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2005年09月28日

ヘルムート・ラック

  ヘルムート・ラックは武蔵野の野原や林をほっつきまわっていた。ちょうど、春だしのんびりと歩き回っても誰も何もいわなかった。隣りの塀の向こうは一ッ橋大学の広い構内だったし、外人がいてもそれ程
問題ではなかった。クミコはベランダにゴザを敷き、水着をきて、朝からのんびりとひなたぼっこをしていた。なんということだ。日本では二階のベランダの上で海水浴のときのように水着姿で体を日に当てる
ひとはいない。でも、いろいろとぐるぐるとヨーロッパをまわってきたひとにとっては、国立はちょっといい休憩所だったにちがいない。ベルリンの冬はそれはそれは寒くてというより、零下10度で鼻がつんつんしてくしゃみもできなかったのらしい。大きな暖炉に長時間薪をいれても暖かくならなかったらしい。あの頃はクミコはお風呂にたくさん入って体を温めていたらしい。入浴剤がベルリンから贈られてきた。
 ヘルムートは野原を歩き回って、肥だめにおちたらしい。なんとも悲惨な顔をして、帰ってきた。コールテンのズボンをクミコに洗濯機にいれてもらい、ようやく、ほっとした。段差がついた和式トイレに反対側に腰掛けて、痔になりそうになっていた。それから、いなり寿しだと思ってガンモドキを買いゲッとはき出した。
 すべてがおかしかったが、彼は陽気だった。彼がわたしと同じ年ですこしナチの時代を生きたのかと思うと、不思議な気がした。彼はベルリンの歯医者さんの息子だった。でも、彼は日本が気に入り10年も
ジャーナリストとして滞在したこともびっくりするようなことだった。一時彼が、お金をつくるために帰郷し、
それからまた日本にすんでいた。彼が帰ってしまうと、わたしはとてもさびしくなり、彼がスワンになって
飛んでいく夢をみた。すると彼はそのことを喜び、自分の息子にスワンと名付けた。今はハンブルグにすんでいるという。お金があったら、タケミとハンブルグにいってみたい。

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2005年09月22日

「絵葉書」岬多可子  ことばの豊かさ

絵葉書   岬多可子


明るいオレンジ色の布に覆われたような春
果樹の花が咲き
動物たちが 大きいものも小さいものも
草を食べるために しずかにうつむいたまま
ゆるやかな斜面をのぼりおりしている

家の窓は開いていて 室内の小さな木の引き出しには
古い切手と糸が残っている
みな霞がかかったような色をしている
冷たくも熱くもないお茶が
背の高いポットに淹れられて
それが一日の自我の分量

遠くからとつぜん 力のようなものが来て
その風景に含まれているひとは
みんな一瞬のうちに連れて行かれることになる

以前 隣家の少女を気に入らなかったこと
袋からはみ出た病気の鳥の足がいつまでも動いていたこと

女は思う

春のなか
絵葉書は四辺から中央部に向かって焼け焦げていく

 

 

 ことばの豊かさというと、いろいろな考え方や意味があると思いますが、ひとつは身体、場所、記憶、生活などの関わり合いであると思います。なかでも、私が関心があるのは身体とことばの関わり合いです。
 比喩的にいうと、ひとつの詩を読んで、そのときに、ことばを発しているひとの息づかいやたたずまい、つまり、身体が感じられる詩が好きです。
 それは決して体について書いた詩という意味ではなく、海であっても、空であつても、この詩のように「絵葉書」でもいいのです。この詩に書かれているひとつひとつのことばや一行一行をとりあげて、説明することは殆ど不可能ですが、たとえば、第一節にはぼんやりと外を眺め、同時に自分の内側も意識しているような、そんな身体の存在が感じられます。このことは決してことばの意味からくるのではなく身体の関わり合いからくるのだろうと思われます。この詩の殆どがそのように感じとり味わうことができると思います。そして最後に(春のなか 絵葉書は四辺から中央部に向かって焼け焦げていく)。
            

