「絵を印刷する」ということ

「ヒポカンパス」の体験で言っているのではないが、一般的に「絵を印刷する」ということがどういうことなのかを詩人に伝えるのは、案外難しい。 詩や文章は、気に入った書体や配置はあるにせよ、誤植さえなければ、ともかくも意図を正確に伝えることが可能だからだろう。 たぶんそれは、「詩を翻訳する」ということが一番近いのではないか。
「内容はほとんど伝わっているから、語尾は気にしないで。」「どうせ翻訳ということは承知なんだし、本物を読みたければ、日本語で読んでもらえばいいから。」
と言われて、詩人は説得されるのだろうか。 でもこれとよく似たことがごく普通に、そして悪気なく言われるのだ。
「翻訳」ということを始める以上、もちろん妥協せざるをえないだろうが、「どこを、どう妥協するか」が大問題。 印刷されてしまったものを未練たらしく見つめながら、「あの時、もう一言、言うべきだった、、、」等と後悔している自分はつくづく救いがたい。 たぶんそれは、自分の中の物差しが一旦狂ったらお終いだ、という恐怖に裏打ちされているからだろう。 だがそれも結局は「ベストは尽くした、、」と自分を納得させるしかない。 いい翻訳者はそう簡単には見つけられないし、費用もかかるのだ。
でも詩人の皆さん、ぜひご自分の詩を外国語に翻訳してみましょう! 

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