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2015年04月04日

ブルーオキナワ 4)

沖縄、辺野古の米軍基地建設への抗議活動がネット上でも本格的に始まった。

1.日本国政府-辺野古米軍基地建設に向けた埋立工事の即時中止を要請する
2.mcaf.ee/a2gd9
(1、2ともリンク先は同じ。パソコン環境によって適否があるので念のため。)

このサイトでこのメッセージのもと多くの賛同者の署名を募っている。呼び掛け人には大江健三郎氏、宮本憲一氏など著名な識者が名をつらねている。わたしはmixiを見て知ったのだが、4月1日からスタートしたらしく、わたしも署名した昨日3日には署名数5,000を超えていた。
多いのか少ないのか。選挙として考えたらとても多いとは言い難い。せめて50万人ぐらいになってほしいなあと妄想する今日この頃だった。

(つづく)

投稿者 oqx1 : 01:00 | コメント (0)

2015年03月26日

ブルーオキナワ 3)

 もうすぐ四月。本土では桜の季節だが、沖縄はもう初夏だ。沖縄ではこの時期を「うりずん」と呼んでいる。ウチナーンチュ(地元民)が一年中でいちばん好きな季節だという。風わたり、デイゴの花開き、オオゴマダラの蝶が飛び交う。本島、離島の海開きもこの頃だ。あ〜居ても立っても居られないぞ。

 と、そんなうれしいこの季節、あの美ら海に杭を打ち込み、コンクリートのブロックを沈め、サンゴ礁の破砕に躍起になっている無粋な輩がいる。本土大本営の号令一下。これが "我が軍"。美しい国やろっ。
 伝統や美しい風土をことさら言い募る保守や愛国者はたいがい国威への渇望を奥に秘めている。いざとなるとその鎧が顔を出す。安全保障や国益をもろだして恫喝する。じつのところ彼らは沖縄をニポンの半植民地のように見下しているのだろう。

(つづく)

投稿者 oqx1 : 01:23 | コメント (0)

2014年09月16日

ブルーオキナワ 2)

 沖縄から戻ったら、本土はずっと天候不順。各地で豪雨災害が頻発し、夏はどこへやら消え去っていた。沖縄にはじまり沖縄で終わった夏だったなあと、感慨深くしていたところ、きのうの夕方だった。時ならぬ蝉の声が休日の空に響きわたった。へ〜っ ?! ツクツクボーシだ。もう蝉はとっくに鳴き止んでこの頃はコオロギたちの天下に移ったはずが思いがけないツクヅク節。夏の終わりを律儀に宣告しているようでもあった。

 なにかが終わった。あるいは終わりつつある。本土に戻るとそんな息苦しい空気が充満している。沖縄滞在中に連日目にした辺野古の実情が、本土ではほとんど報道されなかったことも後で知った。
 本土では街を歩くと "禁" の字がやたらと目に付く。まあだいたいは後に煙とつくのだが...はは。新聞、週刊誌を開くと "特定秘密" だの "非国民" だの "国賊" だの死語だったはずの言葉が大手を振って行進している。この国はタブー社会に再び向かっているらしい。"オキナワ独立" のイメージが頭をよぎる。明後日はスコットランドの命運が決まる。

投稿者 oqx1 : 23:55 | コメント (0)

2014年09月15日

ブルーオキナワ

 もう一年以上になるが気分が低空飛行を続けている。ネット・ワーキングもダウンロードならぬダウンビート。無気力といおうか、鬱なのか。気がついたらブログからも遠ざかっていた。そうだ 沖縄、行こう。暗いブルースから明るいブルーへ、って広告屋の能天気はまだ健在か。まずは7月初めに明るいブルー計画を立案したが、これは前に書いたとおり台風8号のおかげ様であえなく頓挫した。
 懲りずにリベンジを図ったのが8月もお盆過ぎだった。こんどこそはとうちの本尊の朝顔に願掛けたせいか、幸運にもピーカンの青空に恵まれた。ひとまず元気を回復したのだった。

