「ホームページの移転」

約1年半ぶりの更新です。暑い夏が終わろうとしていますが、みなさまお元気でお過ごしでしょうか。身体のあちこちに支障をきたしているのは、年齢を考えると当然だと諦められるのですが、今年は豊作だと喜んでいた柿が、直径4cmにもなった青い実を次々と落として、その度にゴン!と大きな音がするのです。何か摑めそうだ、と思いながら描いている身には、それが結構こたえます。つけ過ぎた実を間引いているだけ、と自分に言い聞かせるのですが、摑めないかもしれない、と思う日もあります。様々なプレッシャーにもめげずに立ち向かっていくオリンピックの選手たち、えらいなぁ、、、
お知らせ
これまで私のホームページは KDDIのレンタルサービスを利用してきたのですが、それが2017年10月末で終了することになるらしいのです。次の個展の直前で余裕のない時期なので、今のうちに以下のアドレスに引越しをしました。今のところは両方で見ることができますが、2017年11月からは新しいサイトのみになります。訂正などお手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
  新しいURL
http://naoinoue628.webcrow.jp

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「HP の改良」

久しぶりのブログ更新です。皆さまいかがお過ごしでしょうか、、、私は少し体調を崩して、2015年をゆっくりとスタートさせました。これまで長い間 HP を改良したいと思いながら、作品で手一杯だったし、HTML が苦手なこともあって果たせずにきました。でも個展の後、新しい作品を UP しなければ、と思い切って手を付けました。この分野にお詳しい方から見ると相変わらず素朴なものではありますが、よろしければ覗いてみて下さい。
この機会に初個展から10 年間の「鉛筆作品」も UP しました。懐かしい世界です。私の場合、「鉛筆」だと世界はどんどん極私的に、「白衣」だと大きくなっていく傾向があるようです。
井上 直 の ホームページ

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御礼。

個展が終わって一週間経ちました。
寒い中、京橋までお出掛け下さいまして、ありがとうございました。
自分の中では 鉄塔シリーズ → 海の記憶 → 千の種族 → 物語の後の物語 と、それなりに一連の流れがあったつもりでしたが、見る方の中には「大きな変化」と受け止められた方も多く、絵を間に、作家の物語、見る方の物語が交錯する二週間でもありました。
個展を終えて、またゼロからのスタートです。
大作をいつまで描けるんだろう、、と案じながら、三年間努力しようと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
あと十日余りで今年も終ります。 どうか皆さまよいお年を、、、
                                井上 直

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「個展のご案内」

個展のご案内をさせていただきます。
早いもので先回の個展からまた3年経ちました。
湖、塔、森、城、劇場、遊園地、様々な場所での「物語の後の物語」、
ご覧になっていただければ幸いです。
井上 直 展
Nao Inoue
「物語の後の物語」
2014年12月1日(月)〜13日(土)
11:30〜19:00(最終日17:00まで 日曜休廊)

「物語の後の物語─湖」2013 1940×2590


「物語の後の物語」とはなにか。画廊を訪れた人は、6点の出品作のそれぞれの画面に登場する白衣の人物たちに、自分自身を重ね合わせ、絵のなかの「見る/見られる」関係に引き込まれていくうちに、さまざまな物語を想像/創造することができるだろう。それはきわめて個人的な物語かもしれないし、実は普遍的な人類の物語に通じているかもしれない。
               大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)

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「大川美術館の展覧会」

久しぶりで展覧会のお知らせをさせていただきます。
桐生市の「大川美術館」では、
「開館25周年記念─大川美術館の軌跡」
を開催中です。
2013年10月5日(土)〜12月15日(日)
6つに分けられた章の中の「時間」と題された章に、「使者を待つ森」二点が出ています。
二点揃って展示されることはめずらしいので、よろしければお出かけ下さい。
秋の小旅行をお考えの方、お近くにおついでがおありの方、お訪ねいただれば幸いです。
(公益財団法人)大川美術館(桐生市小曾根町3-69、Tel.0277-46-3300)
大川美術館のHP
都心から桐生までは充分日帰りできます。初めて行かれる方は、浅草、又は北千住から赤城行きの特急「りょうもう」に乗るのがお勧め。新桐生まで1時間半(約2500円)。新桐生からバス「桐生女子高行き」で、約13分(200円)で桐生駅北口に着きます。ただし、このバスは1時間に1本なので、Web上で、時刻表を調べ、特急の時間を逆算して出発するといいです。桐生駅からの道順は、美術館HPをご参考に。少々階段がハードですが、幼稚園裏の近道が便利です。
なお京橋の art space kimura ASK? には展覧会のチラシがありますので、ご関心がおありの方はお尋ね下さい。

