「鈍い色」

鈍い色、、、と考えると、まず「グレー」が頭に浮かぶ。 朝日新聞社編「色の彩事記」は、私の大好きな本だが、それによると「グレー」と言っても、日本には実に様々な色がある。
「薄墨」、「素鼠」という無彩色を表す色の他に、「梅鼠」は紅がかった灰色、「紫苑(しおん)」は紫の入った灰色だ。 「減紫(けしむらさき)」になると、もっと濃い。 「鈍色(にびいろ)」は少し緑味のある灰色、濃くしていくと「鉄色」になる。 「卯花色(うのはないろ)」はオフホワイト、「白鼠」とも言う。 灰色の薄い色は「浅鈍(あさにび)」あるいは「薄鼠(うすねずみ)」と呼ばれる。 「銀鼠」は銀のような鼠色。 明るい茶が混じると「砂色」。  そして「深川鼠」は水色がかった鼠色だ。  「橡(つるばみ)」はどんぐりをつき砕いた汁で染めた色、「生壁色」は乾かない壁のように、茶色味や緑味を含んだ鼠色、「利休鼠」は白秋の「城ヶ島の雨」にも出てくる、緑味のある鼠色。 その他にも「桜鼠」「臙脂鼠(えんじねず)」「暁鼠」「牡丹鼠」「小豆鼠」、、、と、いくらでもある。
ただ「グレー」だけに絞っても、これほどあるのだ。 それは日本人が「グレー」に混じったほんの僅かの色を感じとって、楽しんできた、ということでもある。 澄んだ色に比べて鈍い色は地味だけれども、年と共に好きになる。 丁度、日本料理の中の、栗の渋皮煮、フキノトウの天麩羅、秋刀魚のはらわた等、子供の頃には分からなかった味が、後に好物になるのと同じように、経験を積むにつれ、複雑な味わいを楽しめるようになってくる。 
日本にはどうしてこんなに鈍い色が多いのか? それは日本人が明度、彩度、色相という分類ではなく、日常生活や自然を元に色を作り出してきたからだ。 具体的な事物、あるいはイメージは、時間を経るにつれ、それぞれの心の中で重味を増してくる。 もともと「美しい色」というものがあるわけではなく、分量と配分でお互いを引き立て合って美しくなるのだ。 鈍い色は澄んだ色を際立たせ、逆もそうである。
また、日本料理には「かくし味」というものがあり、お汁粉に塩を、茶わん蒸しに白醤油を、ぬたの酢味噌に芥子を僅かに潜ませ、味に深みを加える。 自己主張の強すぎる色も、ほんの少し鈍い色を加えただけで、深みを増してくるものだ。
鈍い色、、、と考えると、私はいつも、日本という国にも確かに「文化」があった、と感じ、それがほとんど消えてしまったことを残念に思う。

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