8月3日の夢(人間料理)

 大きなホールで、ピアノの歴史を集大成するピアノコンサートが行われることになった。ぼくはそこで配布される記念誌を作る役目になり、参考にと大冊の英語の本を与えられた。ピアノの歴史を書いた本だという。
 開催日が近づき、主催グループの人たちが案内のチラシを配り始めた。みんなが貰いに行くので、ぼくもそれに加わり、会場でいろいろな展示を見ることにする。来場者のために食事の用意が会場の両側にされている。大きな皿にばらばらに刻まれた大蛸が盛られているが、まだ生きて動いているうえ、材料は蛸ではなく、人間の女性のような気がしてならず、とても箸をつける気にならない。
 そこへ電話が入り、女性の声で「あなたの作った記念誌が人気でほとんどなくなったから、追加の部数を送ってください」という依頼がある。

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8月2日の夢(響き渡る声)

 商店街の店舗の二階にぼくの自宅がある。いくつも和室が並んでいるが、壁にも床にもわたぼこりがたまっているので、いくつもあるマスクの中からきれいなデザインのものを選び、大掃除をする。玄関口の部屋に日本人一人、外国人二人の三人の女性がお客に来ている。彼女たちの会話にぼくの名前が出たので、「そういえば、お二人の展覧会が開かれているから、そこで待ち合わせましょう、と言われたことがあります」と、外国女性二人に声をかける。
 三人が畳敷きの狭い部屋に座っているので、移動するには外国人女性の足を跨がなければならない。ぼくは「エクスキューズ・ミー!」と言いながら跨ぐが、意外に大きな声を出してしまったので、自分でびっくりする。すると部屋に、姿は見えないが男性の大きな声が「そうそう。そう言わなければならないんだよ」と響き渡る。
 窓から外を見ると、フェンスの鉄柵に五円玉が引っかかっているので、手を伸ばして取ろうとするが、途中でそれが子供のおもちゃであることに気づく。箒で地面に叩き落とすと、チャリンといい音がする。

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7月30日の夢(デパートのエレベーター)

 デパートのエレベーターに乗り、11階を目指す。もう一人、中年の眼鏡をかけた男性も乗り合わせている。しかしまだそのフロアは開店前だったことを思い出し、慌てて運転ボタンを下降に切り替える。男性は7階のボタンを押して、その階で降りていったが、ぼくは降り損ねて、そのまま1階に戻った。エレベーターのドアが開くと、そこには守衛が立ち、ほこりっぽい汚れた世界が広がっていた。

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7月27日の夢(S社の新社長)

 新宿にあるY社のアーティストサービス室をS社の社員に同行して訪問する。ぼくはS社の元社員なので、名刺を持っていない。ガラス張りの玄関先でY社のスタッフに「元S社の一色です。今は名刺はありません」と挨拶する。なぜかぼくは黒いシャツを着ている。
 自分の会社に戻ると、そこはいつのまにか反社の人たちに占領されている。ぼくもその机に座り、プラスチック製の容器のかけらや、地図の破片を懸命に拾い集めようとしている。懐かしい人たちの面影を探そうとしているのかもしれない。
 どうやら社長が世襲制で若社長に交代したらしい。広いオフィスの奥で若社長が挨拶をしているが、ぼくはそんなもの聞いていないというしるしに、会場を勝手に歩き回る。そこに置かれたデスクは皆、年季の入った古い木製のものだ。自分のデスクの抽斗を開けてみて、そこに入れておいたはずのぼくの大切にしていたものが消えていることに気づく。デスクが勝手にどこかへ移動されたのではないかと思い、同僚たちに声をかけてあちこちの机の抽斗を開けてみるが、ぼくの大切にしていたものはどこにもない。

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7月25日の夢(コンサートの取材)