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「御礼」

長く寒い冬がようやく終わったのに、梅が散り桜もどんどん咲いて、春は大急ぎで過ぎていきます。「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」展が3月20日に終りました。
遠いところを水戸までお出かけ下さいました皆さま、まことにありがとうございました。
美術館初体験で、色んなことを学びました。中でも50m 離れて見た「千の種族」のことは忘れられません。
今はまた来年の個展のための作品に入っています。登り坂が険しくなってきたことをひしひしと感じております。近くなりましたらご案内させていただきますので、またご覧いただけば幸せです。                                    井上 直

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「展覧会のお知らせ」と「ブログ終了のご挨拶」

「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」展
平成25年2月5日(火)〜3月20日(水・祝)
茨城県近代美術館
〒310-0851 茨城県水戸市千波町666-1
tel. 029-243-5111 fax. 029-243-9992
http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/index.html
上記の展覧会に参加します。丁度、偕楽園で梅の花が咲く頃です。
時期が近くなりましたら、企画展にアップロードされる予定です。
「ブログ終了のご挨拶」
思うところあって、月一度のペースで続けてきましたブログを、今回で区切りとさせていただきます。ヒポカンパス詩画展をきっかけに始めたブログでしたが、いつの間にか約8年になりました。長い間お読みいただき、まことにありがとうございました。
最後に、二つの大戦で破壊されたのは「言葉と想像力」だという認識を持って書かれた詩で、「これからの美術」を考える上で無限に私を励ましてくれる有名な詩を、、、
      帰 途               田村 隆一
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

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「それも描くうちなのか?」

まだ30代前半、子供たちは幼く、描く時間を見つけることが大変で、夜中から明け方まで描いたりして無茶をやっていた。当時、ある大先輩に対して、つい甘えが出たんだと思う。「両立が大変なんだ、、、」と、こぼしたことがある。その方が、思いやりを込めておっしゃった一言、「それも描くうちだよ。」が、私を変えることになった。
体調悪く、気力がないこと、アトリエが狭く、収納場所がないこと、絵にかかる費用が増えて、大変なこと、反抗期の子供の心が分からなくなってしまったこと、、、様々な苦しいことがある度に、私は自分に言い聞かせた、、、これも描くうち、と。
当時、私は分かっていなかった。「描くうち」の中には、「描く時間を作る」以外にも様々なことが含まれる、ということが、、、 他の仕事をしながら、心はいつも画面に向っていること──確かにそれも大事だが、画面に向った時から何かが始まり、それは頭で考えたこととは違うのも確かである。そして、いい展覧会を見たり、いい音楽を聞いたり、映画に行ったり、本を読んだりして、触発されたり、打ちのめされたりしながら、自分の原点を見つめ直して鍛えていく──それこそ立派な「描くうち」で、時間はいくらでも必要なのである。
「絵を描く」という仕事が大変なのは、結果として報酬が得られれば幸運だが、もともとお金とは切り離された仕事だからだ。なぜなら、それは「直接、目に見えないものの価値」を人に与えるものだから、、、
ところが日本の社会全体が「目に見えないもの」をどんなに冷遇してきたことだろう?大学の教養課程、基礎科学、哲学、文学、芸術、、、どれもすぐ役立つものではないが、人間とは?という根本的な問いに対して、実はとても大切なものが、どんどん痩せ細っていく。人々の心に「目に見えないもの」を感じとる経験が不足し、「夢を見る力」がなくなっていく。
年を重ねた人なら分かるだろう。「目に見えないもの」は、それぞれ個別に、苦労して、やっと得られたはずだ。しかし、「目に見えるもの」は、すぐに理解され、一度に多くの人の賛同を得られる。同じ情報、同じ思考、そして皆と同じであることに安心する。どんどん均質になっていく社会で、「目に見えないもの」はこれからどうなっていくのだろう?「目に見えるもの」しか受けつけない社会になってしまったら、、、
私自身は、賛同を得られても、得られなくても、とにかく描き続けていくだろう。しかし、これから描いて、生活していかなければならない若い人達のことを思うと、私が昔、言われた言葉、「それも描くうち」を投げかけるには、あまりにも苛酷な状況になっている。

