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2010年05月29日

三題噺

普天間、iPad、世界卓球と、関心事がよりによって三題噺のように重なった今日というか昨日だった。
いちばんうれしかったのが世界卓球で、いちばんがっかりしたのが普天間問題だった。日米安保破棄しか道はないのに鳩山はそれができない。おまえはできれば国外と言ってただろが。小沢は弟7艦隊だけでいいと!それをやると確信してなにがなんでも応援してきた。結果は......

ずっと昔のことだが藤富保男という詩人の「仕方が泣く頃」という好きだった作品があり、うろ覚えだが思い出してしまった。
死生観というのは人によっていくらか違うだろうけど、どうあれいずれ死ぬというあたりまえのことはいやでもしかたがない。一方でそのことへの恐怖、防衛本能を持つのもまたしかたがない。
が、それをいいことに、ことさらに煽り、動揺させ、強権的、あるいは時代(大衆)の潜在意識につけ入って、ひとつの方向へ動員、誘導しようとする、そしてされる。これをファシズムという。近頃のマスコミの動向そのものだ。
それが普天間問題を余計にむずかしくしている。(口蹄疫の問題もそうだ)

かつてカウンターカルチャやミニコミがアンチマスコミで勢いがあった頃ならここまでマスコミどもが図にのることはなかった。ネットがどこまでかつて同様の力を持てるかどうか。じつはそれもあってマスコミどもは後生大事のワルあがきをやってるのだろうとも思う。

死んだら焼かれて灰になる。クマ詩のいうように。それがふつうだ。まあミイラにされたり別の仕方もあろうが。むろんどうあれエネルギー保存の法則により物理的なエネルギーとしては永遠に宇宙に残る。魂は知らないが。
わたしも妻も散骨ですます手はずにしている。死だけは女も男も平等にやってくる。それまで長い短いはあろうがしかたがない。神仏に頼るのは勝手だが、それを煽動する風潮はノーサンキュである。法然や親鸞のように悟ってもしかたがない。仕方が泣いてしかたがない今日この頃だ。

投稿者 oqx1 : 05:54 | コメント (3)

2010年05月12日

詩は好きだ、から書かない、こともあったりする?

このところ、唯物論者とかリアリストとか公言したり図に乗ったり(昔からだけどね)してたのが怪しくなってきて、なにかぼんやりとりとめのない浮遊状態になっていた。
ぼくは詩というのに触発というか挑発されても、だからといって反応はしても自分でその反応をコトバにする初動はない。いや、ビジュアル化は好きで水野るり子さんの詩や淵上熊太郎の詩には迷惑なくらい反応した。

そのあたりがいつものなりゆきだけど、このごろそこにココロというものがいたくシンクロするようになった。
というのは、aoiuemさんの杖や星笛館さんの帚のせいもあるが、谷川俊太郎さんと淵上熊太郎、そこに楠かつのりさん(「詩のボクシング」の黒幕)が加わった'95〜6年頃ぐらいに撮ったらしい、あるビデオの記録をデジタル化してくれってことで、門外漢なのに関わってしまったからだ。
10年以上過ぎここにきてはじめて見たんだけど、3人それぞれ屈託のない発言が自然に映し出され、とても愉快で共通感覚を目覚めさせてくれたのだった。

DVDはようやくなんとかまとまった、が、その記録はずっと公開されていなかったものだ。別にマル秘とか門外不出でもないらしくご希望の方にはお届けしてもよいと。著作権のようなものはあるかもしれないがあまり気にしてなさそうだ。なにより詩人という存在の根拠のようなものがそこはかとなく伝わる。そうとう面白い記録だ。ご興味があったらご一報くださいませ。お届けします。

info@a-happy.jp

投稿者 oqx1 : 04:25 | コメント (2)