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2006年07月04日

一枚の絵の言葉

《政治的な作家、あるいは政治的な芸術家とは、作品中になにか政治的なことがらを登場させる作家ないし芸術家である……こういう平板な見方にはぼくはいつも逆らってきた。だったらたとえばゴッホの「ひまわり」の絵はどんな意義をもっていたかと自問してみればいい。平板な芸術観からすれば、あれは「社会的視点には関連しない」絵と言われるだろう。ひまわりの花以外、なにも描かれていないんだからね。だがしかし、ゴッホの「ひまわり」がヨーロッパで引き起こした意識変革の事実は、おそらくベトナム反戦プラカードの全部を集めたものより大きかったと思われる。一枚の絵によって広汎なひとびとの意識が変えられてしまうなんてことを、平板な頭脳の持ち主にはわかりっこない。ヴァン・ゴッホがもたらしたのは、見る力の新生だった。美とはなにかの新しい概念、そしてその帰結としての新しい意識内容、新しい意識フォルムを,ゴッホはもたらしたんだ。》

以上はミヒャエル・エンデの『ファンタジー/文化/政治』からの言葉だが、ずっと以前、対談集『オリーヴの森で語り合う』で出会ったときから強く印象に刻まれている。

投稿者 ruri : 2006年07月04日 21:51

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コメント

まるで生き物のようなゴッホのひまわりには、絵に対する意識を変えられた人も多いですね

一人の子供の絵を描いても(ねずみと桶屋のお話のようにつながっていて)見えない糸で自然に反戦につながっています

一人の子供を悲惨な目に合わせてはいけないことが分かります

当たり前のことですね

自然に分かることを、分からない人が多いために、別の説明の言葉が世間では必要ですね

投稿者 獅子童丸 : 2006年07月09日 10:29

ほんとにそうですね。だから説明に対する説明、また説明…というように、面倒な表現が増えるのかもしれませんね。昨日の夜の東大での爆笑問題の発言は面白かったですね。現代詩におおいに通じるものがありました。だれが読むか、だれから反応が返るか…ということが問題で、「通」にしか通じない言葉がどんどん「通用」し始めるわけで。

投稿者 ruri : 2006年07月09日 13:34

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