 が、一方で沖縄は能天気の思惑とは別の深刻なブルーの渦中にあった。辺野古への米軍基地移設問題だ。滞在中、期せずして新基地建設に向けたボーリング調査がはじまり、住民の海上での抗議活動を海上保安庁が暴力的に排除したり "確保" する様子が連日、宿のテレビに映されていた。時を同じくして本土では記録的な豪雨による広島土砂災害が発生し、その凄まじい被害を伝えていた。同宿していた広島からの家族連れは急ぎ帰郷した。元気が夕べの朝顔のようにしぼんでいった。

つづく

投稿者 oqx1 : 01:42 | コメント (0)

2014年07月09日

台風

遠い南方から台風8号が列島方向へ、一筋の花火のように昇ってきた。顰蹙を買いそうな言い方だが。昨日は沖縄付近に最接近し炸裂した。これほど台風の発生と行方を日々追いかけたのは初めてだ。これまで沖縄を旅するにしても天候や台風に無頓着だったが、それはそれで運良くいつも好天に恵まれたものだった。行くとみるみる元気になるのだった。ホント
今回は違った。旅の直前に不穏な台風の卵情報が報道されていた。それでも出発日の6日、まあこれも経験と出発を決めていた。が、沖縄慶良間ではそれどころではなかった。宿から連絡が入り宿泊はムリと。渡しのフェリーも欠航判断を迫られていた。
ここ何年か毎年ずっと続けてきた沖縄行。海上の道が一筋縄でないことをあらためて痛感した。

投稿者 oqx1 : 02:50 | コメント (0)

2012年04月29日

フラッシュバック 4)

症状の原因を特定できたらいくらか楽になったことを覚えている。
この種の無知蒙昧は自分で納得できるまで徹底的に追求するにかぎる。生兵法と言われようと。それによって不安が軽減し覚悟も決まるからだ。
週明けの翌日、離脱症状と睡眠不足でふらふらしながら医者に行きあらためて薬をもらった。医師にはこの間の事情をいちおう伝えた、が、予想どおり、気のせいだからちゃんと忘れず服用を続けなさい、と諌められたものだった。

もらった薬を常用量飲むといったん心身が復旧した。が、そこからだ。数週間を目処に少しづつ減薬→断薬を成功させようと決行した。不幸中の幸いといおうか、服用期間が半年ぐらいで短かったせいか、反跳もあったが3週間ぐらいで断薬できた。服用前の不眠もかえって改善した。

だが、その過程で知ったのは、はるかに重篤な患者がおそらく数十万から数百万人レベルで存在するであろうことだった。また普通、そう簡単に離脱症状が治まることがないことも。
わたしはたまたま薬が切れ、幸か不幸か早々と離脱症状に陥って対応策がとれたが、知らずにあるいは知っていながら悪夢への道を歩んでいる人たちがいまもたくさんいる。

平成19年度とちょっと前だが、公式調査といえる『薬物使用に関する全国住民調査』によれば「鎮痛薬、精神安定薬、睡眠薬をこの1年間に使用したことのある者の割合は、鎮痛薬で55.4%、精神安定薬で8.0%、睡眠薬で7.6%であった。常用(週3回以上)している者の割合は、鎮痛薬で男性2.4%、女性2.7%、全体で2.5%であり、精神安定薬では男性2.3%、女性3.2%、全体で2.8%、睡眠薬では男性2.2%、女性3.1%、全体で2.7%であった。」
すなわち睡眠薬、精神安定薬、つまりベンゾジアゼピン系薬物を最大一千万もの人が使用している(投与されている)ということだ。

さらに詳細な実態や報告は以下にリンクした。

「精神医療の真実  聞かせてください、あなたの体験」
「睡眠薬と安定剤の正しい止め方」
「ベンゾジアゼピン離脱症候群」
「ベンゾジアゼピン系薬剤による離脱症状」
「ベンゾジアゼピン系薬物からの離脱その18」
「デパス、抗不安薬断薬スレッド」

