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2007年05月15日

「マリーナ」T.S.エリオット 人生の時の時

マリーナ  T.S.エリオット 水崎野理子訳


 ここはどこだ、なんという土地、世界のどこなのだ?

どんな海がとんな岸が灰色のどんな岩がどんな島が
どんな波が船の舳先に打ち寄せてきたか
松の香り 霧の中に聞こえて来るツグミの声
どんな風景が蘇って来るか
おお 娘よ


犬歯を研ぐ者は

ハチドリの栄光に煌めく者は

満足して豚小屋に居座る者は

獣の情欲にふける者は


彼らは消えて行く 風にかき消されて
この恵みによって
まっ風のよよぎ 霧の中のツグミとなる


この顔は何だ だんだんぼんやりしてだんだんはっきりしていく
手の脈はだんだん弱くなりだんだん強くなっていく
現実か夢か? 星よりも遠ざかりしかもだんだん近付いて来る
歯のそよぎと急ぐ足音 その中ささやく声と小さな笑い声が聞こえる
眠りの下 海は鎮まる


船は氷でひび割れペンキは熱の為剥げた
これは私の船 私は忘れていた
そして思い出す
船の装具は弱まり帆は腐ってしまつた


ある年の六月から次の年の九月の間に
私はこのことを忘れていた 人にも言わなかった
船板から水漏れがした 継ぎ目は修復が必要だ。


この姿 この顔 この命
私を越えた永遠の世界に生きている
私は私の命をこの命に委ねる
私の言葉をその未来の言葉に委ねる
私は目覚める 開かれた唇 希望 新しい船


どんな船どんな岸輝かしいどんな島が私の船に向かって来るか
霧の中私を呼ぶツグミの声
娘よ

 


 眠りから目覚めようとしているのか、あるいは、軽い痴呆症を患っている脳が再び活性化しようとしているのか? いずれにしても、意識が混濁しているときに言葉を発し、それを書きとめるとするなら、このような作品が生まれるのかも知れません。


 けれども、そうしたことは殆どあり得ません。恐らく、ごく稀にコカインなどの麻薬の助けを借りて、このような詩がつくられた例も幾つかあります。そういう場合、どこか不自然で、言葉そのものが貧しく歪んでいるのが通常です。


しかし、この詩はそういったことが全く感じられません。何かしら、この詩のなかで、わかり難い、ぼんやりしているところがあるとすれば、それは言葉がそうなのではなく、言葉の置かれている場所(夢と現実の間)がそうなのですから。


 つまりその場所とは(眠りと目覚めの間)であり、(痴呆と正常の間)であるからです。さらに、実は(生と死の間)であるからです。ということは、もしかしたら、(眠りと目覚め)、(痴呆と正常)は、そのまま(死と生)に結びついているひとつの同じ道程かも知れません。

 それが美しいとか、醜いとかいうのではなく、そこに生きる意味の本質があるとこの作品は語っているのではないでしょうか。

投稿者 yuris : 15:20 | コメント (0)

2007年05月11日

「投光」 関 中子     もうひとつ

投光  関 中子


わたしは町の奥に住んでいる
町の東側に向かってずんずんずんずん歩くとわたしの住処に辿りつく
そこはかたつむり通りの向かい側になる
柿の木森の東隣ですすき原の西
くぬぎトンネルをぬけたところ
くぬぎトンネルに入る前に
夜になると西に沈んだはずの太陽がそっと隠れたつもりのような
太陽の幼子団地と名づけた建物群が散らばる
北の大地は太陽の幼子団地に仄かに照らされて地上に浮かぶ
そこで輝く変身山は一番迫力がある
さらに人が乗った噴火流が北に西に南へと見え隠れる
隠すものと隠されるものと
沈黙するものと声高に話すものとどちらも素敵に見える
時々 妙にもの哀しく見える
輝かない窓がいくつかあり
その窓の奥のできごとをひとつふたつ考えようとすると
窓の哀しみとわたしの胸をよぎった淋しさが
あたりまえの言葉は地中に埋めて人目に触れさせるなと震える

わたしには別れた双子の兄弟姉妹などいないのだし
わたしの窓はあの幼子団地にあるはずもない
わたしは町の奥に住んでいる
町の東側へ向かってずんずんずんずん歩くとわたしの住処に辿りつく
そこはかたつむり通りの向い側になる
柿の木森の東隣ですすき原の西
くぬぎトンネルをぬけたところ
三年前までは葛の葉橋を渡ったが
それは熊笹砦の思い出話になった
窓に向かって葛の花びらを投げた
まっすぐに投げた
でもたちまち勢いを失ってはらはらと熊笹砦を流れた
熊笹砦から西南を望むと町で誰かがまっすぐに
空に投光するのが毎晩見える
雨の日も 風の日も 曇り空の日も
まっすぐ まっすぐ見える

わたしの夢に形があるとしたらこんなふうに
空に向かって行きたいのでは?

