人魚愚話   

人魚愚話
『人間の命は、私達の命よりももっと短いのよ。私達は三百歳にもなれるでしょう。でも、私達は、ここにいることをやめれば、水の上の泡になってしまうの。そして、この底で親しい人達の間に、お墓をつくってもらうこともできない。私達は、死ぬことのないたましいをもってはいないの。それに比べて人間は、いつまでも生きるたましいをもっているの。体が土になってしまっても、たましいは生きて澄んだ空気の中のぼってきらきら光るお星様のところへいくのよ!私達が、海から浮かびあがって人間の国々を見るように、人間は、私達が決して見ることのできない、誰も知らない美しいところへのぼれるのよ。』『なぜ私達は、死ぬことのないたましいをもらわなかったの!私の生きれる何百年という命をかえしてもいいから、ほんの一日でも人間になって、やがては天国という所へ仲間入りしたいわ。』
       アンデルセン童話“人魚姫”より

これは、人魚姫とその乳母の話。その後は貴方の知ってる通りよ。人魚は人間の王子に恋をしたけれど、彼の胸に短剣を刺すこともできずに海の泡になってしまったわ。結局は、独り恋心を胸に抱いて自らの愛に殉ずるのよ。全くいい話よねぇ。私だったらそんな真似出来っこないわ。貴方だってそうでしょう?
それとも、人魚のロマンシズムと一緒に心中するかしら?
――あらごめんなさい。貴方が知りたかったのは『人魚姫』じゃなくてもう一つの人魚の話だったわね。
――そう焦らないで。物語はこれからお話しするわ。
そのまえに紅茶でも一杯どうかしら?
だって今から貴方に語る物語は私にとっても貴方にとっても長い長い話になるんですもの。
 どうだったかしら。紅茶の味は?少し苦かったんじゃない?
――あら別にじらしている訳じゃないのよ。
ふふ。じゃそろそろ本題に入りましょうか。実はね、人間界に憧れて人間の王子に恋をした人魚はもう一匹いたのよ。いきさつは、人魚姫と同じ。
彼女も魔女に自分の声をあげたわ。
そして人間になる薬をもらったの。海の中で一番美しい声とひきかえによ。
それだけじゃないわ、慣れない足で焼けつく大地を一足踏むごとに、鋭いナイフの上を歩いてい痛みがはしるわ。
ふふ、どう、恋の為とはいえ、家庭も自らの肉体をも犠牲にしてそこまでの恋が貴方にできるかしら?
 王子は本当に美しい人間だったわ。姿形だけじゃなくってね。ある舞踏会の日、王子は宮殿のバルコニーで人魚にこんな話をしたの。
「物言わぬ可哀そうな君のかわりに、僕が少し喋ってもいいだろうか?君はこの満天の星空をどう思う?僕はね、月よりも星が好きなんだ…。このビロードの空に散りばめられた宝石は何万光年もかかって地上に届くんだよ。
だからね、実際僕や君が目にするこの星の光はもしかしたら、今はもうない星の光かもしれない。全く酷い裏切りだよね。星はずっと僕を裏切り続けるけど、それでも僕はこの清く高らかな美しさの前では無力だよ。彼らの偽りの輝きを許せる程、星が好きなんだ…。何かを許し見守っていくということは愛するという言葉に似ていると思わないか。
君は口がきけないけれど、君が僕を見る瞳は、僕が星を眺める時の瞳と何だか似ているね…。」
 人魚はね、この時程王子を愛したことはなかったと思うわ。そしてこの時程、自分の声がだせないことを悔やんだこともなかったのよ。
その日は、年に一度、ペルセウス座の流星群が降る夜だったの。
それを知ってて王子は人魚に星空を見せたのよ。そして王子は人魚に流れ星が消える間に願い事を祈ると望みは叶う人間古来の伝説を人魚に話したの。その人魚は願ったわ。目を閉じて強く強く王子に自分の気持ちを伝える為の声を返して欲しいと。けれど王子はそんな人魚の様子を優しく笑ってから夜空をずっと眺めていたわ。
王子は、流れ星を何度も数えることは出来ても目を閉じて、ましてその輝きに自分の貪欲な願いを託すなんて出来ない人だったのよ。
 王子が人魚にそんな話をしたのも、政略結婚の相手がその時、既に決まっていたからかもしれないわ。
 権力と地位誇示の為とはいえ、酷い話よねぇ。
見ず知らずの相手と結婚するだなんて今の時代ではとうてい考えられないことだわ。
貴方に出来る?全く知らない人と一生を共有するのよ。
人魚はね、そんな王子のやるせない気持ちと、自分の恋心の行方に悩んだわ。王子と結ばれなければ自分は水の泡になるんですもの。それに政略結婚は王子に対して幸福を呼ぶものだったかしら?
 人魚は王子が式をあげる前の夜、彼の寝室へ忍び入ったわ。手には姉たちからもらった短剣を抱いてね。
ねぇ、これから人魚はどうしたと思う
――彼女はその短剣で自分の手首を傷つけ、その血を王子に飲ませたのよ。
 貴方も知ってると思うけど人魚の血は古来より人間にとっては不老不死の妙薬よ。
人魚は考えたのよ。たましいよりも王子と永久にこの世で生き続けることを願ったのよ。天国よりも、この世を選んだの。
しかし彼女にも誤算があったわ。