つづく

投稿者 oqx1 : 02:53 | コメント (0)

2012年04月26日

フラッシュバック 3)

小沢一郎氏が無罪になった。
この期に及んで、マスコミが相変わらず自分たちに都合のいい判決要旨の一部や、街の声を拾っては正当化を図ろうとしている。裁かれるべきは自分たちであることがまだわかっていない。

こんな無法な裁判の片棒を担いできた新聞、テレビといったマスコミ、このものたちに処罰を下さねば不公正であると、当人はもちろん、初めから疑義を呈してきた人間なら誰しも思うだろう。
えん罪をなくせという一方で、検察のねつ造、リークを垂れ流し、あまつさえ推定(推認)有罪を助長までするマスコミ。
だが、結論は曲がりなりにも出た。日本の司法をはじめとする官僚組織の腐敗、その太鼓持ちと化したマスコミの悪辣、卑劣。それらがあらためて世間の知るところとなった。

新聞、テレビの報道をまにうける者はいよいよ少なくなるだろう。
そこに現われない声にこそ真相があると誰もが気づきはじめている。
睡眠剤の薬害問題もそうだ。
この問題は深刻な事実として広く蔓延しているにもかかわらず、マスコミに浮上することはほとんどない。
医療現場と製薬業界、それを指導する医療行政、そしてマスコミが一体となって隠蔽に加担しているからだ。公然の秘密とはこういうことをいうのだろう。

だが、いずれ真相は浮上する。そのときマスコミは存在するだろうか。

つづく

投稿者 oqx1 : 20:47 | コメント (0)

2012年04月25日

フラッシュバック 2)

睡眠薬の弊害、とくにベンゾジアゼピン系(医者で処方される睡眠薬のほとんどがこの部類)の反跳・離脱症状は調べれば調べるほど深刻で、その発症事例はきわめて広い層、世代に及んでいることがわかった。
本当は思いだしたくもないようなおぞましい体験だが、時間が経って記憶が薄れてきた一方、かるいフラッシュバックが起きることもあり、この際実態を見極めようと、決めた。

わたしの場合、ある時期不眠が続いたため、医師の指示で2種類の睡眠剤の服用を半年ほど続けていたのだが、たまたまその薬が切れ、ちょうど週末直前で医者も休みに入るため、そのまま2〜3日服用しなかった。
土曜から兆候のようなものがあったが、日曜だった、突然、吐き気、強い不安感、強迫観念、震えなどが襲った。まさに悪夢だった。とくに顕著だったのは震えで、後でわかったことだが「振戦」と呼ばれる症状で、上半身が間欠的にしゃっくりのように痙攣するものだ。それを見た家人が救急車を呼んだため、救急病院で半日MRIまでやって検査されたが原因はわからずじまいだった。いや、わかっていたのかもしれないが。

帰宅して悪夢がつづくなかあれこれ思い巡らしているうちに、もしかしたら、と睡眠薬に思い至った。
それから必死になってネット上で関連用語の検索と理解に腐心した。
こうしてはじめて知ったのが「ベンゾジアゼピンによる反跳・離脱症状」だった。

つづく

投稿者 oqx1 : 18:38 | コメント (0)

2012年04月24日

フラッシュバック

一昨年の夏の終わり頃、睡眠薬が原因のひどい離脱症状に見舞われた。
数週かけて少しずつ減薬、断薬し、治まったとホッとしていたら、このところなぜか当時ほどではないにしても近い症状がスキを見てぶり返す。
クスリの副作用というか毒性はそう簡単には消えないなあと実感した。

