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2006年06月27日

列車に乗った男

パトリス・ル・コントの《列車に乗った男》をようやく見た。公開されたとき、というより新聞の予告で見たときから、ぜひ見ようと思いつつ、見そびれていた作品。

二人の孤独な男の、偶然の出会いからわずか3日間の短いふれあいと心の交流。会話が主体の静かな、むしろ地味な映画だが、見終わって、深いみどりの水面からゆらゆらと小石が沈んでいく…どこまでもその小石のゆくえを見ていたくなるような印象の切ない映画。あれはシューベルトの曲?。初老の一人暮らしの男の弾くピアノの音色が響く古い館、そこで男二人の交わす途切れがちだが味のある会話、朗読されるアラゴン?の詩の美しさ。互いにもうひとつの人生への夢を抱きながら、それぞれの運命を果たしにむかう二人の姿、(この辺はハラハラドキドキ)。そしてラストの、余韻を残す幻のような美しいシーン。生きる哀しみ。寡黙なロマンティシズム。ああ、やっぱりフランス映画はいいなあと思う。翳のあるジョニー・アリディと孤独で飄逸なジャン・ロシュフォールが引き立てあって魅力的。

ただ私は、始まりの10分ばかりを歯医者さんの予約でやむを得ず見逃したのが残念。映画は始まりがやっぱり大切。始まりの部分をちゃんと見なかったら最後のシーンが生きてくれない。もう一度はじめから見たい!どなたかこの映画を見た方がいらしたら感想を伺いたいなあ…と思う。映画も行為やモットーだけではなく、どうしようもなく生きている、ヒトの内面を描ける筈だ。

投稿者 ruri : 2006年06月27日 09:17

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コメント

何年か前に映画「列車に乗った男」は冒頭から見ました。

様々な人生を通り抜けて来た男同士が出会い、老紳士が流れ者の男性を自分の住いにつれていった時は、この2人には共通する孤独があるのだろうと思いました。

どちらにも疲れが感じられ、何も言わずして理解しあえる知性があるようでした。

流れ者の男が、教授の家にいつまでいられるのか心配でたまらず、何か悲しいことが起こりはしないかと気が気ではありませんでした。

男の映画ではよく髭をそる場面や肌にじかにTシャツを着る場面があり、珍しいので穴の開くほど見つめています。

あまりにも淡々としていて暗く尾を引くように進む時間の先に何が待ち構えているか心配でした。

流れ者の男は、どうやってお金を稼ぎ、食べ物を得、そこに居ずらくなったら、また列車に乗って他の土地へ流れてゆくのか。

お金を盗むところは見たくなく、殺されるところも見たくありません。

最後に触れえた人間同士の友情で暖められながら2人は別々に死を迎えてこの世を去るのですね。

見たくないところは勝手に記憶が薄れています。。

投稿者 獅子童丸 : 2006年06月27日 22:49

獅子童丸さま

コメント感謝。なるほどそれぞれの見所が違うのがおもしろく、今度見るときは(絶対また見よう!と思っています。)そのあたりに注意を払おうかなと…。私はラストのシーンが目にやきついています。(もっともああいう終わり方ってよくありそう。フランス映画などは得意かも)それから詩を読むシーン。でも全体のなんともいえない雰囲気がいい…です。

投稿者 ruri : 2006年06月28日 10:54

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