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2010年09月08日

Spaceより 「石段」 坂多瑩子

[SPACE」93号で坂多瑩子さんの詩を読んだ。
坂多さんの詩は、どこか独り言のようだ。それは意識の下にあるあちこちの層から、記憶の断片が勝手に顔をのぞかせ、ふたたびどこかに消えていってしまうようでもあり、それは読み手の受け止め方によって、それぞれの人のもう一つのつぶやきや、忘れられたものがりを引きだす呼び水となったりする…そんな感じがする。


        石段                坂多瑩子

   ひとつふたつ
   一緒にかぞえてという
   女医さんの声を聞きながら


   石段をのぼった
   体温はすこし下がっているようだった


   石段をのぼりきったところには
   タラもどきの木が大きく立っている
   夏らしく
   茂った木は勢いがあり
   あかるい空に
   むこうのちいさな家に
   それから
   自分を描きこむまえに
   あたしは何も分からなくなった


   気がつくと
   へやの暗がりに
   ベッド 空っぽだった


   ネコがいなくなったネコはあれから一度も帰ってこない
   一度もついてきたことのなかった石段を
   ぽんぽん跳ぶように
   あたしを追い越していった


   あたしはネコのように
   ないた ないてみたかったベッドの上で


   むかし
   ひとつふたつ
   女医さんと一緒に数をかぞえた


    ”””””””””””””””””””””””””””

 石段や階段をのぼる、おりるということは、平坦な道をあるくのと違い、次元の移動というもうひとつの要素があり、ある意味で負荷〈楽しいにせよ、苦しいにせよ)を感じさせる特殊なイメージをもつ。この詩からは病気か何かで熱っぽい夢にうなされている状況をおもいうかべた。麻酔にかかるときの状態?かもといったヒトもいた。

 だが、〈石段)(数える)(夢のなかの状況のような画)〈つきまとうネコのわずらわしさ)などそれぞれの断片が、どこか深い所で読み手に見え隠れする、ある物語の脈絡を感じさせ、気になる作品だった。それも私が石段や階段のイメージになぜかこだわるたちだからかもしれないが。
    

      

投稿者 ruri : 2010年09月08日 09:55

コメント

確かに、階段は、次元の移動を暗示させます。唐突な断片のそれぞれが、読者の底に眠っている、物語を引き寄せる、呼び水になります。作者の狙いよりも、自らを
探っていくことに夢中になってしまうのが、この作品の魅力だと思います。

投稿者 青りんご : 2010年09月08日 16:18

そういえば私の階段(段々、石段)などが出てくる詩では 石段の途中に座っていたり、階段の上の何かのイメージが主だったりしたような気もして、ここにも書くものの性格が出るのかも…と思ったりしました。
青リンゴさんはどうなのかなあ?

投稿者 ruri : 2010年09月09日 10:39

石段や階段は、作品のなかには、出てきませんが、夢にはよく出てきます。ほとんどが、螺旋の階段で、どこまでも続いていたり、いきなり、絶壁に出たりです。やはり、性格とか深層心理などが、反映されるのでしょうか?

投稿者 青りんご : 2010年09月11日 14:58

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