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2009年09月25日

「石段、橋」塚越祐佳  新しい乗物

石段、橋    塚越祐佳


石段をあがるたび
水面が膚をさすりながらさがつていく
石からわきでる
とまらない
湯気がわたしの体温をうばっていって
もう胸まであらわになっている
石段をあがるたび
頂上の神社は遠のき
羽虫のように雪
わたしの白目になりたがる

温泉街のはずれに
収集された外国製のオルゴール
囲いの外にはとどかない響き
(離陸ラインはまっすぐすぎて)
窓にはよみがえる手形に着地する
石段をあがるたび 
土はかたくかたく
山がおんなに姿をかえる
ヨーロッパに連れられ
夢見た温泉街
捨てられた旅館の向こう側
には橋があってわたりたいのに
おんなはビョーキで
鹿のようにビョーキで
でも橋はきてくれなくて
(最上階の部屋だけが茶色に明るく)

湯気が分厚くはりついていくのを
水面はうながすように
ながれて
去り
白目に雪がつもった
わたしははだか
おんなは湯気を越えられないでいる

はみだす呼吸音
鳥居のあいだに
わぎりになった太陽が
膜をはっている

臓器たちが
はじめての光りに
とまどうまえに
剥がしていれば
見えたのは
きっと
山間の橋

                    ※
 

  実はこの詩の内容はよくわからない。それにもかかわらず、私はこの詩をもう一度初めから読みたい
と思い、何度か繰り返し読んだ。

 それは、この詩がまるで古い写真と全く新しい近未来のような世界が共存しているからだ。ふつうは
あまり違った世界を読んでいくことは困難なことなのだが、この詩の場合はそれができる。

 この異なる世界はとても巧みに組み合わさって、それをばらばらに離すことはできない。たとえば第
一連目がそうした感じが強い。

 しかし、先に述べたように異なった世界を取り出すことはできない。二つの異なる世界と私は言ったけれども、それは世界でなくてもいいのだろう。

 とにかく、異なっていることが重要なのかも知れない。この異なる世界を飛翔することがとても重要なことであり、それは何かしらエクスタシーをともなうような言葉の運動なのだ。

 それで私は内容がよくわからないにもかかわらず、この詩を何度も読みたくなるのだろう。

 あらゆる詩の源にこの詩に似たような言葉の冒険があるような気がする。

投稿者 yuris : 2009年09月25日 23:48

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