メイン

2014年04月03日

ビールが飲めない夢

ビールをめぐる長いながーい夢をみた。ふだんの夢は短く支離滅裂でほとんど忘れてしまうが、これほどひとつの主題を引きずって延々と展開した(ように思えた)夢は初めてだ。なぜか中上さんが登場する。


パーティ会場にいる。寝転んでうたた寝をしていたらしく、目覚めて見上げると辺り一面たいへんな人混み、というか足並みだ。喉が渇いてビールでも飲もうと立ち上がって料理コーナーを目ざすが身動きがとれない。ようやく人だかりが引いて料理コーナーに辿り着くがもうほとんど何も残っていなかった。ビールの影もない。仕方なく近所になじみの酒屋があったはずだ(コンビニのなかった時代らしい)と、急いで向かうが夜遅いせいか店は閉まっていた。町中を走り回りなんとか開いている店を見つけてビールを注文する。が、こちらの希望するブランドがない、そのブランドと似たこんなビールはどうかと、知らないビールをすすめられる。とにかく喉を潤せればいいとOKするが、ちょっと待ってくれとお預けを食う。準備があるからと。それからどれくらい待たされただろう。イライラしながら催促すると 、まだ冷えてないからと、9時半頃(?)まで待てと。ジョーダンジャナイ、踵を翻し、また走り回る。

顔見知りのグループに遭遇する。さっきのパーティの帰りらしい。事情を話すと、それなら中上さんの家の近所に遅くまで開いている居酒屋があると言う。中上哲夫さんは知ってますかと訊くので、ええ、よく知ってますが、と答える。じゃあみんなでそこへ行って呑みましょうということになる。中上さんの家はものすごくわかりにくい場所にあり、道のりもひどく険しいことを知っている。が、焦りながらもやむなくそこへ向かう。途中、崖伝いに昔のビルの工事現場の足場のような木の板を踏み下るのだが、それがまたつづら折の階段状になっていて危険きわまりない。それでも全員なんとか無事に渡り終える。着地するとそこは暗い路地だった。見覚えのある居酒屋が見えた。が、そこも生憎閉まっていた。仕方がないので中上さんの家に行こうとするが、そこからの道順がわからない。

ワープしたようで幹線道路の脇にいる。ここからが近道だよと誰かが言う。振り返るといつのまにか熊さんがいる。そういえば見覚えのある光景だ。そこからどう辿ったのか、幹線道路を外れ路地裏のような道を巡り巡った先に小高い崖があり、その崖の上で中上さんが手を振っている。あれ?ここだったっけ?崖の上に出るとそこには大きな屋敷がデーンと構えていて、舞台のようにせり出したベランダの上で半裸の女が妖しい舞を踊っている。端のほうからこれまた半裸で弁髪の大柄な男が現われ女となにやら掛け合いをはじめる。わたしたちは思いがけず観客にされ見とれている。気がつくと中上さんは観客の側にいていっしょに眺めている。喉が渇いてしかたがない。

投稿者 oqx1 : 22:51 | コメント (0)

2012年11月25日

友人、知人、総出演の夢

昨晩の地震はちょっと不思議だった。一瞬だったがわたしは強いショックを体感したのに、別の部屋にいた家人はまったく感じなかったという。その余震なのかどうか、久しぶりに長くて鮮明に覚えている夢を見た。


引っ越しをしているらしい。相当大きな家かマンション。たくさんの部屋がある*。生きている仲間、死んだ仲間、さまざまな顔が総出で手伝ってくれている。ドスンドスンと重い響きが絶えない。とつぜん、据え置き電話の留守録の音声が鳴り響く。誰かが再生ボタンをはずみで押してしまったらしい。「連絡をください」と言っている。Fくんの声だ。ずっと以前の留守録が再生されてしまったのだろう。そういえばFくん、今日はいない。するとKくんが「このまえ泊まったときの留守録じゃないか?」と知らせにくる。Tくんも一緒だったという。わたしが留守のとき勝手に泊まっているらしい。このまえっていつ?と訊くと先週の金曜日だという。今日は火曜日だ、つい最近じゃないか。気がつかなかった。あわてて電話をかけようとするが操作法を忘れてしまって、ディスプレイに電話帳を表示できない。Sくんがヘンテコな操作法を教えてくれるが、その方法では両手が塞がってしまいプッシュボタンを押せない。ほかの部屋の電話も試してみるがどの部屋の電話も電話帳を表示できない。だいたい、どの部屋でも仲間はケータイでお話し中だ。ひと仕事終えたようにくつろいでいるものもいる。「お疲れさま」「ご苦労さま」とねぎらう。

