出かける時は大抵、文庫本を一冊バックに入れていく。東京の真ん中に若くもない女が一人で出かけていくのは、それだけで結構気疲れするものだ。電車の中やカフェで、ほんの一時文庫本を開き、気力を補給する必要がある時もある。何だかんだで、その時間がない日もあるのだが、本を持っているのと、いないのとでは大違いだ。そして、もしそれが「マラマッド短編集」などであれば、まさに「万全の体制」と言えるだろう。
マラマッドは1914年、N.Y. ブルックリン生まれ。両親はユダヤ系移民だ。彼の作品は、しっかりした教養のワク組みと、そこからこぼれ落ちるものへの共感を同時に感じさせる。おおよそ短編は、最初の一、二行で読者を「状況」の中に放り込めるかどうか、なのだが、マラマッドの場合も、例えば「最初の七年間」の出だしはこうだ。
靴屋のフェルドはしきりに物思いに耽っていたが、そんな彼には無頓着に、むこうの仕事台では助手のソベルが狂ったようにがんがんとたたきつづけていた。
それからいわゆる「虫の目」と「鳥の目」の両方で対象を捉えていく。靴屋のフェルドの夢と現実。そして助手のソベルの夢と現実。両方の要(かなめ)の位置に娘のミリアムがいる。助手のソベルは短編の最後に、やはりがんがんと靴の皮をたたいているのだが、事情が判明した後では、それがまったく違った音になる。
マラマッドの文章は情に流されることなく、リアリズムに貫かれているが、人間への暖かさを失ってはいない。翻訳者の加島祥造氏は「あとがき」で、彼の本質を「虐げられた人間をして最後に人間たらしめるものへの信念」と述べられている。
加島氏の言うように、マラマッドの短編に「人間の心を支える最後の支柱」があるとしても、なにせ短いから切り取ってくる場面は限られており、その支柱は、とても象徴的に伝えられる。日々の暮らしの瑣末なことの裏に隠れている支柱を軸にして、人々の生涯が大きく転回していくのだ。
そういうわけで、マラマッド短編集(新潮文庫)—この宝物をバックに入れているとしたら、やはり「万全の体制」と言えるのではないだろうか。たとえ財布の中は万全ではないとしてもだ。
明けまして おめでとう ございます。
今年も よろしく お願いします。
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