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2008年04月02日

「てのひら」伊藤悠子  二つの視線

てのひら   伊藤悠子


四階の窓辺から

誰もいないバス停を見つめている

まっすぐ落ちていく蝙蝠のように見つめている

バス停も

草も

あれほど遊んだ草たちも

もはや昇っていくように

わたしより上だ

わたしが落ちていくので

なにもかも上になって遠ざかる

懸命に思い出す

てのひらだけを

きっとよいものだから、死は一番最後にとって置きなさいと

幼子をあやすように言った人の

てのひらを

誰もいないバス停に見つめている


 


 わずか16行の作品で、決して長いのではないのだけれども、私は久しぶりにスケールの大きな世界
をこの詩に感じました。

しかも、同じく胸がきゅんとなるようなリアリティも感じました。

 この詩には、恐らく、二つの視線があります。その一つは<四階の窓辺から 誰もいないバス停を見つめている>ともう一つは<てのひらを 誰もいないバス停に見つめている>のこの二つから生まれています。

 そして、この二つの視線は大変精妙に、というか「奇蹟」のように融け合っています。

 この融合をどう感じるかによって、最後の二行は<てのひらを 誰もいないバス停に見つめている>大変ちがったものになるのではないかと思います。

 大きなスケール、大きな深さを私はこの詩に感じます。

 ここまで、書いて、私はリルケの「秋」という詩を思い出しました。


「けれども ただひとり この落下を

限りなくやさしく その両手に支えている者がある」 富士川英雄訳

 

投稿者 yuris : 2008年04月02日 22:05

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