部屋に残った機材やら小道具やらを持ち帰らなければならない。行き先は横浜のほうだ。タクシーを拾って皆で手分けして持ち運ぼうと通りに出る。青山通りの坂の途中のようだ。少し先に昔の勤務先が見える。なかなかタクシーが来ない。とつぜん、男が二人わたしの前に立ち、上司らしいほうが部下らしいほうに「もう飛行機にはまにあわないな」と呟く。「まあ、これも営業だ」と慰めている。なんだかこちらの責任のような気がして「このプレは必ず獲ります」と伝える。すまなそうにそう告げたところで、ようやくわたしはある広告キャンペーンのプレゼンテーションに立ち会っていたのだと、思い出した。よく見ると上司はプーチンで部下はメドヴェージェフだ。プーチンは「それならボディをしっかり固めておくことだな」とわたしに忠告する。ボディコピーのことだろうと「はい、重厚な説得力あるプロパガンダを考えます」と答えると、「いや、そうじゃなく簡潔に鋭く意表を突くんだ」と諭す。そうこうしながらもタクシーは一向に来ない。まだか、まだか、とじジリジリしているうちに電話が鳴って、目が覚めた。

*現実のわたしの家は2部屋しかない。

投稿者 oqx1 : 20:04 | コメント (2)

2010年09月19日

眠れない夢

その声は眠りといっしょにやってきた。言っちゃダメ。眠りに落ちそうになると手足がカエルの痙攣のように撥ね拒否する。雪山で遭難しかけてるのかしらんと助けを呼ぶが言葉にならない。だれかが先に言ってしまったらしく寝息が聞こえる。眠らないのが幸いかもしれない。次の日も、その次の日も、そして何日目だろう、理由がわかった。満ちているのではなく引いてるのだと。いつしか声が消えまっ暗闇になり、やっと寝つき、目が覚めた。

投稿者 oqx1 : 23:29 | コメント (1)

2010年07月29日

夕べの夢

ケータイ電話におなじメールが2通入っている。自宅に誰かが訪問して待っていると。急いで自宅へ向かうが、近くまで来たところで自宅がどこだったか思い出せない。ちょうど古い級友のSが通りがかり「ボケたんじゃないか?」と自宅まで送ってくれる。

自宅はあるにはあったが細い下り坂の途中のようなその場所も家の造作もまったく見覚えがない。若い女性が待っていてCMのキャッチフレーズの依頼に来たと言う。え"っ、ぼくはもう現役じゃないが?と戸惑いながらも後についていく。すると、自宅のすぐ裏手に見たこともない湖(南の島の海辺のように透明度が高く浅い)が広がっていて、そこで撮影が行なわれている。

数十人のスタッフやらなにやらが一斉にこちらを振り向く、が見たこともない顔ばかりだ。むこうもみなあからさまに不審の表情を浮かべている。そりゃあそうだ。ぼくはもう20年近く本来の広告づくりの現場から遠ざかっている。お呼びなわけがない。

なかに一人だけ向こう側をむいたままチェアに座っている影のような姿が見えた。この撮影現場のディレクターだろう。ともあれ事情を訊こうと近づくと、なんとかつて何度か仕事でご一緒したTさんだ。Tさん!と声を上げると間髪を入れず「人間関係じゃない!」と叱る。
どうやら自宅へ依頼に来た若い女性がコピーライターで、そのディレクションをやれってことのようだ。

