百日紅

夏の終り、、長くなった陽射しが百日紅の影を網戸に写している。 止まった時間の中で、やわらかな光の斑点がチラチラ揺れる。 おまえがまだ若木だった頃、私達はこの家に越してきた。 小学生の子供達に「百日紅」の名前を教えようと、私は「千日紅」の鉢を買い、どちらが長く咲くかと面白がって見守った。 百日紅は百日を越えて咲き続け、11月半ばに突然散り出すのだ。 バラバラと落ちた黄ばんだ葉が重なり、庭に樹木のにおいが漂う。 そして暮れ、、、焦げ茶色に枯れきった枝を落としてお正月の準備をする。
昨今、東京の冬は、雪の積もることはめったにないものの、厳しい寒さが続く。 百日紅は雪まじりの雨の中、瘤だらけの杭のようになって耐える。 恐らく幹の芯まで冷え切っているのだろう。 他の形のよい落葉樹に比べ、冬の姿があまりに不格好なので、可哀相にも思うのだが、翌年の晩春、強靱な芽が吹いてくるのだ。
それからはすごい、、、1年の半分が既に過ぎようとしていることを、周囲に知らしめ、お前は何程の仕事をしたのか、と問いかけるがごとく、どんどん伸びて華やかな花を咲かせる。 こちらも急かれる思いで仕事をする。
夏の終り、こうして百日紅の樹影を見ていると、長い年月、樹木にも喜びや苦しみがあったのではないだろうか、と思えてくる。 密かな喜びに小躍りしたり、無念の思いを噛み締めて耐えたり、、何回も樹皮を剥いで、その度に生まれ変わり、いつの間にか、それなしには庭の落ち着きが得られないほど風景に収まってしまった。 私は自分の喜びや苦しみから何を学び、それをどう育てて今に至っているのだろう。
ミソハギ科、百日紅、別名ヒメシャラ、、、

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7月の美術館

7月はあちこちの美術館を訪ね歩いた。 
まず府中美術館の「アートとともに(寺田小太郎コレクション)」を見にいって、大好きな山口啓介さんの「千の高原」に再会した。 野見山暁治さんの心の奥をかきわけるような「糸島の木」も、小野木学さんの祈りのような青い抽象も、改めてすばらしかった。 それに、寂しい駅や公園にベックマンを思わせる孤独な人間たちがいる、相笠昌義さんという作家の絵を初めて知った。 見る側は贅沢なもので、勢いがあるタッチの次ぎには緻密な筆遣いに惹かれ、樹木1本でも宇宙を感じるかと思えば、空間ににじみ出る作家の世界観に釘付けになったりする。 あらゆるスタイルの絵に出会ったせいか、自分は他の誰にも似ていない。 自分の仕事をやり通すことが大事で、結果は自然に決まるものだ、という思いを強くして帰宅した。
その後、愛知県美術館に「愛知曼陀羅(東松照明写真展)」を見に出かけた。 画面構成が劇的だし、白黒のコントラストは美しいし、何よりその場の空気を生々しく感じさせるのだ。 人や物が、そこに在ると同時に、その時代や土地の影を背負っている。 写真とは「かつて在って、今ここに無いという不在の存在を見ること」とカタログにあった。 どんどん複雑になっている現代に絵画は何を「見れる」のか、、と、ちょっと打ちのめされた気持ちで岐阜県立美術館「ルドンとその時代」展に行った。 岐阜と名古屋は近いのだ。
ルドンはもちろんのこと、ムンク、キルヒナー、マルケ、ベルナール、、、、次々と好きな絵や版画が出て来て、「絵画はやはりすごいなあ、、、」とつくづく。 人間の想像力は目玉に蜘蛛の足をはやし、古代の神殿にバラ色の雲を飛ばす。 繊細な花々は透き通った精神から溢れてきたばかりだ。 3つの美術館協同の企画展だそうだが、充実した内容だった。
そして月末は久しぶりで神宮前の色彩美術館を訪ねた。 菅原猛先生は、初個展から知っている、厳しくも、理想に貫かれた方。 小野木学の停車場の風景を見せて下さった。 見たとたんの没我状態、、「タイトル」を聞くことも忘れた。 小野木学は、抽象もいいけど、具象もいい絵だ、、、
アトリエにもどると、豊かな色彩やピシッと決まった構成の記憶で、満ち足りた気持ちになっている。 絵は本来そういうものなのだ。 いつの間にか全てが巨大化し、個人にとって酷薄なものとなり、うちに破綻を含んだ方法でなければ、「表現」にならない、等と、、、、辛い時代だなあ、、と思う。

