« 池谷敦子「夜明けのサヨナラ」一回限り | メイン | 小島きみ子「ひそやかな星のように」いのちは星のように »

2012年05月10日

伊藤啓子「おとこの家」家というもの

おとこの家   伊藤啓子


あの家には玄関がなかった
遊びにおいでと言われても
どこから入ればいいのかわからなかった
茶色い犬はおとなしく
くったり眠っていた
お祭りの日
あの家で
ひっきりなしに動く人影を見た
どこから出入りするのだろうと思ったが
いつの間にか笑い声がさざめいていた
一度だけ
台所の出窓が開いていたことがある
バラの花びらを詰めたビンと
サボテン鉢植え
腹の足しにならぬものばかりだった
遊びにおいでと言われても
花びらを口に含み
サボテンの棘で指をくすぐるような
女のひとが出てきたとしたら
とても気が合いそうになかった


              ※
 私は十八歳のとき、東京に出てきて以来、一軒家に住んだことはなく、アパートかマンション暮らしであり、それは私の住まいということはできるけれども、私の家ではない。
 その違いはとても面白く、家を舞台とした映画やテレビのホームドラマなどに見とれたりすることもある。
 そういう私にとって、この詩は「おとことおんな」の詩というより、「家」という詩という感じがします。それと、この詩全体が何かひとりごとのようなリズムがして、そのことも私の家と関わり合いがあるような気がします。私が家について考えたり、話したりしようとすると、とこかしら、ひとりごとのような気がするからです。
 もしかしたら、家というのは現代の人々にとって、そういうものかもしれません。たとえ、その人が今一軒の家に住んでいなくても。つまり、家はそれ程、かっては濃密な存在であり、物語性をもっていたということだと思います。
 こうしたことが、この詩の余白にあるような気がします。それはたとえば<犬がくったり眠っていた>ことだったり、<台所にバラの花びらを詰めたビン>が見えるということ、これらの後に余白がひろがっているような気がします。

投稿者 yuris : 2012年05月10日 16:08

コメント

コメントしてください




保存しますか?