語れない記憶

人には「語れる記憶」と「語れない記憶」があると思う。 そして当然「語れない記憶」の方が重要だ。 最近観た映画「隠された記憶」には、封印された「疾しい記憶」というのが出て来た。 
私の記憶も、老化のせいか、意図的に忘れようとして忘れたのか、多くのものが失われた。 しかし、残っている映像もある。 幼い頃から世界と自分との間にあった微妙な違和感、、、描いても、描いても、描き足りない「風景」があるのは、そのせいだろう。 いつも、旅に出かける前のように、旅から帰ったばかりのように、風景を見てしまう。 静かな風景の奥に叫びが聞こえる。 地平線に向かって消えていくものをどこまでも追いたい、という欲望がある。 理由はあるのだろうが、深すぎて分からない。 絵や詩は、考えてみれば、そういう理由の分からない個人の裂け目を、より普遍的で根源的なものに昇華させることで、克服してきた結果なのかもしれない。 夜遅くひとりで描いていると、そういう裂け目の奥がちらっと見えることがある。

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