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結核菌と私

 結核菌と私は浅からぬ縁がある。 母方の祖父は結核で亡くなっているし、父も、私が8才の時、結核で片肺の3分の1を切った。 父の膝に乗っていた私も、随分菌をもらったのだろう、、ツベルクリン注射の跡は赤く腫れた。
 私が12才になった時、好き加減が尋常じゃないと思ったのか、母は、豊中市在住の画家小出三郎氏のところへ私を連れていった。 氏は私の絵を見て、「この子は何か持っているようだ。 今からやれば、大丈夫。」とおっしゃった。 その日のことは忘れない。 庭にバラが咲きみだれていた。
 ところがその夢は、ほどなく、見事にしぼんでしまった。 小出画伯が結核になられ、刀根山病院に入院されてしまわれたのだ。 私は母に連れられ、当時はまだめずらしかったトマトを持ってお見舞いに行き、絵の道に進むことをあきらめた。
 その後、私の体内の結核菌は、高3の時ちょっと勉強をしただけで暴れだし、私はろく膜になってしまった。 皆は勉強しているというのに、4ヶ月も休学するハメになり、人生からドロップアウトしてしまったような気がして、私は本ばかり読んでいた。
 私が再び絵を始めたのは30才を越えてからだが、私には、自分に残された時間をいつも数えているようなところがある。 いつ何がおこるか分からない、と何だか思うのだ。 それも結核菌のおかげだと言えないこともない。
 
 

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語れない記憶

人には「語れる記憶」と「語れない記憶」があると思う。 そして当然「語れない記憶」の方が重要だ。 最近観た映画「隠された記憶」には、封印された「疾しい記憶」というのが出て来た。 
私の記憶も、老化のせいか、意図的に忘れようとして忘れたのか、多くのものが失われた。 しかし、残っている映像もある。 幼い頃から世界と自分との間にあった微妙な違和感、、、描いても、描いても、描き足りない「風景」があるのは、そのせいだろう。 いつも、旅に出かける前のように、旅から帰ったばかりのように、風景を見てしまう。 静かな風景の奥に叫びが聞こえる。 地平線に向かって消えていくものをどこまでも追いたい、という欲望がある。 理由はあるのだろうが、深すぎて分からない。 絵や詩は、考えてみれば、そういう理由の分からない個人の裂け目を、より普遍的で根源的なものに昇華させることで、克服してきた結果なのかもしれない。 夜遅くひとりで描いていると、そういう裂け目の奥がちらっと見えることがある。

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思い出と今

コロラドの思い出を書いて1日経ったら、何だか恥ずかしくなった。 思い出なんて他人にはほとんど価値のないことなのに、私ったら!と思った。 最近、年のせいか、これまでの人生の様々な時期にバラバラに経験してきたことが急に結びついてくるような体験をしている。 コロラド・スプリングスでアクリルについて少し学んだことが、後に自分にとって大きな意味を持つとは当時は分からなかった。他のことでも、その時は意味も分からず、でもどこか気になって記憶に引っ掛かっていたことが、何故気になったのか、自分は何をしたかったのか、分かって来たのだ。 人生の少し先輩である、ある詩人も、先日お会いした時、「私もそうだった、、、55才を過ぎた頃から色んなことが結び合わさってきた、、」とおっしゃった。 
何か人生の秘密が分かった、というわけではない。 そう単純なわけはないだろうから、そのうちまた分からなくなり、その上「老い」も加わって、何もかも霞んだまま終りを迎えるのかもしれない。 ただ、今は、この「そういうことだったのか、、、」という高揚感を大事にしたい。 そして今しかできない仕事ができたら、と思う。 