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2005年09月21日

「衰耗する女詩人の‥理想生活」財部鳥子  ことばの豊かさ

衰耗する女詩人の‥‥         
理想生活           財部鳥子 


ベランダの不毛の乾燥地帯
干し物を抱えて
息を切らした女詩人はサンダルのまま
ワインの空き瓶に乗り
変色していくシクラメンのよれよれの
萎れた赤い花鉢に乗り
ついに月経色の花の上で足を挫いた
激痛で半分出来ていた詩編を失う

ガッテム! 
それはどんな詩だったか
閃光のような印象だけがのこっている
なぜかといえば
言葉が爆発していたと思うから

おれは死にたいんだ!
眼を負傷した兵士は
テレビニュースで叫んでいた
ああ 彼女は盲兵の泥だらけの手を引いて
吠えまくる犬どもを牽制しながら
死刑のあった廃墟に踏み込んでいくだろう
あのなつかしい硝煙のにおいの中へ
言葉はそこにあるに違いない
血の色の花もあるに違いない

女詩人は愛用の兵隊ベッドの上から
よなかに釣り糸をたらしている
紅鮭の遡行はいつあるのか
いつかきっとある
波を逆立てて上ってくるものが
たとえ古い知り合いの水死人でも
とりあえず釣り上げておこうと思う

欲しいのはチリ紙と歯磨きチューブ
乾燥野菜 凍ったクジラのさえずり
コットンのパンティ数枚
電球も一ダース 買っておこう
一生スーパーへは行きたくない
電話には出ない

 
 
 
 ことばはそれを発する人の身体、場所、記憶、生活などのさまざまなものととても密接に関わっている。この作品を読んでこのことがよくわかり、とても面白く、また感動しました。ベランダで足を挫いたため、失われてしまった詩編、しかし(閃光の印象だけがのこっている)。歴史と自らの記憶を蘇らせ、その二つをむすびつけることば、そこにはこの詩人にとって、ことばの始まりがあった(言葉はそこにあるに違いない)。
 そして、いま詩人は女詩人として愛用の兵隊ベッドの上から釣り糸をたらし(たとえ古い知り合いの水死人でもとりあえず釣り上げておこうと思う)。
 さて、お終いに生活のことばです。
 この部分は私がこの詩の中で、もっとも好きで、もっとも感動した部分です。もしかしたら、詩人はここを書くために、これまでのことを書いたのかも知れません。(一生スーパーへは行きたくない 電話には出ない)尻切れとんぼのように終わっているのですが、思わずヤッタネとかガンバレとか言いたくなります。
でも、これは私自身に向かって言っているような気もします。

                    

