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2007年12月12日

民芸「坐漁荘のひとびと」

昨日の新聞にこの劇評が出てしまったので書きにくくなりましたが、ここに書かれていないことを少し書いていくことにします。

小幡欣治:作、丹野郁弓:演出のこの新作に対してはほぼ好意的な新聞評で「陸軍将校による二・二六事件を背景にした、女たちの外伝劇の趣がある」というのはなるほどと思った。西園寺公望(大滝秀治)の静岡の風光明媚な興津にある別邸(今は明治村に保存)を舞台にして、表舞台である政界の最期の元老と言われる西園寺と、その私生活の場に奉公する女たちを描くことで、その背後にある時代や社会情勢と同時にそれに翻弄される庶民の姿が描かれるからである。

昔、その屋敷に奉公していた元新橋芸者つる(奈良岡朋子)が、再び女中頭として奉公を要請されたことから話は始まる。小幡さんは昨年の同じ季節、ここで公演された「喜劇の殿さん」(古川ロッパを描いた物)でダブル受賞されたそうだが、最近は民芸での作品を多く書かれるようになった。東宝という商業演劇の大きな舞台で活躍していた氏が、新劇という地味で真面目な世界に帰ってきたことは、民芸にある種の面白さ、楽しさを引き入れた感じで、年末の三越劇場での公演に多いのも納得できる。今回も役者はそのほか樫山文枝、水原英子、鈴木智、伊藤孝雄ら多くの中堅が脇を固め、総勢20数名の華やかさだった。

時代は日本が戦争のへの道へ踏み込んでいく過程で、クライマックスは2・26の日、この別邸(西園寺は軍部の横暴に批判的だった)にも襲撃部隊がやってくるという報が届く所だろう。万一であってもその時はここで討ち死にする覚悟と言う西園寺に対して、犠牲になる女中たちのことを考えてくれと、つるは直言し、それを聞き入れ避難のために他所に移る。
その後屋敷では、最初は西園寺の替え玉などをこしらえたりはするものの、つるは最期は無血開城の手段を取ることに決める。すなわち随所にこのように男の硬直した正義と論理、戦いに走る男の姿を突き崩す女の眼を感じさせる。

小幡さんは戦争体験世代である。そして描く物は多く庶民である。英雄豪傑は書かない。それなのになぜこれを書いたかというと、そこで暮らす女中さんたちはどういう生活をしていたか、そして西園寺さんがどういう生活を、また交流をしていたかを知りたかったのだという。
最後の場面は、2・26の処分も終わり、戦争への暗雲が立ち込め始めた頃である。西園寺は高齢の身を押して、元老として最期の忠告(戦争をしてはいけないという)を直接天皇に申し上げようとしてステッキを手に、つるに支えられながら踏み出す。
新聞評では「最期の幕がうまく切り落とされていない」とあったが、ちょっと戯画化された終わり方(幕寸前)は面白かったと、私は思う。

演出の丹野さんは、この男の世界と女の世界とが絡み合っていない気がしてそこをどうするか、悩んだという。その結果、男と女の世界は、当然一本の糸にはならないこと気づいたという。それぞれが、あらゆる立場でそれぞれの戦いをしているのだ・・・と。
それで舞台装置では西園寺や執事、警備主任らの物語の場面が繰り広げられる応接間と、台所が舞台の正面の左右に並べられ、交互に展開していく形(片方に照明が当たっていても一方も動きがある)にしたそうだ。そうすることで、政治の世界がある一方で、つねに生活者の世界が一方にあるということを表現しようと思ったそうである。

舞台が跳ね、外に出るともう真っ暗だった。東京駅への人気も少ない道を、ビル街の芝生の星やトナカイ、街路樹などのキラキラした電飾を眺めながら帰途についた。これも私の最近の年末の一風景となったようだ。

投稿者 kinu : 2007年12月12日 14:32

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