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2011年12月04日

馬場晴世「断崖」 鮮やかな詩

断崖     馬場晴世


アイルランドの西の果て
モハーで
大西洋につき出た
切り立つ断崖を見た
十六キロにわたり
高さが二百メートルもある
柵が無いので時には
羊やひとが落ちるという

大地が終わる処
西風が強く崖は海と戦っている
海は白い歯を立てて
岩に噛みついている

落ちたら間違いなく死ぬ
その恐さをひとは観にくる
きっぱりと詩に直面したいとき
怖さを内包して切り立つ一行を欲するとき
死を飛び越す一羽の海鳥になりたいとき

  
           ※
 これはとても鮮やかで明快な詩です。
 使われている言葉のどれ一つとして不明瞭な感じは全くありません。そして文の形や一行一行の並び方もとてもくっきりとしています。
 
 一蓮目のまとまりも同じように殆ど曖昧なところがありません。そして、当然のことかも知れませんが、この詩が創り出すイメージも実にくっきりとしています。私は日頃から、いろいろな人の詩を読ませてもらっています。そのなかでもこの詩は際だって鮮やかです。
 月並みな言い方かも知れませんがまるで一幅の絵を眺めているようです。それどころか私は以前にこの詩と全く同じような絵を見たことがあるのではないかと思ってしまいます。
 それは、この詩にそれだけの力があるからだと思います。この力のもとは先程から書いているように、この詩の鮮やかさにあるわけですが、そのいちばんの奥には、この詩人の「覚悟」のようなものがあります。それは

<落ちたら間違いなく死ぬ その恐さをひとは見にくる きっぱりと死に直面したいとき 怖さを内包して切り立つ一行を欲するとき 死を飛び越す一羽の海鳥になりたいとき>です。

 言葉、文、イメージの鮮やかさはこの「覚悟」とお互いに照らし合っています。私はこのことを恐ろしいとも、とても魅惑的とも感じます。
 それは恐らく大自然に対したときに感じるものだと思います。

 またこの詩に惹かれる理由の一つは私が現在置かれている毎日の生活世界にあるとおもわれます。そこではいろいろなものが曖昧で、なしくづしで、不明確です。私はそれが嫌で本を読んだり、音楽を聴いたり、仲の良い友達とはなしたりして、できる限り明確な世界に生きようとしていますが、しかしなかなかうまくいきません。

 現在の私が住んでいる生活世界の曖昧さは多分かなり強固なものであると思います。そういうなかで、この詩に出合って私はとても勇気づけられました。

投稿者 yuris : 00:57 | コメント (0)

2011年12月03日

広瀬弓「こころがまだ水のころ」対話

こころがまだ水のころ   広瀬弓
   
空のまなざしは低く
水色と青の上にあると言われる
気圈や宇宙の言葉を知らなかった
対話だけがあった

ドッチニシヨウカナ
カミサマノイウトオリカキノタネ
どっちでもよくなくて
どっちかでならなくて
いつも選ばれなくてはならなかった

空の声のするところは低く
直接こころに流れてきた
それとも
耳をつたわったのだろうか

ブランコを思いきりこいで
木の葉につま先が届きそうになるまでこぐと
すぐ近くに降りている面だけの方
あたたかくもやわらかくもない
大き過ぎるので
顔が見えなかった

その方はとても小さくわたしのなかにもいるようだった

どんな形にもなれる対話

うつしたり

とかしたり

べつの名で呼ばれたり


            ※

 私はこの詩から殆どイメージを受け取らない。
 けれども読み終わると何かが残る、というか心にぽっかりと穴が開いたような感じがする。これはもう少しくわしく言うと、心のありようである。しかし、それ以上は何ともいいようがない。

 一蓮目については一つ一つの言葉が生き生きと息づいていて、私はこの部分がとても好きだ。でも、だからといって、やはり特別のイメージがわいてくるわけではない。
 イメージではなく、心の動きというか、考え方のようなものがある、実感を持ってつたわってくる。そのなかでも特に「対話」というのが残る。

 そして、第二蓮目はこの心の存在証明のような感じがします。
 第三と四蓮目はもう一度、空にたくして心のありようを確認しているようです。
 四蓮目についていえば、この詩のなかで私がいちばん好きな部分で

 <その方はとても小さくわたしの中にもいるようだった>

 というのが特別心に残りました。このなかに、心のありようを詩で書くという一つの頂点が
あるような気がします。そして、「対話」がとてつもなく大きなものに感じられます。私はこの詩を読みながら、この詩を読む間じゅう「こころがまだ水のころ」という言葉を思い浮かべていました。

投稿者 yuris : 18:13 | コメント (0)

2011年12月02日

若狭麻都佳「Amazing Planet kの正体」冒険することば

Amazing Planet kの正体   若狭麻都佳

ばら
      ばら…
の
秩序だった
白い混沌
まぶしい
底が
     抜けた
時間

 人々は楽しげに狂っている

魚たちが
燃え立つように 青く走り
ちりばめられた丘のうえ
荘厳な声が吹き抜ける
絞首台に吊られてゆく
シャーマンの
こなごなになった
いのちの破片を拾い集めて
覆されたものたち
が
草になる

 古代ノ骨ガ咲イテイル

やがて…
草が産み落とした
「ツギハギの星」
が
何処にあるのか 
         遡るたびに
 進化してゆく
そのおとこ
にだけは
聞いてはいけない

           
          ※
 私はこの詩が全体で何を言おうととしているのかよくわかりません。この詩からはっきりとしたイメージをつかむこともできません。しかし、それにもかかわらず、私はこの詩に強く惹かれます。それはひと言で言うと、この詩がとても緊張をはらんでいるからです。それをピーンと張った緊張というよりいうより、ちょっと足を踏み外すと無限の闇のなかに墜落しそうだからです。

 たとえば、初めの蓮は言葉がとても清潔な感じがして、その意味もイメージも私にはよくわかります。でも、ここを読むときあまりに慎重になったり、もたもたしていたりすると暗闇のなかに落ちてしまうのではないかと思います。この蓮は、文字の形や並べ方によってそういった緊迫感がよくでています。
 
 次の蓮はこの詩で私がいちばん好きな部分です。
 <魚たちが
  燃え立つように 青く走り
  ちりばめられた丘のうえ
  荘厳な声が吹き抜ける>に惹かれます。
 そして、この言葉についても前と同じように前と同じようにあまり考えすぎないように、もたもたしているとかえって大切なものを見失ってしまうような気がします。つまり、ここでも
私は緊張感をかんじます。それはやや大げさに言えば、生命(いのち)を賭けているようなような感じさえします。
 さて、次の<古代ノ骨ガ咲イテイル>については私は停止した感じがします。つまり、私は
殆どわからないのです。でも、この言葉の前で停止してしまうというのは、面白い感じがします。それで、突然私はわかりました。私の前にあるのはガラスのケースに入った古代人の、たぶんエジプト人の骨ではないかと。そう思うと、さらに面白くなりました。

 古代の栄華をきわめた人々の模様をつたえる展覧会があって、そこを訪れた詩人が感動して、とてつもない霊感を受けて、この詩を書いたかも知れない。

 おしまいの「そのおとこ」についても、多少、想像を込めて言えば「神」であろうと思います。でも、エジプトに「神」はいたのだろうか……………。
 いずれにしろ、この詩は私の心をとても自由にはばたかせてくれるのです。  
 
 

投稿者 yuris : 00:26 | コメント (0)