投稿者 yuris : 01:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月17日

大人になって少しわかったこと3 未來が見えるために

   ひとは一生のうちにどれぐらい本を読むのだろうか? 恐らく、これからも無限というくらい本をよむかもしれない。それから、もう本なぞ読まず、ただ空気のように生きて行けたらいいのかも知れない。でも、やっぱり寂しくなって本をさがしにいくだろう。本のことでいちばん印象に残っているのは、大岡昇平さんだ。かれはもう80すぎていたのに、ベット゛の横に山のように本を積んで一冊一冊読むのを楽しみにしていた。特に最近の小説が好きらしくまるでわたしが読んでいるアメリカの若い人の小説を感心してよんでいた。それはわたしをひどく勇気づけたのを覚えている。もう小説をかかなくなったのに、小説をよんでいるということは、やはり好きなんだなあと思った。ところで、ひとが最後に読む本とはどんな本なのだろう。
今日、図書館でクーニーの「ルピナスさん」という絵本を眺めてきたが、ああいうものでもいいなあとも思った。でも、読む本はわからないとしても、作家が書く最後の本というのものを考えるのは、とても、楽しい。
 恐らく、ラストブックというものは、いろいろ考えても、楽しい。この間、ゲーテの「親和力」という少し気味が悪いような本を読んだ。あれはやっぱり、倫理より恋愛をひそかに肯定したものであろうとベンヤミンがいっていた。そうかもしれない。しかし、最近わたしが読んだマルグリット・デュラスの「夏の雨」ほど新鮮に思えたものはない。何という物語なのだろう。なんという未来的な本なのだろう。フランスが好きなのは
堅苦しくないのに面白いからだ。このように子どもを大切に思う国はない。というよりは、この混乱の時代
にどのような大人の愛よりもこどもの方がうつくしいからだ。というよりも大人たちがありとあらゆる享楽と戦いと労働と知の疲労を試みたあと、この革命の国の市民はいまさりげなく子どもたちのことを語り、新鮮な朝の空気のような子どもの物語をするのだ。はじめ、わたしは図書館のあるコーナーにしゃがみこんでこの本を眺め、何度も何度もただ眺め他の本をかりてかえってきたのだ。何でも貧しい移民の夫婦は
子だくさんでこどもが学校にもいけないのだが、父親と母親はまだ本を読む力はのこっていて、ジョルジュ
・ポンピドーの生涯に感激する。なぜなら、どんなに有名な人物の夫婦の生涯でも、どこか自分たちの生活と似ているということを発見したからだ。それは有名、無名にかかわらず、人の生涯というものは、あるていど同じ論理に依って創られているからだというのである。この凡庸で穏やかな生活保護を受けている
イタリア系の父親とロシア移民らしい母親から、奇妙な天才のような子どもが生まれ、学校に一週間しかいかないのに、聖者になるかもしれない予感にみちていきるエルネストというこどものものがたりなのである。
これはフランスでベストセラーになってしまった。なんという朝の空気のような聖家族のものがたりなのだろう。これほどの希望をもったことはない。そして、ル・クレジオの「海を見たことのない少年」と「黄金の魚」もすばしらい。「黄金の魚」はわたしの友達の村野美優さんが訳したのだ。こういう本にわたしは未來を感じる。あの子どもたちが持っている光のなかで、わたしはいましばらく生きて死にたい。

投稿者 yuris : 03:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月08日

大人になって少しわかったこと2 「愛はあまりにも若く」

  ファンタジーといえば、どんな小説よりも魅惑的なこの物語を数年間何度も読むことになった。前にフォークナーの小説もかなり深く面白いと思ったが、でも、もう一度ふりかえる程のエネルギーがないような気もする。なぜわたしたちは、ファンタジーを読むのかはだれにもわからない。恐らく、どこのだれでも、つまり、おかあさんか、おばさんか、おばあちゃんか、わたしたちのすぐ側にお話の上手なひとがいて、ひとりの人が「百年の孤独」ぐらいの物語というか、情報をごく自然に伝えてくれていたのだろう。プーケットで恐ろしい津波が起こったとき、わたしたちはだれもあんな津波にであったことがないと思った。アメリカから
インドネシアに「これから一両日の間に巨大な津波がそちらにいくから、気をつけて欲しい」と連絡したところ、インドネシアでは誰もそんなことは経験したことがなかったし、はなしにも聞いたことがなかったのでので、受け取った者がにぎりつぶしたそうである。車から建物が破壊したかけらから、冷蔵庫やタンスやおおきなバスからその他一切合切の日常物質がゆっくりと殆ど静かにと思えるぐらいの水が道路を渡ってやってきたとき、それを見ていた人々はもう助からないぐらいの危険な状態にあった。20秒ぐらいであったかもしれない。海が干上がって不思議なことがあるものだなんて呑気なことを言っていたこともあった。かなり、遠くに白い波の壁が
こちらの岸辺に近づいて来たかと思うともうなにもかもがまきこまれて誰も逃げられなかった、とかあのヴィデオフィルムをとったのは誰だろうとか。ずっとたってから、わたしたちは何千年も前なら確かにありうるのだろうと考える。なぜなら聖書にだって大洪水は書かれてあるからだなどと。
 物語は確かに必要だ。特に鬱になつたとき、ちらちらと夢にみるような物語は必要だ。とくにナルニア国の物語の次に書かれたC.S.ルイスの最高傑作は。子どもの物語ですらあれほど魅惑した「ライオンと魔女」の次の最初で最後の傑作は。愛といってもいろいろある。親や子どもへの愛もあれば、兄弟や姉妹、兄と妹も姉と弟も。死んでしまった肉親を捜してどこまでもどこまでも、北の氷のくにまで汽車にに乗り継いでいったのは、宮沢賢治でなかったのか?しかし、妹プシュケーを探して灰色の山の神々と争った
姉オリュアルのような物語はあまりない。なんともいえない魅力である。人間の世界では獣とさげすまれているキューピッドはあちらでは美しい若い神なのだ、でたらめのようにもおもえるけれど、伝説や悲恋や神話はどんなふうにこの世に現れるのか、そして神は?人間の真の姿とは?ファンタジーなら信じられる
、たまには何度も何度も読んでみたくなる。小さいときお母さんをなくしたルイスはナルニア国でそれを食べると重い病気で死にかけたおかあさんが生き返る魔法のりんごを発明する。こんな人、みたことがない。物語はわたしたちに必要なのである。戦後わたしたちは物語などなくても生きていけると思っていた。しかし、津波ひとつとってもひとりの人間の経験だけでは理解できないものがあまりにもおおくあるからである。
この本はC.S.ルイスの「愛はあまりも若く」である。