それにしても何のCMなのか何がネラいかもわからない。見回したところパンフレットのようなものが目に入ったのでそれを手に取り女性のコピーライターに渡そうとすると、そんなもの見ちゃダメ!と別の女性スタッフが奪い返す。どうしたらいいのか、途方に暮れていると女性ライターがこんな感じでどうでしょうと、コピーのメモ書きをよこす。いいもワルいも判断のしようがない。それどころかなにが書いてあるのか意味がまるで読み取れない。途方がどんどん暮れていく

投稿者 oqx1 : 00:55 | コメント (0)

2009年08月23日

残暑御見舞

きのうツクツクボーシが鳴いた。
箱根を境にして東と西で夏の印象が決定的に異なるのは蝉時雨の音色がちがうからだ。
つまり東のほうはミンミンゼミが主役だけれど、西のほうはシャーシャーと鳴くクマゼミがやかましい。それが夏の風情のちがいを際だたせる。

7月に石垣島へ行ったとき久々にクマゼミの暑中見舞いをスコールのように食らった。
こっちへ戻ったら天気が悪く雨か曇り空ばかりだったが、8月も半ばを過ぎてやっと夏らしくなり、ミンミンゼミが朝の目覚ましになった。
それと同時に選挙戦が佳境に入り、街宣の音量が日に日にやかましい。

今朝は夢のなかでシャーシャーシャーと激しく鳴く声で飛び起きた。久しぶりの夢だった。
東のほうへ来て早ン十年、はじめて、これまでとは決定的にちがう夏の終わりを迎えられる、カナカナカナカナ


投稿者 oqx1 : 14:21 | コメント (0)

2007年09月08日

白紙の夢

友人の大学教授がとつぜん上京してきた。わたしの好きな「白紙」を探しにきたんだと。それなら青島通りにいいお店が2軒ほどありますぜとボク。そこでいっしょに青島通りに向かったのだが、途中で教授はボクの知らない店に入ってしまう。なんだ、目当ての店があったんだ。
教授はその店で一心に白い紙の品定めをしているので、ボクはじぶんのおすすめの店のほうへ下見に向かう。

少し歩くとその店が見えた。「シネマ2」と看板がかかっている。シネマ2?あれ?ここだっけ?と、ドアを開ける。すると、そこは伽藍のような空間で、フロアいっぱいに何百人もの画家(画学生?)たちが席に着き、一斉にキャンバスに向かっている。
だれかがボクの名前を呼ぶ。見渡すと、それは教授だった。口をパクパクし、何か言っている。ハ行の外来語だったが、目覚めたときはあんなにはっきり覚えていたのに今はどうしても思い出せない。
ホワイ〜だったか、ハン〜だったか。ただ目当ての「白紙」を手に入れたらしいことだけがわかった。

朝起きたときからいまも覚えていた「シネマ2」。シネマ2って何なんだ。とサーチエンジンで検索してみた。あるにはあったがまだ行ったたこともない広島のほうの映画館。そこでまだ見ていない「かもめ食堂」等を上映していることがわかった。あっ、そういえばと、思ったのでした。

(翌日)
今日になって、グラフィックのソフトを弄っていたらメニューのひとつに「フレスコ」というワードを見つけ、アッと思い出した。そうだフレスコ、だ。教授は「フレスコ!フレスコ!」と叫んでいたのだ。
でも、フレスコって何だっけ?と例のごとくサーチエンジンで検索すると" ヨーロッパの聖堂などの壁画に使われる絵画の技法であり、またその技法による壁画 " とある。ああ、あれのことか。ということは夢のなかで伽藍のように思えたのは聖堂だったのかもしれない。教授の探していたものが少しわかったような気がした。

投稿者 oqx1 : 03:05 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月01日

未来の本の夢

久しぶりに短いが夢らしい夢をみた。というのもへんない言い方だけど、未来型というか、予知夢、になるかどうかわからないが、そんな夢。ごく稀に正夢のようなものをみることがあり、そういうときに限って鮮明に覚えていたりする。