 ある政党の主催するピアノコンサートを取材してくれないかという趣旨の招待状が届いた。6時開演で、会場も「千種」駅近くなら、5時半に会社が退けてから行けると思う。
 しかし実際に行ってみると、千種駅は初めての場所なので、地図を見ても会場への行き方がよく分からない。行く手に見える小高い丘の上らしいと検討をつけ、近くのお店の人に尋ねてみる。「ああ、そこなら地図のこの緑色に塗られたところですよ。小さな建物なので、よく探さないと、気づかずに通り過ぎてしまうかもしれません」と教えられる。
 ぎっしりと立ち並んだ建物の壁と壁の間をようやく通り抜けて丘の上に向かう。腕時計を見ると、もう開演の6時だ。焦って見直すと、まだ6時10分前だ。しばらくしてまた時計を見ると6時だ。だが見直すとまた10分前に戻っている。
 そんなことを繰り返して、やっと会場に辿り着き、受付の男性に招待状を渡す。取材なので名刺も渡そうとするが、カバンの中には他人の名刺ばかりが入っていて、肝心の自分の名刺がない。おまけにカメラも忘れてきた。
 コンサートの始まっている音がしているのに、入り口は開放されたままなので、そのまま中に入る。ピアノコンサートだと聞いていたのに、声楽の独唱をピアノが伴奏している。驚いたことに、通路の両側のテーブルにビュッフェスタイルの食事が用意されている。これなら、コンサートのついでに夕食もとれるなと安心する。

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7月23日の夢(自主製作映画と友人の来訪)

 教室のように見える会議室に、自主製作映画をつくる仲間たちが顔合わせのために集まっている。車座になった一人一人が映画製作になぜ参加したかを発表していく。ぼくの番になり、立ち上がって、「ぼくは露文出身で、専攻はマヤコフスキーでした。彼は詩人でありながら、映画製作も行い、主演俳優としてもとてもかっこよかった。ぼくもそれに倣いたいと思いました」と言う。ほぼ即興だったが、ぼくの発言は思いがけぬほど熱狂的な拍手で歓迎される。
 自宅を旧友たちが訪問してくれることになっている。じりじりとして待っていると、玄関のチャイムが鳴り、彼らが到着した様子だ。ぼくは左端の女性を見て、漫画家のMさんだと思い込み、「Mさん、お久しぶり!」と声をかける。しかし彼女は「私は違います。けれど……」と言い淀む。ぼくは家の一番奥にある部屋に彼らを連れていく。パーティーをやれそうな広さの部屋はそこしかないからだが、それでも狭すぎる。メンバーの一人が「カーテンを開けてみたら?」と言うので、言われた通り開けてみると、そこには縁側のような空間があり、少しだけ部屋が広くなった。メンバーの二人がサッシを開けて外に出る。そこはネオンのきらめく街頭で、ヤンキーのような男たちが近寄ってくる。彼らは二人の頭に袋をかぶせ、首を絞めるなどの暴行を働く。二人は声も立てず、ヤンキーが行ってしまうと、何事もなかったように部屋に戻ってくる。ここでパーティーを開くための通過儀礼のようなものであったらしい。

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7月22日の夢(Hくんの来訪)

 学生時代からの友人であるHくんがわざわざ新幹線で会社を訪れてくれた。彼は今ではイラストレーターになっており、ぼくが制作している楽器カタログのために、山のような資料をもとに、さまざまな楽器のイラストを描いてくれている。ぼくは出来上がった作品をチェックするが、和太鼓を描いた一点だけ、太鼓も、それを叩く少女も、画面の奥に位置しているのが気に入らず、ダメを出す。
 今日は日曜出勤をしているのだが、ぼく以外の社員たちも夕方を過ぎても退社せず、社内はとても活気がある。部屋は和室のようで、デスクではなく、皆座卓を囲み座って仕事している。Hくんが夕食のためか、席を外してしまったので、ぼくは壁面に設置されたマルチモニタースクリーンで遊ぶ。壁の右下に大きめのスイッチ程度の長方形のタッチパネルがあり、そこを指でさわるとどんどん画面が変わっていくのが面白い。こんな新奇な設備をHくんに見せてやりたいなと思って触れているうちに、ぼくの操作がまずかったのか、モニターのいくつかが点灯しなくなり、室内照明も半分消えてしまった。
 かたわらにいた同僚の女性が「一色さん、21,22,23の三日間、社長やってくれる?」と尋ねてくる。多分、クライアントとの交渉の際、ぼくに社長役として同席してほしいということなのだろう。ぼくは「いいよ」と答えて、階下に鞄を取りに行く。しかし階下にあったのは鞄ではなく、紙バッグだった。中を探しても、社長の役名を書いた名刺入れが見当たらない。おまけに背広も一部が裂けている。これでは社長役はできないだろうと不安になる。
 そこへHくんが帰ってきた。部屋の入り口に同僚の男が寝転んでいるので、彼は男をどかそうと「すみません」と声をかけている。ぼくは「どくわけないから、勝手に跨いでくればいいよ」と言い、彼もそうする。近くにやってきた彼に「さっきの和太鼓の絵を見せて」と頼むが、どこを探してもその絵だけが見つからない。

