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2007年09月24日

「空白公園」野木京子(訂正)こんなふうに

「空白公園」−−パーク・エンプティ 野木京子


風が薄く巻いていた
空白の公園の中を 音もなく走った
ペンチには老人が座っていた
老人には名前がある 多分
ある日 名前を問うてみたら
バーク・エンプティと答えたろう


(なくならなくてもよいはずだったものたちが
                   今でもひぃひぃ聲をあげる)

ミスタ・エンブティは日がな一日座っていた
彼は動くことが嫌い
動くとぴちゃぴちゃ音がする
水面が恐ろしい
水の表はただの薄いフィルムなのに
無限大に近い闇がその下に広がって 遠くまで流れていく
「誰にだって、悲しみがあるだろう?
 それが水の音をたてている」


ミスタ・エンプティは声を出して言っただろうか
水面がぴちゃぴちゃ波立つたびに 彼から声が消え
言葉も消え
一日が砂の粒子になる
とりもどすことができないもの
水の下に沈んでいったもの
喪われるために生まれてきたもの
それらの影は 今でも時折 地表に落ちて
斜めに彼の頬を 黒く刺すのだろうか
だけどミスタ・エンプティ
失われたものたちが ぐるりを囲んで
お行儀良く 膝をかかえて 並んでいる
思い出したくないのに決して忘れることができない
そんなできごとが起こった日や
今でも苦いものが喉元をこみあげてくる日
ミスタ・エンプティ
そういう一日というのは
幾度も思い返すためにある
ミスタ・エンプテティ
悲しみをかかえてつらいというなら
いっそそれらを愛してしまえばいいのに
波立つ薄い葉のどれかに 潜りこんだり出てきたり
波を立たせたらいい
そうしたら 喪われたものたちが一緒にいることの暖かみが
乾いた肌に揺れるだろう
それが愛するということで
そうしたら暖かくなる
誰もいない公園でも


 

 


 空白公園ーーパーク・エンブティ
 
 えーと、これがこの詩のタイトルですね。
 
 空白公園ーーパーク・エンプティ、なんとなくわかる。

 次に<風が薄く巻いていた>と書いてありますが、でも、<風が薄く巻いていた>というのは、どういうことかしら、とちらりと考えたりします。

 はっきりわからないまま、なんとなく不確かな感じを持ちながら、それでも次の
<空白の公園の中を 音もなく走った>と読んでいきます。

 この詩に限らず、どの詩を読むときも、はっきりとした確かなイメージなど実はないのだろうけれど、この詩の場合はことさら不確かな感じがします。

 でも、先へ読んでいきたくなる(多分「空白公園」が気になっているのだろう)。

 老人の名前はパーク・エンプティというのだから、老人と空白公園は同じことなのか、と考え、また立ち止まる。

 この作品はどうも立ち止まりながらしか、読めない、味わえない詩のような感じがする。そう考えて読んでいく。そうすると、底なしの砂地の中を歩いて行くようでなんとも気味が悪い。

 それなのに、誰かがとても冷静にその様子を書いているようで、これには全く
びっくりしてしまう。

 それでもやはり、私はミスタ・エンプティとどこかしら似ている気がする。

 そして、最後に
<ミスタ・エンプティ 悲しみをかかえてつらいというのなら いっそそれらを愛してしまえばいいのに>

 といわれると「まいった」とも思うし、大爆笑したくなる。
 

 

 

 
 
 

投稿者 yuris : 2007年09月24日 23:55

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