を詩人のN・F氏とぼくとで聞いてやっている。その若者の主治医をしている若手医師自身も実は自傷行為の常習者だという。この自殺常習者の男の話は長いのが欠点だが、「ぼくにとってそれを聞いてあげるのは少しも苦痛ではないよ」と、男に言ってやる。
 すると、男はいろいろな植物の名前を沢山挙げた上で、自分が好きな順番にその植物のリストに番号を振っていく。N・F氏はそれが我慢ならないらしく、「ほら、そうやって好きな順番をつけるところが、あなたのいけないところだ。植物に順番なんて要らないんだ。人間に順番がつけられないのと同じように」と批判する。ぼくは彼の言い方に反発を覚えながらも、「なるほど、その通りだなあ」と思う。
 そのN・F氏の書いた教科書に、一個所空欄になっているところがある。そこに当てはまる単語をぼくは当てなくてはいけない。みんなは分かっているみたいなのだが、ぼくはどうしてもそれが分からない。「待って! 待って!」と言いつつ、ぼくは焦って「遺伝?」「心?」「性格?」と、いろんな言葉を当てはめてみるが、それらは皆間違っているらしい。

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6月14日の夢(バスの中の座敷)

 観光バスが何台も道路に停まっている。劇場へ連れて行ってくれるバスだ。ぼくらは数人のグループで、これから観劇に行くところ。人数を運転手に告げて、乗り込む。車内には畳敷きで床の間もある座敷が三つ並んでおり、どの部屋もたくさんの座布団が置かれている。既に何人かの乗客が座布団に座っており、ぼくらは真ん中の部屋に座ることにする。
 劇場に着いた。客席にはテーブルが置かれ、そこにはおいしいものが並べられて、食べ放題だ。ところが、食べ終わらないうちに捜査官たちがどやどやと踏み込んできて、ぼくらは何も分からないままに尋問を受ける。何か事件があったのだろうか。ともかくいったん外に出て、次の幕で入って、また食べればいいやと思う。

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6月13日の夢(ホテルと教会付きの家)

 息子とその嫁と、彼女の友人らしいもう一人の女性が、ぼくらの家に向かうため、満員の地下鉄に乗り込もうとしている。嫁は息子に「お腹が減った」と訴える。息子は「じゃあ、俺が何か買ってくる」と言って、電車を降り、女性たちには「乗ってて」と言う。
 ぼくは自宅の玄関のドアをそっと開ける。自宅といっても、今の自宅とも、昔の実家とも全く違う。家の隣は我が家に付属するホテルになっていて、その前に嫁と連れの女性が立っているのが見える。二人は息子を待っているのだが、なかなか現れないので、二人はホテルに入る。
 ぼくの部屋とホテルの彼女たちの部屋とは隣り合わせで、カーテンをかけたガラスの壁一枚で隔てられているので、二人の影がカーテンに写る。ぼくはその影に向かって、「よかったら今、校正を持っていくよ」と声をかける。しかし、彼女たちは今着替え中らしい。「じゃあ、後でロビーに持っていくから、声をかけて」と、もう一度呼びかける。
 息子が嫁たちに「うちが教会を経営してたなんてなー。裏にあった建物が教会だったとは知らなかった」と言っている。そうなのだ。我が家はおんぼろホテルとおんぼろ教会を敷地の中に持っているのだ。トイレに入ると、窓から隣接する教会が見える。今にも倒れそうな、なんともみすぼらしい、木造の建物だ。その縁の下から、先端に水色の光が灯った細いチューブのようなものが出てきて、くねくねと動きながら、こちらを偵察している感じだ。

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