当時とおなじくネット上でいろいろ調べてみたら、離脱症状はもちろん数年後のフラッシュバックもけっこうあるらしい。医学会は極力伏せておきたいらしいが、ネットという世界では真偽あわせてオープンになってしまう。
症状や対策をあらためて調べているうちに同様の体験者が驚くほど多いことがわかった。一方、どうも公式な統計がとられていないことも。

先日京都で、てんかん症患者による暴走事件があった。
最大の原因は病気にあるだろう。が、その処方薬はどうだったのか。
そのことが気になった。通じるところがあるように思う。

つづく

投稿者 oqx1 : 02:00 | コメント (0)

2012年04月09日

桜三昧

近所の桜も五分咲きぐらいになって、一昨日、家族ふたり花見に出かけた。
花曇りでおまけに花冷えだったが、浜離宮から、船(水上バス)に乗って浅草へ、そして上野へと三連ちゃんをしてしまった。
おかげで桜三昧を楽しんだものの、風邪を引いたり足が吊ったりで、帰ってきたときには復員兵のように寝込んでしまった。

上野の公園のあたりはかつては復員した傷病兵がたくさん陣取っていて、アコーデオンなどを弾いて戦争の記憶を甦らせていた。仕事のような感じもあって、同情もほどほどだったが、あの光景が消えたのはいつ頃だろう。
いまは一気飲みで正体不明になったヤングたちが警官に介抱されていたりする。

桜というのは、なぜこれほど魅かれこころを乱されるのか、
やはり死んだ人たちが一斉に返り咲くからだろうか、
花吹雪にまぎれて行方をくらました」くなるからか、
あるいは今でも「全身で生殖」したいからなのか、
同時代の安岡力也が散った。合掌

初音ミク 千本桜

投稿者 oqx1 : 03:59 | コメント (0)

2010年10月24日

人を食った話(つづく、フォークロア)

またひとつ年を食ってしまった。
年は食いたくないものだけど食わされちゃうんだから仕方ない。食ったところでなんの足しにもならない。食わずにパスできないものかと。

そしたら人を食ったらいいらしいよ、と口元でウィンクされた。
ほんとうに人を食ったら洒落にならないが、開高健によれば、中国のフォークロアというかエピソードには喫人の話がやたらと多く効用もあるらしい。じつは原書がある。篠田統「中国食物史」(柴田書店刊)。そこからの引用でかなり怪しく人を食った伝聞だけど、いくらか御利益をいただいた、気がする。

トリスを飲んでハワイへいこう、って煽ったのはサン・アドの同僚だった山口瞳だけど、開高健は人を食らって世界へいこう、と励んでたんじゃないだろうか?
広告という生業と小説という本命を併せ食う器量。それは詩人の世界にもある、あった、というかけっこう多かった。このa Happy BlogのIさんやFさんもそうだ。

年を食ったおかげで、かつてサン・アドでデザイナーをやっていたkさんと詩人のFさんと飲んだ。喫煙をやめるつもりはないが禁煙のふたりを前にしてどうしたらいいか尋ねてみた。そしたら、食べちゃえ、って

トリスを飲んで菊花賞10-2-3か15

で、大敗を食らった。買わないでよかった。24日15時45分

投稿者 oqx1 : 04:19 | コメント (0)

2010年10月14日

、や 。

郷愁とか住処とか行方とか迷路とか着信とか兎年とか銀河とか、
いろんなことがらがサイトのあちらこちらで浮かび彷徨った。

たぶん月が指さしている方向なんだろう。
狂ってなくちゃ面白くない。笑えなくちゃつまらない。
スタンリー・キューブリックやテリー・ギリアム、北野武の映画
エリック・サティ、中島みゆき、村上春樹、稲垣足穂、ボリス・ヴィアン
大まじめを見せられながらどこかクスクス笑ってしまう。
そんな指向がいつからか穴のように居座ってしまった。

その穴には詩や句や広告文案といったものも沈んでいる。
詩や俳句で「、」や「。」を見たことがない。
ふつうそれは記号あるいは呼吸の印にしかすぎない、と思うけど、詩人や俳人はそこに深い井戸か穴を幻視し糸を垂らし辿り降りるものだろうか。だから( 、)も( 。)もいらない、のか。

