「玉井國太郎詩集」

「玉井國太郎詩集」が発刊されました。及ばずながら絵を2点提供させていただいています。亡くなって13年、ご本人の才能は勿論のこと、妹さんの友田裕美子さんを中心に沢山の方々の力が集まって立派な詩集ができました。一人でも多くの方に読んでいただきたいと思っております。

洪水企画 価格:税込¥2200 

玉井さんについては以前このブログで取り上げたことがあります。亡くなった翌年のことでした。

「玉井國太郎さんのこと」


「ユリイカ」9月号に、昨年春50才で逝った、玉井國太郎さんの詩6篇が載り、多和田葉子さんが追悼の言葉を寄せていらっしゃいます。
私は玉井さんをジャズ・ピアニストとして知りました。1980年代、私は鉛筆を使って身の回りのものと向き合い、じっくりと対話していくという仕事をやっていて、その傍ら、鉛筆の線を走らせることで瞬間をとらえ、二つを対比させて「時間」を目に見えるものに変えてみたい、と思っていました。「line—line」と名付けた、この「線のデッサン」をするために、あちこちのライヴ・ハウスで色んな音を聞かせてもらいましたが、透明な音の粒が疾走していくような玉井さんのピアノは、私の求めていたスピードに合致していました。
玉井さんが詩も書いていらっしゃる、ということは、詩人の、故・永塚幸司さんに教えていただきました。永塚さんが H氏賞をとられる前後だったと思います。永塚さんは、玉井さんの詩を、心から尊敬していらっしゃいました。また玉井さんは、永塚さんの死を、涙を流して悔しがっておられました。二人とも、類いまれな才能に加えて、「決して群れない資質」を持っていらした。
生き急いだ二人のことを思うと、「孤独」は人の心を蝕むのかもしれません。しかし、「表現」と「孤独」は切っても切れない関係にある。永塚さんの詩も、玉井さんの詩も、個人の「孤独」を突き抜け、全ての人の中にある、生きること自体への「寂寥感」に到達していると思えてなりません。それは西脇順三郎氏の言う「詩情」—神秘的な「淋しさ」—に近いものではないでしょうか。
彼らはちゃんと仕事をして逝きました。私は、残った者として、どれだけの仕事ができるのかと思います。

「ルフラン」                玉井國太郎
てのひらのうえ
漂流する恒星たちの
少しずつ違うひとつの名前を
泡立つ空隙のへりに
呼びとめる
明日もまた—
空に向かって
墜ちずにいることの痛みに耐えている
ただひとりの夢のなかの
ひとりひとり
歩み続けることに
深々と食い込み
消え去る重みをなくした沓音
世界を曇らせない息
の多面体
みずの悪意に染め抜かれて
みだらな青に座礁するくちびる
二度目には
氷晶に似るもの
「世界のいたるところで花が咲きました」
時の畝に
色とりどりの
痛ましい楔
うたうことのほてりが
つめたい石の影にくるしみ
ふるえて
    風を生み
        おちる
包み合うことの
重みにつかれて
世界のいたるところで
ほのおが
絶え間なく手を孕み
虚空に振り付ける
花の住み処
挿し入れられた徴しを刻んで
耳は翼を持つ
ひとつしかない名前の下で
燃えさかるため
明日もまた—

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2024年あけましておめでとうございます

「ここからは未知の場所」 2021 1620×1620 Acrylic on canvas

今年は元旦に能登地震、2日に航空機同志の衝突炎上事故とブログ更新も憚られる状況でしたが、皆さまはお元気でいらっしゃいますか。私はおかげさまで比較的元気です。5月の個展後に取り掛かった「秋の足音A」(130号)が年末に一段落し、B(100号)もどうやらやれそうだと目処がついてきたせいか、年末に出会ったある言葉のおかげか、「できる間に自分を信じて冒険するんだ!」と自分を励ましています。出会ったのは次のような言葉です。

「画家や彫刻家が風景の中や記念像のすぐ近くに人物を配置するとき、それは付属物に対する好みからそうするのではない。人物は比率を与え、さらにこれはもっと重要なことだが、さまざまな可能な観点を構成し、このあり得べき観点が、必要不可欠な潜在性を持つ観察者の観点を現実の観点につけ加える」ミシェル・トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』(榊原晃三訳 岩波現代選書)

今年は初個展から42年、「白衣」を入れ始めて32年になります。「白衣はいらない!」「白衣さえなければ、、」「白衣がなくても同じことが言える。」「白衣」は山のように否定されてきました。でも出来上がった風景に「白衣」を描き込んだ途端、そこに居る私は他者を巻き込んだ普遍的な「人間」になる。そのような存在に代わるものは他にないのです。私は哲学者ではないので、それをうまく説明できなかった。それをミッシェル・トゥルニエさんは説明してくれたような気がしました。本ってありがたいですね。もうしばらくは「秋の足音」を頑張ります。それからちょっと冒険、、2025年9月にまた見て下さい。