人魚の血は不老不死の妙薬だけど、人間に多量に飲ませると、拒絶反応がおこり副作用で、その人間を半獣化させてしまう品物だったのよ……。
王子の手には獣の爪が生え皮膚は硬いうろこで覆われた、目は血色に染まってまともな人間の姿でいられるのは、三週間のうち一週間だけなの。
もちろん王子の婚約者は、彼のことを“化け物”とののしるなり、去っていったわ。心は、王子のままなのに人魚以外、誰も彼を愛せなかったのよ……。人魚が考えた安易な計略はもっとも愛しい人を悲しみの淵におとしいれたわ。そして最も皮肉な恋の勝者になったのよ。
 ―――それからどうなったかですって?そうね、貴方には紅茶も飲んでもらったことだし最後まで聞いていただくわ。でもここでは何だから少し雰囲気を出すために場所を変えましょうか?
実はね、この館には地下室があるのよ。そこに案内するわ。
 ふふ、怖い?この階段を降りていってちょうだい。
少し滑るかもしれないから足もとには気を付けてね。
 地下室までは、まだまだあるわ。退屈しのぎに一つ別の話をするわね。
 ねぇ『パリスの審判』って話知ってる?ギリシャ神話では、割と有名で宗教画にもよくでてくるのだけれど、わかるかしら?
 内容はいたって簡単。ある女神のコンクールで一番美しい女神に黄金のリンゴを贈るのだけれど、その審判にパリスが選ばれるの。
三人の女神は競いあってパリスにいろんな賄賂を贈ったわ。
 ある女神 はパリスに広大な土地を、ある女神は、戦いにおけるすべての勝利、最後の女神は、世界一の美女を与えたの。
 ねぇ、パリスは何を選んだと思う?―――解らないって顔ね。ふふ。パリスが選んだのは広大な土地や莫大な財産や権力でもなく、無欲な美女を選んだわ。
たとえ選んだ女が後にトロイヤ戦争を引き起こすほどの災いの美女でもね。
結局、人は人しか愛せないのよ。
 ねぇ、貴方はどう思う?自らを破滅に導く女を選んだパリスを、愚か者よと笑うかしら?
 さぁ、ついたわ。何故私が、あんな話をしたかって?
―――そうね。まずはこの檻の中を見てちょうだい。
―――なぜそんな悲鳴を上げるの!なぜ目を背けるの!そんなに怖がらないで。彼は啼くだけで何もしないわ。
もう何も、できないのよ…。
―――貴方が知りたがった人魚の話の続きを今明らかにするわ。
 彼がさっきから話していた王子様。これが私の好きな人のなれの果て…。
こうして鉄格子をとおして唇をかわすだけだけど私は彼を愛しているの。
あの婚約者のように逃げたりなんかしないわ。
彼の思考能力も美貌も奪ったのは私!さぁ、これで解ったでしょ。
王子に血を飲ませた人魚は私なの!
―――でも私は彼がどんな姿になっても彼が好き!!どんなに私を忘れてしまっても私が二人分愛するわ!!
     え、それは単なるエゴですって?
     ――そうかもしれないわ。
     自己満足のための独占欲ですって?
     ――そうかもしれないわ。
     私の行っているのは悪行ですって?
     ――そうよ。全ての災いは私。
 おかげで罰が下ったの。
私は永遠の命を授けられたけれど天国にはいけない。たましいというものを与えられなかったの。
だから何なの!この地上で彼と永遠に運命を共にするの。ここは、花も咲かない。
ここにはこの人の好きな星も見えないの…。彼と一緒に眺めた流星は、私の願いを叶えてくれたわ。
でもね、声が出せる頃にはこの人に私の言葉はとどかなかったのよ。本当に皮肉な話よね…。
 え、私が泣いてるですって。アハハ、どうして泣くの。泣く必要なんかあるもんですか!!
 ここが地獄でも二人永遠に生きられるなら天国かもしれないじゃない。
植物も生えないこの地下牢を、この世の果てと呼ぶ人がいても私には天国なの。
 ほら、昔からよく言うじゃない。
 “天国、地獄を絵に描けば地獄のほうがおもしろそう”って。
 ――貴方の知りたがったもう一つの人魚の話は、これで終わり…といいたい所だけど、実はね、まだ続いているのよ。
ふふ、知りたい?その前に、先程飲んだ紅茶は、おいしかったかしら?
――まさかって顔ね。実は貴方の察するとおりよ。あの紅茶には微量だけど、私の血が入っていたの。
――なぜそんなことをするのか?ですって。
――だって私はこれからずっと薄暗い地下牢で王子と同じ夢を見なければならないでしょ。
あの人の傍を離れる訳にはいかないのよ…。
貴方には可哀そうだけど、私達の恋の犠牲になっていただくわ。
 人の悲劇を簡単な好奇心で聞くものじゃないわ。この話の代償は高くつくのよ。
貴方にも永遠を与えたわ。
 さぁ、行って!私の代わりに語り続けて。
人に恋した人魚の話。
私にとっても貴方にとっても、この長い物語は始まったばかりなのよ。
                                    END

     ※20歳当時に書いた作品です。

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