音楽というか楽譜には( 、)や( 。)に相当する記号がたくさんある。
エリック・サティの曲だと思いこんでいた、ヤン・ティルセンの曲は何度も聴いたような記憶があるのに、どんな記憶だったか思いだせない。( 、)や( 。)みたいのがいっぱいある。
たぶん郷愁とか既視感のせいだろうと思うけど、フォークロアというのはどこに生まれ住んでいても地続きなんだと気がした。

ほんとうはどこかで跡形もなく聴いたのかもしれない、が

と、つづく

投稿者 oqx1 : 04:26 | コメント (0)

2010年09月22日

熱海ではなく熱川で

伊豆の熱川へ用事があって出かけたところ、そういえば今宵は中秋の名月のはずと夕方まで粘った。その甲斐あって見事な月を見ることができた。

今日中に帰らなければならず、あまり落ち着けず帰途についた。夜9時頃に桔梗。自宅近くでは見えたり見えなかったりだったけど、それはそれでツキコさんだった。


熱川の名月(09-22 18:12)



晴海の名月(09-22 22:43)


名月を酒に浮かべたや今月今夜


投稿者 oqx1 : 23:59 | コメント (0)

2010年08月12日

反戦で反核だが反煙じゃない奴

禁煙しよう、あるいはしたいなんて思ったことは一度もない。ことはない。大抵お金に窮したときなんかは思ったりもした。まあそんなときでもパチンコ屋か雀荘でシケモクを漁ったり置き忘れを失敬したり、友だちに1本くれとセガんだりしてだいじに吸った。そうまでし続けて幾星霜。いまさら健康によくないとか肺ガンになるとか脅されてもビクともしない。だいたい両親ともヘビースモーカーだったし、そのあいだに生まれ、育ち、いまもその意志を固く継いでんだから誉められてもいいくらいだ ^^;)

タバコ吸っていいことなんかなにもない、とよく言われる。金(税金さえ)がかかる、健康によくない、街が空気が汚れる、ハタ迷惑どころか他人さまの健康さえ害する... おかげ様で法的(条例)制限までされる始末になっちまっただよ。
なかでも抗しがたいのは " 他人さまの寿命さえ縮める" というもの。副流煙疑惑だ。これはコタえる。究極的には人前に出られないことになっちゃうからだ。

わたしは幸いといおうかだいぶ前に会社組織から離れ一人ないし数人で糊口をしのいできたので、ここ十数年来の喫煙パッシング(嫌煙ワッショイ)からやや距離を置けたが、ずっと大なり小なり組織に身を置いてきた御同輩は相当悶々とした(してる)だろう。まあ意外とあっさり禁煙しちゃった人もけっこういるにはいる。が、そういう人のほうがより現役の喫煙者にシビアだったりする。それが知人友人だったりするとこれはもうほんとにアンハッピーだ。

そこに分煙なんて持ち込んでも意味がないし素知らぬふりでスパスポSLするしかないが内心すまなく思ったりする。いきおい疎エンにもなっちゃうわけだ。世界的な趨勢だし逆らってるわけでも、ん?ちょっとあるか。まあどうあれ健康や迷惑を旗印にされた日にゃ勝ち目はない。息苦しい世の中になったなあというのがホンネだ。いっそ喫煙国と非喫煙国に分ける、あるいは道州分煙制にするとか、どーよ。ついでに核や兵器といった煙類はどっち側も全禁。共存のため。徴兵年齢(赤紙様) or デンデラ野は60歳以上、喫煙男子のみとする。

平成21年時点(JT全国調査)、成人の喫煙者率は男38.9%、女11.9%、男女平均24.8%。うちの場合、男100%、女100%、平均100%。

投稿者 oqx1 : 13:24 | コメント (0)

2010年05月29日

三題噺

普天間、iPad、世界卓球と、関心事がよりによって三題噺のように重なった今日というか昨日だった。
いちばんうれしかったのが世界卓球で、いちばんがっかりしたのが普天間問題だった。日米安保破棄しか道はないのに鳩山はそれができない。おまえはできれば国外と言ってただろが。小沢は弟7艦隊だけでいいと!それをやると確信してなにがなんでも応援してきた。結果は......