誰だかわからない黒い男がやってきて、すごい技術による本ができた、と分厚い書物を差しだす。スタイルシートというWebの世界では標準になっている方式を印刷工程に移植したのだという。
ページを見ると、日本語で縦書きなのに、文末に<All>とかいった意味不明の記号があったり、それが次のページにこぼれてチョンマゲみたいに行頭に乗っかったりしていて、見るからに異様だ。が、男はそんなことはおかまいなしに、業界はもうパニックだ、イノベーションだ、と興奮してしゃべり続けている。
とつぜん知り合いのデザイナーが、こんなのは本じゃない、と叫ぶ。それにつられて文体じゃない、とか、きもい、とかいう声もあがる。すると、男は、だけどもう舵は切られちゃったんだよ、と醒めたように言う。

投稿者 oqx1 : 00:07 | コメント (0)

2007年03月11日

LPの夢現

行き当たりばったりを続けてきたら(ほぼ事実)、とうとうというかやはりというか異界のほうへ踏み入ってしまった。
わたしは唯物論者でレアリスト(シュールは好きだが)なので、これ以後のことはうまくいえそうにない。(じつはおもしろい体験なのだけれど)
いつかうまくいえるようにしたい、が
なので
先回りして
つづきはこちら

投稿者 oqx1 : 19:06 | コメント (2)

2007年03月02日

LPの夢現4

日が沈む頃、叔母の洋館に到着した。はずだった、が、えー?
ない。あとかたもない。なーんにも、ないうえお
記憶にあった洋館が忽然と消えていたのだった。

一帯は原っぱのような、がらんとした公園を装ったような広場になっていて、かつて梅の木や菜園があったはずの川岸にはよしが茂り風に吹かれているだけだった。

川の手前、というよりよしに向かって、申しわけのようにベンチがありアベックが戯れあっていた。なんでこんな殺風景なところで、と興味本位にさりげなく顔をのぞいて驚いた。

子どもの頃はこの洋館が恐れと好奇心の読み物だったことを思いだした。
いまにも怪人二十面相や黄金バットが現われそうな不気味さにおののいたり、ときめいたり、
子どもにとってはそんな妖館、お化け屋敷だった。

わたしは唯物論者だからと、平静を繕うOzでした。つづく、もか

投稿者 oqx1 : 18:09 | コメント (2)

2007年02月17日

LPの夢現3

やっとお目当てに辿り着いたときは半日過ぎていた。
見当がついてしまうと、こんどはいろいろな指揮者、演奏者のバージョンがあって選択に迷うほどだ。なのに、アンセルメは、ああアンセルメちゃんは、ない。ない。なんでない?

ジャケットに、ヨーロッパの古い城のような凝った屋敷のような写真をデザインしている一枚があった。それを見て、はたと思い出したのだった。
記憶から抜け落ちていた引越し先のこと。一時期、叔母の家にやっかいになったこと。

叔母の家は江戸川のほとりにぽつんと佇む古い洋館で、子どもの頃から親に連れられ静岡の片田舎からよく遊びに行ったものだった。長じて、ほんの数ヶ月か世話になったことがあるのだがその記憶を忘れていた。
ん?あそこじゃないか、記憶を置き忘れてきたのは。
他に格別予定もないので久しぶりに訪ねてみることにした。幸いというか災いというか市川には知己もいることだし。

と急転直下、踵を裏返して総武線方向に向かうOzでした。つづく、か

投稿者 oqx1 : 03:52 | コメント (0)

2007年02月05日

LPの夢現2

店に入って陳列棚の前に立ち、さてっと気合を入れるのだが、CDというのはどうもスーパーかコンビニで買物をするようでときめきがわいてこない。
LPの頃がなつかしい、などとあらぬことを考えながら目当ての曲を検索するのだったが、ふとあることに気がついた。

