12月24日の夢(電車で何かを落とす)

 仕事で大分県らしいところに出張している。映画館で映画を二本見る仕事である。途中でロビーに出て、ソファーに座っていると、上司から電話がかかってきた。上司は詩人のG氏である。「困ったことがある」と上司は言う。ぼくの書いた記事にミスがあったというのだ。書き直さなければいけないのだが、どう書き直せばよいのか分からない。電話取材をすませたら、すぐに夜の飛行機で帰ろうと思う。
 とにかく空港に行こうと、電車の停留所へ行く。山中の森にある停留所に着くと、ちょうど二両連結の電車が発車したところで、ぼくの目の前でカーブを大きく切って、遠ざかっていく。制服を着た駅員が赤い旗を横にして、線路の横断を禁止しているが、ぼくを見て、「まあいいや、渡れ」と言って、ぼくを通してくれる。
 いさのまにか電車に乗っている。しかし、ここは本当に大分なのか。空港は大分空港がいいのか、それとも他の空港の方が近いのか、こんな遅い時間に東京へ帰れる飛行機があるのだろうか。それに、チケットを持っているのだろうか。そう思って、ポケットを探るうち、胸のポケットから何かが飛び出して、音を立てて床に落ち、遠くの方まですべっていくのが見える。

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12月21日の夢(寝て記者会見)

 畳敷きの大広間で誰かの記者会見が開かれている。その人は寝たきりなのか、布団の中で記者会見をする。だから、記者たちもそれぞれに布団を敷いて、そこで寝たまま取材する。それを上から撮影したのは、寝たきりの身障者詩人のKさんだという。一体、彼女はどうやってこんな角度から撮影したのだろうか。

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12月20日の夢(眼鏡をかけた赤い鳥)

 大きな窓のある部屋にいる。窓の外に鮮やかな真っ赤な小鳥が飛んでくる。部屋の中には女友達がいたが、すぐ飛び去ったので、教えそこなった。また飛んできたので、女友達に「ほら、赤い鳥だよ」と教える。今度の赤い鳥は黒縁の眼鏡をかけている。

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12月18日の夢(ハワイ合宿)

 グループでハワイ合宿に行く。大学のサークルかもしれない。全員知らない人たちだ。狭い宿泊施設の一部屋を借りているが、その内の何人かが「外で寝よう」と言い出し、ぼくも外で寝ることになってしまった。地面に布団や板を敷いて、てんでにおしゃべりする内、あっという間に朝が来て、ぼくは一睡もできなかった。
 朝食を食べに行くことになるが、ぼくはどうしても靴が見つからない。寝ていた場所や他の人の持ち物なども徹底的に調べてみるが見当たらない。仲間たちはぼくの手助けをするふりをするが、少しも気にかけている様子はなく、ぼくを置いて、さっさと朝食に出てしまった。ぼくは靴を探して宿泊施設の中に入る。二階にはもっと大きな部屋がいくつかあり、宗教団体なのだろうか、整然とリーダーの指揮に従うグループが宿泊している。
 ぼくは建物を出て、丘を登る。その向こうには小さな円形の港があった。駅前のロータリーぐらいの小さな港だ。ぼくの足元のほんの僅かな部分が扇型のビーチになっている。ハワイのビーチとはこんなに小さなものだったちのか。対岸に川というより、田んぼの中の用水路のようなものが港に流れ込んでいる。そこからハワイの艦隊がそれぞれに旗を立てて港に行進してくる。一斉に人々が拍手するが、ボートに一本マストの小さな貧弱な船ばかりだ。港を一周して、ぼくのそばへ来る。船には一頭ずつ雌ライオンが乗っていて、後足で立ち上がり、ウォーっと前足でぼくらにハイタッチする。前にいる二人の女性たちは「手をグーの形にしてハイタッチしてくれるのよ」と大喜びだが、ぼくは引っかかれそうな気がして、一歩下がる。

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12月15日の夢(音楽家たち)

 ピアニストのМ・Rさんが女性マネージャーと電車で公演地に向かっている。途中駅でマネージャーがホームに降り、飲食する。ところが彼女を乗せずに電車が発車してしまった。ピアニストは今日の公演をキャンセルして、帰ることにした。
 ステージで老いたミュージシャンが講演をしている。突然「ああ、明日の今頃は……」と歌い出したので、それが財津和夫だと分かった。聴衆は手拍子を打ちながら、唱和していたが、すぐにやめてしまう。最後にもう一曲歌い始めるが、誰もその曲を知らず、唱和できない。聴衆が誰もその曲を知らないことに、財津自身ショックを受ける。
 そういえば今日は編集部に出社する日だった。行ってみると、若い男性詩人がぼくを待っている。木の階段を登って、彼と会い、遅刻したことを詫びる。彼は原稿をぼくに見せ、これを詩集にしたいという。お世辞にも上手な詩ではないので、また別の機会に見せてもらうことにする。彼は本職はポピュラー・ピアニストだという。
 時間が余ったので、二階で本を読んでいる。何か忘れていることに気づく。そうだ、今日は原稿の依頼状を書く日だった。だが、用意してくるのを忘れていた。慌てて、専務に謝罪する。

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12月13日の夢(運動会と新年会)