ずっと昔のことだが藤富保男という詩人の「仕方が泣く頃」という好きだった作品があり、うろ覚えだが思い出してしまった。
死生観というのは人によっていくらか違うだろうけど、どうあれいずれ死ぬというあたりまえのことはいやでもしかたがない。一方でそのことへの恐怖、防衛本能を持つのもまたしかたがない。
が、それをいいことに、ことさらに煽り、動揺させ、強権的、あるいは時代(大衆)の潜在意識につけ入って、ひとつの方向へ動員、誘導しようとする、そしてされる。これをファシズムという。近頃のマスコミの動向そのものだ。
それが普天間問題を余計にむずかしくしている。(口蹄疫の問題もそうだ)

かつてカウンターカルチャやミニコミがアンチマスコミで勢いがあった頃ならここまでマスコミどもが図にのることはなかった。ネットがどこまでかつて同様の力を持てるかどうか。じつはそれもあってマスコミどもは後生大事のワルあがきをやってるのだろうとも思う。

死んだら焼かれて灰になる。クマ詩のいうように。それがふつうだ。まあミイラにされたり別の仕方もあろうが。むろんどうあれエネルギー保存の法則により物理的なエネルギーとしては永遠に宇宙に残る。魂は知らないが。
わたしも妻も散骨ですます手はずにしている。死だけは女も男も平等にやってくる。それまで長い短いはあろうがしかたがない。神仏に頼るのは勝手だが、それを煽動する風潮はノーサンキュである。法然や親鸞のように悟ってもしかたがない。仕方が泣いてしかたがない今日この頃だ。

投稿者 oqx1 : 05:54 | コメント (3)

2010年04月28日

1Q84を読んでるのは女子か、男子か?

ぼくの本姓はOではなく、SかTのどちらかのはずだった。が、Oになった。必然か偶然か、Oにつながる代々の墓へはほとんど行ったことがない。何年に一度か、十年に一度くらいか。そこはいつも小さな穴であり記号(.)に過ぎなかった。
かわりにTの親元にはよく連れられて行った。Tはなにしろ山寺の娘だったから。

住職はいつも空虚な本堂で木魚を叩き、Tの母はいつもお経か念仏をぶつぶつ呟いていた。そこすら音だけがよく響く小さな穴だった。
それに比べてはるかに巨大な空虚であり記号(.)である皇室というものに向き合うのは相当な勇気がいる。北野武は早々と降参してる。村上春樹という作家の真髄はそこに立ち向かっているところにあるんじゃないかと前々から思い、けっこう気になり読んできた。

今回の1Q84のBOOK 3も気になって読みたいんだけれど近所の本屋では手に入らない(品切れなんだろう)。注文すれば別だけどそこまでする需要はオイラにはない。
またaoiさんや星笛さんの杖というか箒にのせられてしまっただけ。
ただ、Sの素性がいまだによくわからないボクとしてはそのあたりの展開に興味がある。
だれか読んだ方がいたら感想を聞かせてほしい今日子の心だ。

投稿者 oqx1 : 06:06 | コメント (0)

2010年04月19日

確認する今日

桜の花びらが散る頃はココロも千々に乱れるようで、このところあちこちでアフォなことを書き散らしたり飲んだくれたり熱をだしたりしていた。これも"必然性"ってことか...
そんな折も折、ヨコハマのほうからちょっと(というか、とても)気になるひとひらの便りが届いた。すでにご承知の方もおられるだろうし、すぐに察しのつく方もおられる(わたしは今日はじめて知った)と思うので多くは書きませんが、快方に向かっているご様子なので少し安心した。