おいおい、作曲者が誰なのかど忘れしているぞ。
あれはたしかプロコフィエフだったか、と誤検索したところで、まあこれも失くしているしと先にこちらを手にする。そしてアルヴォ・ペルト。ついでにクセナキス……と、金もないのにコンビ二気分。

とりあえずこっちを先にと、レジのカウンタに持って行き目当ての曲の作曲家を尋ねる。
「あのー、死んだ王女のためのパヴァーヌの作曲家ってだれでしたっけ?」とOz。
すると「はあ〜?亡き王女のためのパヴァーヌですね!」とやけに甲高い声できっぱり。(まあそうもいうか)
そしてさらにオクターブぐらい甲高い声で「その作曲家ですか?(知らないの?と太田光調)」と。(おいおい声が裏返ってるぜ)

周囲の視線が一斉にこちらに集中するのがわかる。
とほほ、まるで罪人にでもなったかのようでなんともいたたまれない。そそくさと勘定を済ませ目当てを置き去りにして店を出てしまった。二度とこねーからな。と、はるか先の「HMV」へと再チャレンジするOzでした。つづく、かも

投稿者 oqx1 : 18:05 | コメント (3)

2007年02月02日

LPの夢現

ruriさんのアルヴォ・ペルトに関するブログ記事と獅子童丸さんとのコメントのやりとりを読んで、アルヴォ・ペルトという作曲家はぜんぜん知らなかったけれど、近代音楽の楽曲を無性に聴き直したくなった。ひとつは「死せる王女のためのパヴァーヌ」という曲。中学か高校の頃で記憶がアレだけど指揮者がアンセルメという人だったか、いたく気に入っていた。

それで手持ちのLPをすべてひっくり返して捜してみたのだが、ない。ない。ないったらないのだ。あれー?あれはたしか、そうだ、何度も引っ越しているうちにどこかへ置き忘れてきてしまったにちがいない。どこへ忘れてきたのだろう。

なにせ14回も引越しをしている。最初は横浜の金沢文庫、次は本牧根岸、白楽、妙蓮寺、菊名、そして世田谷深沢、舞い戻って横浜小机、また世田谷代田、新小岩、勝どき、佃、佃2、晴海
あれ?一つ足りない、どこだか一ヶ所思いだせない。
そうだ、そこにLPを忘れてきたに違いない。

と、夢現で銀座山野楽器へ向かうOzでした。つづく

投稿者 oqx1 : 03:20 | コメント (7)

2005年10月21日

コピーランナーの夢

久しぶりに長〜い夢をみた。ほんとに長かったようで目が覚めたときはグッタリしていた。

コピーランナーの夢

ぼくは駆け出しのコピーライターで、いつものお得意に出向いたのだが、今日は珍しく担当の女性のほうからじぶんでコピーを書いたからと原稿を渡された。あまりいい気はしなかったが、わかりました、ではコピーをトッテまいります(何のためかわからないが)と立ち上がると、いまコピーセンターは混んでますよと言われる。じゃあ事務所に戻ってトッテきますとそこを出る。それから長い夢になるのだけど(ハショって)、家に着いたと思ったらそこは学校の校舎のなかで、大人の生徒たちに隣りの校舎だよとからかわれたり、隣りに行こうとしたのにいつのまにかどこかの住宅街に居て、そこで住人たちの井戸端会議に巻き込まれたり…

いろいろあって走り回ってやっと大きなコピーセンターというか出力センターを見つける。が、やけにものものしい雰囲気。警備のおじさんにコピーをとりたいのですがというと、中に入って所長らしき人物やスタッフとなにやら相談してから「いいですよ、ただ、ここのコピー機はすごくいいので動かすだけで1万円ですが、何枚とります?」と訊かれる。え" 〜と絶句し、1枚しかとらないのにと焦る。が、すぐに気を取り直してまあいいか、お得意に請求すればいいんだとあっさりお願いする。