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個展の御礼

これまでずっと新作のみで個展を開いてきましたが、今回、新しい空間で、しかも新旧併せての展示になり、大丈夫かなと緊張しておりました。思いがけず多くの方々にご覧いただき、温かいお言葉も頂きまして、ありがとうございました。

正面に展示されていましたのは

「森林におおわれて A」”Covered by the Forest A”、2003年、1940×3500、Acrylic & Pencil on canvas

私がポーランドからの帰国後半年して描いたものです。 傷だらけの大地をどうやって表したらいいのか悩んで、文字通り傷をつけてみることにしました。 20年経って、改めて眺めてみると、昔の屏風にも見え、自分が日本人だなぁ〜と思います。

2年程したら、また発表させていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

                              

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「個展のお知らせ」

この春、新しい画廊で個展をさせていただきます。

昔の絵なのに、何故か「今の絵」にも見えます。絵の持つ「普遍性」というものを

考えさせられます。

             「25時のアリア」 1997 ,2022 2000×1600 和紙にmixed media

井上 直 展

2023.5.15(Mon.)ー20(Sat.)

11:30a.m.ー7:00p.m.

日曜休廊

コバヤシ画廊

〒104-0061 中央区銀座3-8-12ヤマトビルB1

Tel 03-3561-0515

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2023年、明けましておめでとうございます。

このブログの新しいシステム Word Press に慣れて、ブログを Upload できるようになるまでに少し時間がかかりました。お許し下さい。2021年暮れの個展の後、私は「兆しだけになった羽ばたきB」(162cm×194cm)を描き始めました。

「兆しだけになった羽ばたきA」(162cm×162cm)

Bはまだ撮影をしていなくて、これは個展で見ていただいたAですが、スパルタの遺跡の上を白衣たちが飛んでいます。約3000年前の「戦の民」が今の私たちを見てどう思うだろうかと思ったのです。確かに文明は進歩し、剣はドローンやミサイルになりましたが、隣国を侵略していることには変わりありません。近い将来、アジアにも新たな戦いが始まる恐れもあるらしく、私も心の中が常に波立つような状態が続いています。四苦八苦して「兆しB」を仕上げた時はもう8月になっていました。暑さのせいもあったけれども体力が落ちたことを自覚せざるを得ませんでした。それまでただ習慣としてやっていた筋トレや walking を本気でやり出しました。年をとった人間には体力保持が基本なのだと思い知らされました。そして「25時のアリア」を25年ぶりで収納庫から出して訂正に入りました。

「25時のアリアA B」(162cm×194cm、共に和紙に鉛筆のドローイング)

48~49才の私は未熟なところも多いのですが、エネルギーが溢れていたのか、今思うと果敢な挑戦をしています。私の絵に必ず登場する「白衣」は、「すんなり受け入れて下さる方」と「ちょっと受け入れ難いと思われる方」に分かれます。でも「25時のアリア」を描いていると、「白衣」でなくては言えないこともあるはずと思えてくるのです。

ようやく仕上げた後、10月から今に至るまでは「秋の桜」に入っています。戦争とコロナと私自身の残りの時間、、その全てに追いかけられるように描いています。この時代に求められているものを描いているのかどうかは分かりません。たとえズレていたとしても、私は紛れもなくこの2023年の空気を吸って、絵を描いていたいと思っています。

今年もどうぞよろしくお願いします。                  井上 直

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水野るり子さん追悼

2022年1月10日に水野るり子さんが静かに旅立たれました。Fiddle-Faddle8号が届き、荒川みや子さんが以下の追悼詩をささげていらっしゃいます。私たち、皆に大きな影響を残された詩人でした。ご冥福をお祈りします。

 窓        水野るり子へ              

           荒川みや子

まとっていたものを
そっと ぬぎ捨て
あなたは
逝ってしまった ひとりで
冬の
つめたい光の端を 髪に止め
香り草の束を
枕もとに置いたまま
開け放された 西の窓から
海が見える
今日と明日の境をこえて
一角獣が ひっそり
見えない虹を渡っていく
とぎれなくつづく 夢のかけら
書かれなかった 言葉のゆくえ
生きものに降りかかる 雪のような哀しみ
石畳の町に 靴音がひびいて
貝の化石は ふかい眠りにつく
波の帆が ゆっくりと上がる
残された私たちをうながしながら
はやく 次の朝を迎えるように と

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HPの移転

公開していたWebcrow が3月31日で終了してしまったので、これを機にHPを移転しましたことをお知らせします。新しいURLは友人のサイトで

http://www.Shimirin.net/~nao/

ウクライナの状況が精神的にも肉体的にもこたえていて、どうも調子がよくありません。1997年に描いた「25時のアリア」のことばかり思っていて、時々夢に出てきます。あの作品は、大作の方はどうも自信が持てなくて画集にも小品しか載せていないのですが、実は130号位の大作を2点描いています。現在の虚無的な状況があの作品を思い出させるのかと思うのですが、どうもショックを受けるとそれを絵のかたちで自分の外に出さない限り、この状態が続きそうで、しかもあの作品以上のものは今の自分にはできないと思っているんだろうなぁ、、、と自己分析しています。そうしたところで何の役にもたたないことは承知の上で、個展の後、取り掛かった今の作品を一応仕上げたら、昔の作品にもう一度向き合ってみようと思います。