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7月20日の夢(生活指導の部屋)

ぼくは学校の教師である。生活指導の意地悪そうな男性教師から、生活指導に使う部屋を改修・拡充することになったと言われる。彼に連れられて、校舎左端にある問題の部屋を見に行く。部屋は正面の壁に大きな亀裂が走っている。その亀裂は岡本太郎の絵画のようにも見える。「この部屋に応援が必要になったら、西館から人を呼ぶんだ」と、彼は満足そうに言う。

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7月18日の夢(銀座海岸)

 ハワイからの社員旅行帰りの飛行機で、網棚の上に置いたぼくのスーツケースが、いつのまにかトロピカルフルーツでいっぱいの箱にすり替え得られてしまった。でもぼくはトロピカルフルーツが大好きなので、スーツケースを盗られたのに満更でもない。しかし着陸が近づいて、網棚の上を再び見ると、そのフルーツの箱が見当たらない。今度こそ本当に盗まれたのだ、とパニックになる。
 羽田空港から夜の銀座に戻ると、ぼくの恋人が待っていてくれた。恋人は眼鏡をかけた中年の男性カメラマンだ。自分の恋人が男性だったのにはちょっと驚く。銀座には総ガラス張りの建物があり、中で賑やかなイベントをやっている。それを屋外の三段になった観覧席で見ていると、カメラマンはそれを撮影したいからと言って、ぼくから離れる。
 銀座は遠浅の渚になっていて、茶色の波が打ち寄せており、沖から漁船が戻ってくるのが見える。美しい風景に見とれているうちに、カメラマンのことはすっかり忘れてしまった。
 帰宅しようとして駅の待合室に入ると、そこに恋人のカメラマンがやってきた。再会したカメラマンとデートするのはいいが、その後キスをしなくてはいけないのだろうか。
 家の近くの駅から出ようとすると、歩道橋いっぱいにソファーやベッド、クッション等がぎっしり並べられ、エキストラたちもいて、どこかの家具屋のコマーシャル動画を撮影中だ。ぼくは猛烈に腹が立って、それらの家具を乗り越えて、無理やり階段を下っていく。歩道橋の下にいた監督らしい男がぼくを見とがめ、声をかけてきた。ぼくは逆切れして「警察に行こう!」と大声を張り上げる。男の手下らしい腹にさらしを巻いたヤクザふうの男と共に、ぼくは歩道橋を右に曲がって交番に向かう。しかしぼくはなぜか下着姿である。ぼくが「途中で追いはぎに襲われて、こんな姿になってしまったんだ」と言うと、男はぼくにすっかり同情してくれる。
 歩道橋は女子高生などでごった返しており、なかなか前へ進めない。交番もなかなか見つからない。前方のネオンの向こうに赤く光る灯火を見つけて、男は「あそこの赤いのが交番じゃない?」と、ぼくに品をつくって言う。

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7月16日の夢(会社の仕出し弁当)

 ぼくの会社には毎日、会社の契約した業者から一定数の仕出し弁当が届けられる。壁に貼り出された表に自分の名前を書いておけば、自分の食べた日数分の弁当代が給料から引き落とされる便利な仕組みだ。ところがここしばらく、弁当を食べておきながら、その表に自分の名前を書き忘れていたことに気づく。
 慌てて襖を開けて、隣室に貼り出された表に名前を書きに行く。会社は汚れた納屋のような乱雑な状態で、その表も壁から今にも剥がれ落ちそうだ。表そのものもなんだかいい加減で、鉛筆でどう記入すればいいのか分からない。迷っていると、同僚らしい中年の男がその表を壁から剥がして、何枚も積み重ね、畳の上で火をつけようとする。身なりも乱雑で、なんとも怪しい男である。ぼくは男に「ちょっとこれを借りていいですか」と声をかけ、束ねられたその表をめくってみるが、やはり要領を得ない。今日を含めて二回、表に記名をせずに弁当を食べてしまった記憶がある。さて、どうしたものだろうか。

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