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コロラドスプリングスの思い出

怠慢のせいでほったらかしになっていたH.P.の「作品意図」を、8年ぶりで書き足しました。 よかったら覗いてみて下さい。 昔、アメリカにスライドを送る際にConceptを求められて、何とか書いたのがもとになっています。 日本では、絵は絵自身が語るのであって、言葉で絵について語るのは敬遠されるのが普通ですし、私も以前はそう思っていました。 でも今は、特に私のような具象をやっている場合には、言葉にすることではっきり見えてくるものがありますし、伝わるものも違ってくるような気がします。 
スライドを送った先はWatermedia というアクリルや水彩の連盟が募集していた国際展、といってもアメリカ国内が中心で、海外からは4カ国ぐらいの小さな展覧会でした。 でもそのお祭りの期間に開かれたアクリルの講習会で、私はリキテックスのメデイウムの使い方を詳しく教えてもらいました。 アメリカという国は描く手段としての実際的な知識を惜し気なく教えてくれるんだな、と驚いたものです。
ロッキー山脈とコロラドの大平原、青い空とマグリットの巨大な雲、3人前はあろうかというフライド・ポテトとフライド・オニオン付きのあばら骨のステーキ、30人のアメリカ人と朝から晩まで描き続けた3日間、、色々思い出します。 日本人である私にとってコロラド・スプリングスが遠い存在であったように、彼らにとっても日本は遠い存在でした。日本料理は「酢豚」のような味ではないことや、日本女性はもう丸髷は結っていないことを説明しなければならなかったので、、まあ、私の方も同じようなもので、コロラドスプリングスを「大草原の小さな家」の中の「初めて汽車が開通した場所」としてしか知りませんでしたから。
最近、映画にもなった「コールド・マウンテン」の本を読んで、久しぶりにコロラドのことを思い出しました。 ルイーズ・カデラック先生、今もアクリルを描いていられるのは、あなたのおかげです。

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「絵を印刷する」ということ

「ヒポカンパス」の体験で言っているのではないが、一般的に「絵を印刷する」ということがどういうことなのかを詩人に伝えるのは、案外難しい。 詩や文章は、気に入った書体や配置はあるにせよ、誤植さえなければ、ともかくも意図を正確に伝えることが可能だからだろう。 たぶんそれは、「詩を翻訳する」ということが一番近いのではないか。
「内容はほとんど伝わっているから、語尾は気にしないで。」「どうせ翻訳ということは承知なんだし、本物を読みたければ、日本語で読んでもらえばいいから。」
と言われて、詩人は説得されるのだろうか。 でもこれとよく似たことがごく普通に、そして悪気なく言われるのだ。
「翻訳」ということを始める以上、もちろん妥協せざるをえないだろうが、「どこを、どう妥協するか」が大問題。 印刷されてしまったものを未練たらしく見つめながら、「あの時、もう一言、言うべきだった、、、」等と後悔している自分はつくづく救いがたい。 たぶんそれは、自分の中の物差しが一旦狂ったらお終いだ、という恐怖に裏打ちされているからだろう。 だがそれも結局は「ベストは尽くした、、」と自分を納得させるしかない。 いい翻訳者はそう簡単には見つけられないし、費用もかかるのだ。
でも詩人の皆さん、ぜひご自分の詩を外国語に翻訳してみましょう! 

