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2009年06月28日

ハイデッカーが読むヘルダーリンの「イスター」浅井真男訳

Friedrich Hölderlin

Der Ister

Jetzt komme, Feuer!
Begierig sind wir,
Zu schauen den Tag,
Und wenn die Prüfung
Ist durch die Knie gegangen,
Mag einer spüren das Waldgeschrei.
Wir singen aber vom Indus her
Fernangekommen und
Vom Alpheus, lange haben
Das Schickliche wir gesucht,
Nicht ohne Schwingen mag
Zum Nächsten einer greifen
Geradezu
Und kommen auf die andere Seite.
Hier aber wollen wir bauen.
Denn Ströme machen urbar
Das Land. Wenn nämlich Kräuter wachsen
Und an denselben gehn
Im Sommer zu trinken die Tiere,
So gehn auch Menschen daran.

Man nennet aber diesen den Ister.
Schön wohnt er. Es brennet der Säulen Laub,
Und reget sich. Wild stehn
Sie aufgerichtet, untereinander; darob
Ein zweites Maß, springt vor
Von Felsen das Dach. So wundert
Mich nicht, daß er
Den Herkules zu Gaste geladen,
Fernglänzend, am Olympos drunten,
Da der, sich Schatten zu suchen
Vom heißen Isthmos kam,
Denn voll des Mutes waren
Daselbst sie, es bedarf aber, der Geister wegen,
Der Kühlung auch. Darum zog jener lieber
An die Wasserquellen hieher und gelben Ufer,
Hoch duftend oben, und schwarz
Vom Fichtenwald, wo in den Tiefen
Ein Jäger gern lustwandelt
Mittags, und Wachstum hörbar ist
An harzigen Bäumen des Isters,

Der scheinet aber fast
Rückwärts zu gehen und
Ich mein, er müsse kommen
Von Osten.
Vieles wäre
Zu sagen davon. Und warum hängt er
An den Bergen grad? Der andre,
Der Rhein, ist seitwärts
Hinweggegangen. Umsonst nicht gehn
Im Trocknen die Ströme. Aber wie? Ein Zeichen braucht es,
Nichts anderes, schlecht und recht, damit es Sonn
Und Mond trag im Gemüt, untrennbar,
Und fortgeh, Tag und Nacht auch, und
Die Himmlischen warm sich fühlen aneinander.
Darum sind jene auch
Die Freude des Höchsten. Denn wie käm er
Herunter? Und wie Hertha grün,
Sind sie die Kinder des Himmels. Aber allzugeduldig
Scheint der mir, nicht
Freier, und fast zu spotten. Nämlich wenn

Angehen soll der Tag
In der Jugend, wo er zu wachsen
Anfängt, es treibet ein anderer da
Hoch schon die Pracht, und Füllen gleich
In den Zaum knirscht er, und weithin hören
Das Treiben die Lüfte,
Ist der zufrieden;
Es brauchet aber Stiche der Fels
Und Furchen die Erd,
Unwirtbar wär es, ohne Weile;
Was aber jener tuet, der Strom,
weiß niemand.

イスター  フリードリッヒ・ヘルダーリン 浅井真男訳

いまこそ来たれ、火よ!
われらこがれる思いで
日を見るのを待っている、
まことに、試練が
ひざまづく者にとって過ぎれば、
彼は森の叫びに気づくであろう。
けれどもわれらは、インダス河から、
アルプェイオスを通ってはるばると
やって来たものを歌う。長いあいだ
われらはふさわしいものを探し求めたのだ、
いささかの飛躍をもって
身近なものにまっすぐに
手をのばし、反対がわにおもむく者もあろう。
しかしわれらはここで土をたがやそう。
あまたの川が土地を耕地に
してくれるからだ。なぜなら、雑草がはびこり、
夏に水を飲もうとして、けものが
川のほとりにゆくならば、
人間もまた仕事をはじめるのだから。

だがこの川をひとはイスターと呼ぶ。
この川はうるわしく土地になじんでいる。円柱をなす樹々の葉は熟し、
ざわめいている。樹々は野生のままに
入り乱れて立っている。その上には
樹々とはちがう高度を保って、岩々の
屋根がそびえている。これを見れば、
この川がヘラクレスを客として
迎えたことも、わたしを驚かさない。
遠くまで輝きをとどかせて、この川は
彼が炎暑のイストモスから影を求めて来たときに、
あの南方のオリュンポス山のほとりで、彼をさそったのだ。
なぜならば、そこでもひとびとは活気に満ちていたのだが、
死者たちの霊のためにはやはり
冷気が必要だったのだ。だからこそ彼は好んで
ここの泉と黄色い岸辺まで足をのばしたのだ。
ここでは高いところでは強い香りがただよい、
猟人が好んでさすらう谷間は
真昼にも唐檜の森におおわれて暗く、
イスターの樹脂の多い樹々からは
その成長の音が聞き取れるのだ。

ところがイスターは引っ返してゆくように見え、
わたしには、この川が
東方から来たとしてか思えない。
これについては
あまたのことが言えるだろう。そしてこの川は、なぜ
山々にまといついているのだろう、もうひとつの川、
ラインはわきによけて
流れ去っていったのに。あまたの川が
乾燥地帯を流れるのもあだではない。だが、どうしてか?太陽と月とを、
また日と夜とを、心情のなかに
分かちがたく保持して、運び、
天上的なものたちが温くたがいを感じあうための
しるしこそは、ぜひとも必要だからなのだ。
だからこそ、あのあまたの川はまた
最高者の喜びなのだ。 どうして最高者は
地上におりてこられよう?そしてヘルタが緑であるように、
川はみな天空の子らなのだ。だがイスターはわたしには
あまりに忍耐づよく、
殆ど見る者をあざけるほどに、自由でないように見える。すなわち、

日は、生長しはじめる
青春のときに昇らなくてはならず、
もうひとつの川は青春のおりに
早くも高々と壮麗な活動を示し、若駒にひとしく、
埒のなかで荒れ狂い、遙か遠くの風も
その狂乱を聞くのに、
イスターは満足しているのだ。
けれども岩には通路が
大地には鋤溝が必要なので、
もし停滞がなかったら、川は荒廖たるものになるだろう。
だが、あの川のなすことは、
だれも知らない。


イスターはドナウ川のこと。
ヘラクレスは極北人ヒュペルポレオイの国、もしくは西のはての国スペロスへ行ったともされるが、いずれの国も生の彼岸という意味を持っている。
イストモスはコリント地域のこと。
イスターはSalzburgあたりから、10の国を通過して、黒海に入る。
ラインは反対の大西洋に出る。
一時ヘルダーリンはすたれたが、最近またフランスで興味を持たれている。

2002 - 2008 © Ister.ORG


投稿者 yuris : 2009年06月28日 15:06

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