投稿者 yuris : 02:00 | コメント (0)

2007年05月09日

「かくされた町」関 中子      純粋

 言葉をあつかっていて、時々歪まないでいることは難しい。思想の深みにわけいり、闇の返り血をあびないでいることは難しい。ランボーではないが、精神の闘いはなかなかむずかしいのだ。ときどきは季節よ、城よ、無傷なこころはどこにある? などといいたくなるときも、ある。
 しかし、毎日のように、わたしは新しい詩に出会う。だから、いろいろなことはさておいて、詩に魅せられてしまうのだ。この詩はいつか、解説をかくつもりだが、まだ、書けない。半月ばかりよんでいてもまだ厭きないのはどうしてだろう。きっと本人が大事にしているからだろう。


かくされた町   関 中子

緑の起伏のなかに町はかくれた
昼が夜を訪ねるように小鳥がねぐらに帰るように
町はかくれた


わたしは道をくだると背後の道は閉じた
わたしは戻ろうと思ったか いいや思わなかった


青い空が視界を飾り またかくれたが
緑であふれでる泉が町の中央でとうとうと
躍動するのを感じた


町はあちこちで休息と活動を繰り返していた
駅で街角で建物の内部で
建物も人もどちらも数が多く憶えきることは無理だった
だれにも心をこめて
通り過ぎることも握手することもできなかった
遊び相手がわたしの願いのようにあらわれてそして消えた
その安易さはわたしはどこかに連れ去ろうとしていた


見えない手が地下を千手観音のように伸びくねり緑の束を振った
地上では緑の香りに鼻孔をふくらませうっとりと町の空気が半眼を閉じた
町は母親になるだろう
歩き回る誠実な園芸師になるだろう


疲れたわたしはあまりに身近な物がわすれられないように
緑の起伏のなかに町はかくされた

投稿者 yuris : 18:19 | コメント (0)

2007年05月07日

追悼  ロストロポーヴィッチ

G線上のアリア     鈴木ユリイカ
  ——ロストロポーヴィッチの若き日の演奏をCDで聴く

黒い写真には洋梨のような顔をしたひとりの若いチェリストが
いまにも 死にそうな顔をして立っている 彼のいのちは
蝋燭の炎のようにふいにかき消えてしまいそうだったけれども
音楽家の手は神のそれのように美しくしっかりと楽器を支えている


チェロが鳴り出すと たちまち わたしの心臓はふくれあがり
血液は全身を駆けめぐった その時 わたしの中から
透きとおった五歳の女の子が脱け出し記憶の中で立ち止まった
その時 女の子の母親が「あれが東京よ」と言った


その時 引揚列車が停まり 硝子窓から何かが見えた
東京はなかった ぐにゃりと飴みたいに曲がった電柱と
恐ろしくいためつけられた大地と そのうえに降る
白いちらちらするものが見えた 子どもはまだ知らなかった
白い雪というもののしたで都市の数知れぬ建物が燃えさかり
人間が焼芋と同じに真っ黒焦げになることを知らなかった


恐らく数分間、数十分間の汽車の停止なのに女の子は憶えていた
汽車はゆっくりと走り去りもはや誰もそのことを語らなかった


知らなかった 夢の駅で汽車は幾度も停止し
あれがヒロシマよ と誰かが言った 知らなかった
はだかの人間の皮膚がだらりと垂れ下がったまま赤ん坊に乳を含ませるひとを
雪の中に黒い線路は続き吹雪は舞いG線上のアリアは続いていた
知らなかった ポーランドの田舎町では終日
人間を焼く匂いがし 知らなかった 中国の都市では
兵隊がにたにた笑いながら人間の首を切り落としていた
知らなかった ロシアの田舎町では戦車がガラガラと動き
壁から血が噴き出していた 知らなかった 知らなかった
知らなかったと言い いつまでも夢の駅でなきじゃくる五歳の
子どものまま歳とっていく わたしを知らなかった


