「クォヴァディス」(何処へ行く)」が描かれたのは1949年。作者は北脇昇。私はその前年に生まれました。これまで何人かの人にこの絵の感想を聞いてみたところ、「図式的過ぎる。」「理屈っぽい。」それが大半の感想でした。見た途端に共感する絵ではないことは分かります。しかし何か忘れられないのです。「また戦争は嫌だ。」「しかし、プロレタリア運動に加わるのもなぁ~」という感想は戦後の日本人の気持ちを代弁していたのではないでしょうか。

主人公の足元、異様に大きな貝殻は何を表しているのでしょう。戦争中、「絵」の世界だけに籠って描いていた人達のことを象徴しているのでしょうか。しかし戦後80年経った今もコンセプトという意味では、一部の人を除いて、空洞状態に近いと言っていいのではないでしょうか。戦後80年とは、アーティストの責任を問われることなしに「意味」を問うことを放棄して自由になった美術が、日本の復興に合わせるように世界中の美のエッセンスを吸収し、日本風に再現して、色と形とマチエールの「快楽」の中に浸ることを選んできた時代とも言えます。それはやはり「貝殻の中」と呼べるのではないでしょうか。そう考えると北脇昇のこの絵は、戦後美術の出発点であり、一つの予言にもなっているような気がします。でも2025年以降、これからはどうでしょうか。このままでは何か恐ろしいのです。
昔、アルコール依存症の人を治療する際、「このままいくと、こういうひどい状態になりますよ。」といくら言っても無駄で、なぜ依存するようになってしまったのか、ということをひたすら追いかけていく治療しかないと聞いたことがあります。今の状況が何故生まれたのかを追いかけていくことが必要で、その分岐点にあるのがこの絵ではないかと思うのです。私の杞憂であればいいのですが。
寒くなってきました。皆様、よいお年を。
井上 直