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2010年05月20日

台峯歩き そのニ

ミツバチが大量失踪した、または死んでしまった、などの話が少し前から取上げられていた。アメリカの大規模果樹園は、受粉にミツバチなしでは成り立たない。大被害だそうである。失踪またその死の理由は西洋ミツバチを、人工的な交配によって人間に都合の良い、効率の良いミツバチに作り上げた結果ではないかと推測されている。その証拠に、自然のままで育てた蜂養家の所ではその被害がなかったという。今朝、そのBS番組を見ながら、(前にも見たことがあり、それをアレンジしたもののようだ)今大変なことになっている口蹄疫の蔓延を思う。

実は今回、喜ばしい事があった。谷戸の洞に棲んでいたニホンミツバチが2年ほど姿が見えなくなっていたのだが、それが帰ってきたのである。Kさんの報告で、私たちは道すがらそれを確かめた。西洋ミツバチの半分くらいしかなく、色も黒っぽい。確かに洞に出入りする蜂を側まで近づき、通り道を邪魔しないようにして眺めた。ほんとに良かった、お帰りなさいという感じである。

その前に、第一の田んぼの様子を書こうと思っていた。今はまだ田植え前であるが、ここに沢山の生き物の姿が眺められたからである。先ずシュレーゲル蛙が盛んに鳴いていた〈私の家からでも近所の家の池に棲む蛙の声が特に夜聞こえてくるけれど)。田んぼにはタガラシやクレソンが繁り、その上をトンボとアゲハチョウが舞っている。ときどき水を飲むために泥の上に止まったりしながら。ムクドリが泥をつついて餌を探しているムクドリ、またハクセキレイ。
いま田植えをする為のいろいろな準備の時期で、それが大変だそうである。先ず①泥上げ。次に②クロキリ。③クロスケ(スキ?)。クロは田畑の畦のことで、最初に畦を壊してそれを作り変え、それを塗り替え固めなければいけないといい、それをこのようなところでは手作業なのだそうだ。この田んぼは一段ぐらい(300坪)だそうで、これで米が4~5俵ぐらいとれる。一人年1俵として一家が自分の家の主食だけが賄えるくらいの収穫だという。
この田んぼがほとんど昔ながらの手作業に近いやり方で耕されているからこそ、沢山の生き物が生息できるという事が、四季を通じて訪れことで目の当りに感じられる。しかしこの文化遺産のようなこの田んぼがいつまで残っていられるだろう。

ぎりぎりまで宅地化してしまった第二の田んぼも、何とか健在であった。ここには珍しくなったシオヤトンボがいる。シオカラトンボと似ているが少し違っている。この姿をKさんがいつも担いでいる素晴らしく性能のいい望遠鏡で眺めさせてもらった。
さてここで、事件が起こった。この辺をうろついているノラではなく首輪が付いているので飼い猫が、蛇を見つけたらしく襲ったのである。草が刈られていてむき出しになったところを横切っていた蛇。この猫は大きく太ったキジ(毛並みを私はこう言う)猫で、どうも仕留めたようであった。
あーあー、とKさんが声を上げた。実は蛇もこの辺りからは減っているという。そういえば、わが家の近くでも春になると見かけた蛇がいなくなった。
燕の巣を襲ったりした時は、蛇は敵役だけど、やはり以前からの住民である。人家が増え、猫も増えてきたので、蛇も減ってきたのである。
「やっと生まれ出たばかりだったかも知れないのに、可哀そうなことをした。猫にやられて」とKさんは蛇を悼む。

ところでいつもの見晴台である老人の畑からは新緑に波打つ丘陵の中に白っぽい黄色の部分が見えるが、それは椎(スダジイ)の花と若葉である。この花は強烈な匂いを放つ。それもまたKさんの望遠鏡で眺めさせてもらった。

さてもう一つ面白い報告。皆と別れての帰る道すがら、家の近くの坂道を上っていると目の前にばさりと落ちてきたものがあり飛びのいた。それは石垣から落ちてきた青大将で、眼前の道路をうねりながら横切っていった。踏まなくて良かったけれど、胸の動機がちょっと納まらなかった。やはり蛇は気持の良いものではない。しかしさっき話を聞いた後だけに、蛇よ、元気で生き抜きなさいと見送る気持もまた生じたのである。

投稿者 kinu : 2010年05月20日 10:49

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