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「屋上の風景」

元々「閉所恐怖症」に「高所恐怖症」、それにオーウェルの「1984年」で「ネズミ恐怖症」も加わった。いい画廊だと分かっていても、地下だと、なるべく早く外に出たい。映画「ベン」などは、うなされるから二度と見ない。しかし、3つのうちで「高所恐怖症」だけは改善しつつある。
今度の家には屋上があるが、階段を作ることができなかったので、そこからの風景を見るためには梯子を登らなければならない。本当は怖いので、昔、鉄塔に登っていた人の注意を思い出す。「落ちたら怖い、と思うでしょう?逆に考えるんだ、、、今、こことここを持っているから、落ちる筈はない、、、そう思いながら登っていくんだ。」なるほど、と思い、大丈夫、大丈夫、、、と自分に言い聞かせながら、登り降りしている。私の年齢を考えると、無謀と言われても仕方ない。
しかし、屋上の風景は、ほぼ360度の視界、開放感が違う。西の空の夕焼け雲は、描きたいなあ、と思う日もあれば、信じられない形になり、ウサギだ!あっ、クマになった、、、という日もある。本当だってば、と言ったって、信じてもらえそうもない。リアリティーって何?という気持になる。
頭上には月。いつも凛としており、画面に欲しいのは、この空気だよ、、、と思う。夜の空は案外明るくて、雲がどんどん流れていく日もあれば、一面の鰯雲が動かない日もある。1光年の星の光は1年前の光だとすると、私は今、30億年前、50億年前の光を見ているわけで、自分に残された時間はいくらもないな、と分かる。
30年居た街から広いアトリエを求めて越してきた。絵を描くだけの私とは違い、遠くに見える窓の明かりには、それぞれ、家族の暮らしがあるのだろう。駅から遠くて不便だと思っていたが、上から見ると、緑の多い、自然に囲まれた場所だ。東の空に沢山の鉄塔が立っている。自然の一部でもなく、人間の一部とも言えず、あれらは一体何なんだろう?
これまでのこと、これからのこと、寝ころがって、時々はビールを飲んで、ボーッと考える。
こうして屋上に登り、日常の外に出ることが、いつの間にか、私の生活に不可欠なものになりつつある。

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「日陰の植物」

築30年以上の古家を建替える時、そこにあった樹木をなるべく切らないようにした結果、楓や梅、柿などが枝を広げることになり、日陰を好む植物ばかりが増えた。
おだまき : 麻の糸玉からついた名前の山野草。ハート型の葉が3つ寄せ集ま       り、ピンクや紫、チョコレート色もある。
ぎぼうし : 葉に縁取りのあるもの、ないものがあり、葉だけでも美しいが、       初夏から夏にはするすると花芽が伸び、うすい藤色の花が咲く。
蛍袋   : カンパニュラ(小さな鐘)とも言う。初夏に釣り鐘状の花が下向       きに咲く。蛍を閉じ込めてみたい気もする。
おきなぐさ: 日本古来の花。三橋節子さん「湖の伝説」で知った。葉や茎、実       が白粉をふいているようで、「翁」の名にふさわしい。
ほととぎす: 赤味を帯びた古代紫の花。斑点があり、形が鳥のほととぎすに似       ていることで名付けられたそうだ。典型的な秋の花。
水引   : 群生する。以前、この花についてブログに書いたことがある。前       の家から持ってきた。
かたくり : ハート型の葉がつらなり、春、下向きに可憐な花をつける。我が       家のは白いがピンクもある。
襲名菊  : 「秋明菊」とも書き、秋まっさかりに咲く華やかな花。私は一重       の白が好きだが、ピンクも八重もある。はらはらと見事な散り方       をする。
吾亦紅  : すすきの横にはやはり吾亦紅だ。花は新鮮なものほど先が紫を帯       びているが、古くなるに従って焦茶一色になる。 秋、籠にすす       き、吾亦紅、りんどうを生ける幸せ!
つわぶき : ぶ厚い葉が「私の高さはここ」とばかり地面近くを被う。黄色い       骨太の花をつける。
蕗    : これも地面近くを被うが、もっと薄い葉。雨が降ると雨粒が転が       る。春先のフキノトウが楽しみ。
一般に、植物には日光が必要、と考えられているが、そうとばかりは言えなくて、これらの植物は、朝の光、あるいは夕方の光だけで充分だ。あまり日が当たると枯れてしまう。光を浴びて元気で咲いていく花もあれば、あまり光が当たらない方がいい花もある──ということを覚えておきたい。我が家の繊細な花たちは、それぞれ、自分にふさわしい場所で、毎年静かに咲いて、散っていく。

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