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「パルナッソスへの旅」

相澤正一郎さんから「パルナッソスへの旅」H氏賞受賞の知らせが届き、私も本当にうれしかった。  詩集の表紙に使っていただいた絵は、「かれらのなかに土があった」という題で、パウル・ツエランの詩から引用した。 4年前の冬、ポーランドのクラコフに行った時、樹木の高さに驚いた。 日本の樹の2〜3倍もあろうかという高さの樹が、枝をからめ、コケを纏い、ー10度の冷気の中に立っていた。 一時は地図上から消えたというポーランドの複雑な歴史と、我々人間の愚かな行いを、ずっと見つめてきたのか、と私は頭の下がるような気持ちで樹木の間を歩き、樹皮に触れてみた。 冬日は差してはいたが、とても遠く感じた。
詩集ができあがった時、「書肆山田」の印刷がすばらしく、ほぼ原画どおりの空気でありがたかった。 それ以上に、相澤さんの「言葉とご自身との間にある距離感」が好きだった。 私たちはもう事物に対し、触れてはいても、本当には触れていない。 「今朝もお鍋のスープをかきまわし、出がけにちょっとけつまづき、、、」 でも私はどこへ行こうとしているのか。

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現代美術館ー転換期の作法

雨の日に、「現代美術館ー転換期の作法」を見にいった。 ポーランドの作家たちのビデオ作品がとても面白かった。ジミェフスキの ‘Our Songbook’ は、ポーランドを離れ、イスラエルに移住した人々を訪ねて、彼らの記憶に残る歌を歌ってもらう、という映像だ。 寝たっきりで、最初、ほとんど会話もできなかったおばあさんが、だんだん記憶の焦点が合ってきて、外国の侵略に対し戦おう、、という歌詞の国歌を歌い始める。 彼らの顔の皺、もどかしげな表情、故国を見つめる遠い目、哀しみの記憶、、、まさに映像ならではの手法だ。 昨年見る機会のあったパレスチナ・イスラエルを映像でたどるドキュメンタリー「ルート181」のことも重ねながら見た。 そして体験はなくても、私達現代に生きる人間にとっての「移民」の普遍性、ということを考えた。
もうひとつ、ポーランドの4人グループ、「アゾロ」の<全てやられてしまった>も現代美術の本質をついてなかなかだった。 4人は次回の作品について相談を始める。「何かまだ誰もやってないこと、あったかなあ、、、」と、思いつくものを次々に挙げるのだが、、、、みんな既にやられているのであり、見たことある、のである。 彼らの母国の巨匠、S. レムが「高い城」の中で鋭い批評をしているように、現代美術が苦しんでいるということは自明のことだが、アゾロはそれを「自分たちを笑い飛ばす」という戦略で差し出す。 「どこか、力のない笑い」だが、それは私たちが生きていくための、最後の、切ない手段なのかもしれない。 

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祭りの後

「ヒポカンパス詩画展」が終わりました。 いらして下さった方、ありがとうございました。
独立した表現である詩と絵を、一緒に展示することは、既にリスクを含んでいます。 それを承知でやってみたわけで、結果は、、、、「面白い!」という方あり、「無理!」という方あり、、、、でもこれまで知らなかった多くの方に作品を見て頂き、「白衣」という不思議なものを追っている意味を少し分かっていただけたことは、うれしい限りでした。
個展の後はいつも空っぽです、、、、もともと白衣の中は空っぽだから、今ぐらい自分の絵がしっくりくる時期はない筈なのですが、どうも違う。 どうやら思っていた以上に色んなものを投入していたようで、今は考えることができません。 ただ一日中ぼんやりしていたい。  
詩の方は、どうなのでしょう? たとえばひとつ詩集が出来上がった時、充実感と敗北感の入り交じった空虚な気持ちをどのように扱っていらっしゃるのか、、、 それでまたひとつ詩ができるようなタフな方がいらっしゃるのかなあ、、、 
 

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