吹雪の中で音楽は続いていた 恐怖の時代に個人が生き
耐えるとは何かを考えながら 音楽家はチェロを弾いていた
死んでいったひとひとりひとりを訪ねるかのように
死者たちに何かを話しかけていた 優しく 悲痛に
遠い流刑地にいる友に届くように 心をこめて弾いていた
それでも彼はまだ若く 時に死にそうになりながら
彼自身が死なないためにも弾いていた その時
わたしと 五歳のわたしは見つめ合いふたりで耳をすました
女の子はすでに知っていた
にんげん というものを
大地の心臓が破裂するまで近づいては遠ざかり
遠ざかっては近づき すべてをさらう戦争を       (1995、3)

投稿者 yuris : 01:11 | コメント (0)

2007年05月02日

清水茂というひとのエッセイ

 最近といってもここ数ヶ月半年ばかり注目しているえっせいがある。

 かれはイブ・ボンヌフォワというフランスの詩人の詩を翻訳している早稲田大学の教授なのだか、その文章たるや、驚くべきものがある。

  「たぶん一人の詩人であるということは、そのようなものとして世界にむかってつねに自分の感性と思念とを開いておくことだ。どのような己れの行為にもその在り様は付き纏っており、語られ、書かれるどの
一語にも、その痕跡はとどめられる。それは職業でも身分でもない。だから、大学教授のように、詩人がそうであることを免れ得る時間など存在しない。芭蕉、マラルメ、その他。

 他方、美しい手紙を書くためだけに友情の必要な人がいた。ある種のナルシシスムのために友情も必要だったのだ。おそらく恋愛も必要だつただろう。自分が詩、もしくは文学と信じているものを作り出すためには、素材としての現実がともかく必要だつたのだ。友人や恋人について彼が抱くイマージュだけが取り敢えず重要であり、対象としての生身の存在は、極言すれば、彼にとって、何ほどのものではなかった。後世に美しい手紙を残したかったのだ。

 これは私がいま考えている詩人の在り様とは正反対のものだ。というのも、真に価値をもつのは現実のものであって、私たちのエクリチュールではないからだ。真に価値をもつのはサスキアであり、ティトウスであり、ヘンドリッキェである存在そのものだ。

 私たちがその存在、その現実をどのように見て、どのように捉えるのか、この点に、詩人の、あるいはレンブラントのようなすぐれた芸術家の特性が宿る。現実のものにむかう視線のひとつの在り様、それを愛となづけることもできよう。」

  全くなんという文章なのだろう。そして、せっかちな私はサスキアって何? ティトウスは? ヘンドリッキェは? と思い、疑問があってもいつものようにほったらかしていて、現実というと、今わたしには、イラクや子どもの殺し合いのことだから、このカタカナは怪物のような物だと思っていた。

  ところが、ところがである。サスキアとはレンブラントの最初の妻であり、すぐ死ぬのだが、大変美しく
「フローラに扮したサスキア」というなんとも愛らしい絵がある。サスキアはティトウスを産んだ後、お産で死んでしまう。その後、ティトウスも死ぬのだが、ヘンドリッキェという家政婦と一緒に暮らす。
 とても深みのある落ち着いた女性で、後に描くハテシバはヘンドリッキェであろうといわれている。なんども結婚と離婚と死別に遭い、とうとうレンブラント自身がしぬのだが、最後に娘が一人残る。
 映画「レンブラント」をわたしは思い出したのだ。
そして、ティトウスも思い出した。ティトウスはローマの皇帝コンスタンチヌスの息子のことなのだが、このお父さんの皇帝はなかなかのやり手で、はじめてキリスト教をうけいれ、コンスタンチノーブルに奠都する。大変なけちで公衆トイレをつくり、お金をとって儲けたのでみんなに評判が悪かった。けれども、息子のティトウスはやさしい、大変聡明な息子であったらしい。外国にちょっとした戦争にでかけたのだが
彼はあまり戦争が得意でなく、いのちからがらローマに帰ってくると親馬鹿コンスタンチヌスは大いに
喜んでローマに美しい凱旋門をたててあげたのです。ナポレオンがこの凱旋門を気にいり、パリにこれと同じものを立てたというのです。モーツアルトには「慈悲ぶかいティトウス」というオペラがあるそうですが
私はきいたことがありません。

 というわけで、清水茂氏のいう「現実」というのはわかりましたが、私にはすこし美しすぎるとおもいましたけれど。まあ、それでも面白かったです。

  

投稿者 yuris : 14:42 | コメント (3)