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2005年09月07日

大人になって少しわかったこと

 すこし夏バテでした。ずっと前にサイードというひとの「遠い記憶」という本を読んだことがありました。とてもわかりやすい自伝のような本で、わたしは感動して「サイードから風が吹いてくると」という詩を書いたことがありました。その時はサイードが小さいときからことや、アメリカに行って活躍することの具体的な体験
にとてもとても感動したわけですけれど、ごく最近なって彼のお父さんのことが気になりました。とにかく
サイードの一家はパレスチナにすんでいましたが、だんだんそこを追われてエジプトのカイロなんかで文房具の商売をして、しこたま儲けていました。お父さんは若い頃アメリカの兵隊に志願してアメリカのいろんなところに住んでいました。そこでかれアメリカ式の商売をして一旗あげたわけです。パレスチナというところは昔イエスが住んだところですから、なんだか男の国でやたらめったに親戚やら知り合いが多いわけでエドワード・サイードなんてその息子に名前をつけて、エジプトのかいろのイギリス系の学校にいれていました。それから、夏になると、レバノンの田舎に休暇をとりにいくわけですね。それでそのお父さんは
お金持ちなのによれよれの洋服をきて、子だくさんでなんにもしないでぼけーとしているわけですね。
 どうして、あのお父さんは一家の柱で国を追われ、それだけでなくお金持ちで、それなのに絶望的な顔をしているのだろうとおもったわけですね。それはかれが一流の実業家なのに故郷がなく、家ももてず、
イスラエルに全部とられて流浪の民におちぶれているからです。やがて、かれは一人息子のサイードを莫大なお金を使って、高校から十何年もアメリカの学校にいれるわけです。お父さんがお金を稼ぐときはただ一家の暮らしを支えるだけではなく、なにか生き甲斐のようなものがなければならなかったのです。かれの
目的は巨大な富を息子の教育に費やすことだったわけです。まあ、それは大体成功したわけですが、
その気の遠くなるような大事業のことを延々とかいているサイードにも感心したわけです。お父さんは一日の仕事を終える前にお昼頃どこかへ消えてしまい、一秒たりともう働きたくないのですね。そして、大部分の男のひとたちが砂を噛むような労働をしているのだと思って、お金の力ってすごいなとおもったわけです。あの写真で苦虫をかみつぶしたお父さんは成功していながら、大変だったのだなあとおもったわけです。わたしもすこしお金をかぜごうかなあ。
 

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