「25時のアリアA」 1997 700×554cm 和紙にmixed media

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2022年初頭のご挨拶

明けましておめでとうございます。暮れの個展には寒い中にもかかわらず沢山の方に作品を見ていただきましたことを有難く思っております。現在の感染再拡大を考えますと奇跡的に少ない時期でしたからこそお会いできた方も多く、改めて皆さまのご健康をお祈り申し上げます。
暮れから新年にかけて、新作をHPにupしたくて、苦手なHTMLと格闘致しました。根本的に分かっていないことと、機械であるPCの前で冷静さを保つことが難しく、すぐパニックになるのでうまくいきません。今回はPCに強い友人の助けを借りて何とかupまで漕ぎつけました。
個展にいらした方もいらっしゃれなかった方も、よかったら覗いてみて下さい。

http://www.shimirin.net/~nao/

やっと個展後の大事な後始末が終わったので、明日からまた新作に入ります。
辛い時代に入っていることは皆が何となく分かっているのです。
「、、、でも描く」のは何故だろう?刺激の強い「動画」が溢れています。ジェットコースターのごとく次々と場面が変わり、振り回されるように体験が続いていく、、、そこで私たちが失うものがきっとある、と私は思います。静かに出会う絵、頭を働かせない限り何も得られず、そう簡単には分からないけれど、いつまでも心に残ってしまう絵、そんなことを考えて新しい出発をしたいと思っております。
井上 直

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「個展のお知らせ」

井上 直 展
12月6日(月)〜18日(土)11:30〜19:00


「谷戸の蛍A」2020~2021 1620×1940

art space kimura ASK?

〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-5 木邑ビル2F (東京メトロ銀座線「京橋駅」2番出口より徒歩1分。都営浅草線「宝町駅」4番出口より徒歩1分。)

TEL.03-5524-0771
E-mail: asku@oak.ocn.ne.jp
ASK? ホームページ http://asku.sakura.ne.jp/ask

4年ぶりに個展をさせていただきます。この4年間、特に後半は世界中がコロナウィルスに翻弄された2年間でした。450万人以上の方が感染症で亡くなり、それは今も続いています。
「わたしは知っている。なぜ人びとが死者を土に埋め、そのうえに考えうるかぎりいちばん重く永続的なものである石をのせるのかを。そうしないと大気のなかに死者がみちあふれてしまうからだ。」(「儚い光」黒原敏行訳・早川書房)とアン・マイクルズは言いました。数千年前のギリシャの遺跡は、そこに確かに存在した人々の痕跡を伝えてくれますが、死者の時間と現在の私たちの時間が交錯する風景があるのかもしれない、と思いました。そして「時間的継起を風景へと展開することで、それだけよりよく、時間を見ることが、経験することが、把握することが、それに働きかけることができる。」(「晩年のスタイル」大橋洋一訳・岩波書店)とエドワード・サイードは述べています。
ご覧になっていただければ幸いです。    井上 直    
なお以下をクリックすると 個展のパンフレットがご覧いただけます。
個展紹介パンフレット

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「個展のこと」

昨年12月の個展がこの6月に延期されていましたが、それも緊急事態宣言下になってしまいました。一応企画展なので画廊ASK とも相談しました結果、今年12月6日(月)〜18日(土)に決まりました。画廊のある京橋の通りも、美々卯が撤退し寂しくなったそうですが、年末には少し賑わいを取り戻しているのではないだろうか、という判断です。
コロナの状況下、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。 私は、川崎市、町田市、横浜市、と三つがぶつかる場所、つまりどの市の中心からも遠い辺鄙な場所で、静かにコンスタントに描いています。若い頃、大江健三郎氏の小説に多大な影響を受けながらも、彼の書くものによく出てきた「習慣」という言葉に軽い反発を感じていました。「惰性」に陥るまいと思っていたんだろうと思います。今、年老いて体力が落ちてくると、まさにその「習慣」をよすがに暮らしていると思います。以前と同じようにはできない。あれをしながら、これもする体力はない。他のことは出来なくても1日にこれだけの時間だけはアトリエに入る、それだけで必死です。
それでもこの時期、美容柳や紫陽花が華やかに咲き、一人ぼっちの生活を励ましてくれます。ヤモリの子供たちがもつれ合って日光浴をして気持ちよさそうです。オオルリが美声を響かせ長く長く鳴いて、そんなにアピールしたいの?恋をしたんだね、と微笑ましい限りです。
刻々と近づいてくる私の終わり、その予感を感じつつ、それを画面に定着できるか、できないか、私の絵の価値はそれで決まるだろうと自覚しています。12月近くになったらご案内差し上げます。どうぞお元気で。
                                井上 直

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