投稿者 oqx1 : 03:14 | コメント (3) | トラックバック

2005年08月04日

絨毯爆撃の夢

戦後生まれだから戦災体験はないのに、なぜか昔から戦争もどきの夢をよくみる。(もっとも最近は夢自体覚えていることが稀だけれど)
今朝は妙に生々しい、というか正夢風の夢をみた。実際に戦災体験のある上の世代には顰蹙ものかもしれないが…

○8月4日朝の夢 絨毯爆撃

工場で作業をしている。目の前には、幅1m以上、長さがずっと先まである紙のような布(絨毯?)のような物体があり、手前の端にさらにその物体を継ぎ足す作業をしている。どうも兵器をつくっているらしい。何の兵器かわからないが。コンテンツ?という声も聞く。
近くにいる敵を攻撃しようとしているらしいがなかなか作業がはかどらず、親工場が業を煮やして「こっちから攻撃するから巻き添えになるので逃げろ」と指令があり、われわれ仲間5〜6人はあわてて工場を出、坂道を転がるようにして逃げる。後ろで爆発音があり焦りまくっているところでT字路にぶつかった。仲間は左側に折れたのだがわたしだけはなぜか右側に折れ必死に逃げる。爆風が追いかけてきて、それといっしょに色、柄とりどりのパッチ模様のあの物体がうねるように押し寄せてきた。その隙間をぬってひたすら逃げているうちに突然部屋にぶつかった。
その部屋にどうにか逃げ込みしばしホッとしていると、誰かがドアをたたく。
開けると仲間がふたり入ってきて「無事でよかったな」と肩をたたきあう。「それにしては早かったな」とわたしが言うと、仲間は「もう2年過ぎたが」と言う。2年?あとの数人は?

そこで目がさめて、その数時間後知人から電話があった。「しばらくだね」と言いながら、夢を思いだす。あっ、そういえば2年ぶりじゃないかと。嘘のようなホント。

投稿者 oqx1 : 19:25 | コメント (2) | トラックバック

2005年05月16日

360度先の駅

久しぶりに昨夜の夢を鮮明に思い出すことができてちょっと嬉しかった。

じつはこのサイトでも夢ログを書き続けているisshikiさんを見習い、自分もログしようと一念発起、isshikiさんが主宰している「夢の解放区」に参加したものの、以前と違って前夜の夢をてんで思い出せず、やはり○○のせいかと挫けていたのでした。

昨夜見た夢。360度先の駅。

知らない街でなにか仕事をしている。バーテンダーのような仕事。それも真っ裸で。突然粗相(お漏らし)をしてしまい、それを見ていた知り合いにひどく蔑まれ、逃げるように街中を彷徨っているうちに迷子になってしまった。
空がなく薄暗い(夜ではない)整然と建物が浮かぶ未来都市のような場所だ。日本人にしては彫の深い顔立ちをした夫婦らしきふたりが前から歩いてくる。未来人だろうか。「駅はどっちに行けばいいですか」と尋ねる。すると、びっくりしたように「ここからじゃ遠い。グルっと360度回らないと駅には行けないよ」という。意味がわからずにいると、近くに見える遊園地のティーカップのような(回転はしていない)屋根のない円型の床の乗り物を指して「あれに乗れば駅に行ける」という。10人前後が着席し出発を待っている。
急いでそれに乗ろうとするとガイドの女性が親切に席に誘導してくれ、「二つ先で止まったら降りてください」という。二つ先が360度先の駅らしい。二つ先に着き、料金を出そうとポケットをまさぐりもたもたしていて、周りの客からブーイングが起きた。「初めて乗ったものですから」と詫びるとガイドもかばってくれ感謝する。
ポケットからやっと200円ぶん小銭をとりだしてガイドに渡そうとするが笑ってなぜか10円しか受け取らない。重ね重ね感謝して降り際に名前を聞く。「**です」という。その名をどうしても思い出せないが。で、ぼくは、と言いかけると、「○○さんでしょ」と言い当てる。びっくりすると、あなたが来るのは知っていましたからという。手を振って別れる。駅の名前は「まちや」といったような気がする。

投稿者 oqx1 : 20:09 | コメント (0) | トラックバック