それにつけても、柄にもなく歳月というものがキリキリと身に染みた。この a Happy Blog も数えで6歳とちょっと。これはこれでまだまだ先は長過ぎるくらいありそう?だけど、やはり日々の泡をちゃんと確認していくという意味では長いとも短いともいえないなあと、aoiuemさんのおっしゃってることが少しわかったような気がした。のもトコノマ、ゴミ袋を出そうとしたら底に穴が空いていて昨日飲んだビールの残りの泡がぼろぼろこぼれだし始末に閉口したり、ちっとも"確認"ができてない今日この頃 ......だった。

投稿者 oqx1 : 22:58 | コメント (2)

2010年04月18日

野のハト

aoiuemさんのブログが久々に更新された。だからというわけではないけど、触発というか挑発され、アホなコメントを付けてしまった。aoiuemさんのコトバというか気というかにはなにかそういう魔法のような引力があり、ついその杖に乗っかってみたくなる。以前ruriさんの詩をCD化したり星笛館さんのオカリナ演奏をデジタル化しようと企んだときもそうだった。
男子にとって女子は永遠の謎なんだと思う今日この頃、不思議な光景に遭遇した。

寒いなか近所の公園を歩いていたら、真性の野バト(キジバトともいうらしい)がグミ(ナワシログミ)の茂みのなかで実をつついて食べているのを真正面から向き合ってしまったのだ。野バトなんてtokyoのど真ん中にいるはずもないと思われるかもしれないが、前々から何度か見かけている。が、人が通りかけているのにまるで平気、マイペースで昼食か夕食か、茂みの中でついばんでいる。そんなのと真正面から目を合わせたのははじめてだ。
まあ、そういうこともあるかと通り過ぎた後、あっ、ケータイで撮っておこうと戻ったものの残念ながらもう地面に降りていた。それでもいくら近づいても知らんぷり。(写真ではブルーにみえるが実際は茶色に近い。それにつけてもiPadがあったら)

おい、おい、おーい、おまえは怖いもん知らずなのか?それともアフォか?なんだか同類を見ているような気がして何度も行きつ戻りつして、また熱が出てしまった。

投稿者 oqx1 : 04:31 | コメント (0)

2010年04月01日

うちのヨシノ

わたしの住む長屋(縦)の目前は、舗道に沿ってちょっとした桜並木になっている。
10年ぐらい前にここへ落ち着いた頃はまだ植えたばかりの若木というか幼木だった。ゆえに、がんばって咲いてもスカスカだったのが、いつのまにか中高生ぐらいには映え(咲き)揃うようになった。

惜しいのはそれに沿ったすぐ向こう側を隅田川の支流というか運河が阻み、野暮なカミソリ堤防がシャッターのように河岸を閉ざしていること。写真で見るとこんな具合。幹の数本おきの街灯には「歩行喫煙・ポイ捨て禁止!」と黄色い看板が寄りかかっている。

NEC_0018.JPG


じつは写真の奥のほうにはずっと古くからの成熟した桜並木がつづく。橋からの遠目ではシダレ桜のように川面に向かってせり出し、なかなか見ごたえがある。が、これも近くだと残念ながら鉄格子を通してしか眺められない。
これにはワケがある。なんといってもそこに沿った建物が特養の老人ホームなのだ。


NEC_0024.JPG


花よりなにより、だいじなのは安全と安心、そして清潔、健康。微に入り細に入り生あたたかい親切に見守られた桜下の人生。おかげさまで、おいらも長生きができそう。

今週末は同世代の生き残りと都合により九段のほうで花見をすることになった。靖国神社にでも向かうつもりだろうか。それだけはヨシテノサクラ。せめて千鳥が淵にシタレヤ。

投稿者 oqx1 : 19:48 | コメント (0)