 室内体育館で運動会の大会委員長をしている。冒頭で大会委員長挨拶をするのが誇らしいと思っている。ところが打ち合わせで場外に出ていて、戻ってみると、既に競技が始まっている。大会委員長挨拶は省略されたか、代理の人がやったのだろう。がっかりしていると、プログラムの途中でぼくがトークするコーナーがあった。今度は音楽をBGМにしてのおしゃべりだ。だが、なぜか途中でまた場外に出てしまった。慌てて戻ってみると、さっきのBGМがまだ続いている。スタッフの男性に「これはまだぼくの挨拶のBGМなの?」と尋ねると、「そうです。皆待っていました」と言う。
 詩人の団体の新年会に出かけた。いつもの会場に皆で入ろうとするが、一階の会場では小さなテーブルを囲んで若者のグループが打ち合わせ中だ。同じ会場の地下と二階の部屋に行ってみるが、やはり他の団体が使っている。会場の外の街路には詩人たちがどんどん集まってくるが、会場について問いただそうにも、誰が新年会の幹事なのかさえ分からない。そこへ後ろからやってきた自転車の女性が猛スピードで通り過ぎながら「樋口○○子さんはまた来てほしいと言ったんじゃないんですか」と、ぼくに叫ぶ。そして、すぐに路地を左折して行ってしまう。ぼくはもういない彼女に「いや、そんなはずはない」と空しく叫び返す。
(樋口さんは占い師で、ぼくの在籍した会社が突然に倒産する直前、いきなり現れて「大変なことが起きるから、来年の三月まで今いる場所を動くな。それから後は好きなことをやりなさい。何をやっても成功するから」と予言した。彼女の言う通りにして、ぼくは翌年の三月に「詩と思想」編集長に就任。来年その仕事を辞めるので、こんな夢を見たのだろう。)

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12月9日の夢(全部やり直し)

 「地球」という同人誌の主催するツアーで旅に出かける。まずは記念写真の撮影だ。「地球」といえば秋谷さんだが、なぜか彼がいない。かわりにA氏が指揮をとるが、なかなかみんなの息が揃わない。十字路で本当は直進しなくてはいけないのに、みんなは左へ曲がってしまう。慌ててぼくは大声で「バック! バック! バック!」と声をかけて、みんなを呼び戻す。
 電車の中で、詩の朗読会が始まった。電車の中にスタジオがあり、そこでメンバーが朗読をする。だが、朗読の声が外にいるみんなには聞こえない。「変だな」と気づいたぼくは、スタジオに入り、「全部、やり直し!」と声をかける。

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12月8日の夢(会社の引っ越し)

 会社が引っ越しをした。引っ越し先のビルの一階と二階を借りたのだが、埃だらけ、ゴミだらけの部屋だ。懸命に要らない本を後ろに片づけたり、必要な写真フィルムを手元に引き寄せたりするものの、とても仕事をできる環境ではない。なぜか一階にも二階にもぼくのデスクがあるが、周りにいる社員たちは全く違うメンバーである。
 ぼくは雑誌で、あるアメリカ人の子供の記事を載せようとしている。二件の取材が入っていて、当然同じ子供の取材だと思っていたのに、一件はアメリカ人、もう一件はアフリカ人の子供の取材だったので、驚く。

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11月29日の夢(幽霊長屋)

 トイレへ行きたいと思い、布団から起き上がって、玄関から外へ出る。我が家は長屋なので、自宅内にトイレがないのだ。玄関先に柳の木のような、ぞろっとした感じの女性二人が立っておしゃべりしている。一瞬、幽霊ではないかと、ぞっとする。長屋の中はいくつも部屋があるが、間仕切りの襖はすべて取り払われている。あちこちに煎餅布団が敷かれているものの、寝ている人の姿はなく、真夜中だというのに沢山の人々がおしゃべりに夢中だ。だが、あたりには沈黙が支配していて、喧騒は全くない。

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11月28日の夢(中国詩人との交流)

 ぼくの編集するS誌に以前から中国の詩人が寄稿してくれるようになった。最初は体制派の詩人だったのが、いつしか中間派の詩人に変わり、気づいてみると今は少数民族の反体制派詩人になっている。突然電話をかけてきて、寄稿したいと言ってきたので承知すると、毎号のように原稿を送ってきて、否応なく連載という形になってしまった。しかし、この詩人はどういう詩人なのか、どういう経緯でこういうことになってしまったのか、考えてみると、よくわからないことばかりなのだ。
 ぼくはまず中国の大使館のような建物に調査に行く。緑の中にある三階建ての白亜の建物だ。さらに、この詩人が来日して講演をしているというので、その講演会場に足を運ぶ。お腹が減っているので、お椀に入れたお雑煮を食べながら、講演会場の右後方のドアから入る。客席は階段式になっていて、前方のステージで詩人が熱弁をふるっている。しかし、お雑煮を食べながら聴くのはいかにも失礼である。ふと左を見ると、最後列の座席だけが舞台とは反対向きに置かれていて、しかも舞台との間に白亜の壁がある。ここなら講演は聞こえるが、舞台から見られることはない。そこに腰を下ろすと、ぼくが昔編集していたP誌の元編集長であるK女史が、奥に座っているのが見える。ぼくと仲の悪かったいやなおばさんである。後方のドアが開く音がするので振り返ると、何人かの男性がどやどやと入ってきた。おそらくK女史に会いに来たのだろう。ぼくは席から立ち上がり、彼らの通行の邪魔にならないようにする。

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