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2009年10月22日

冷泉家の歴史と文化(つづき)

冷泉家とは一体何なのだろうか。実は私はよく分かっていなかったのである。藤原俊成、定家から延々800年続いてきた「和歌の家」と言う程度の知識である。それゆえに和歌の勅撰集をはじめとする和歌集だけでなく「明月記」や「源氏物語」などの写本まで、重要文化財が8つの倉にどっさり納められていて、それをずっと守り続けてきた家系だというぐらいの判りかたであった。
冷泉という姓も、天皇の場合のように(朱雀帝、桐壺院など)その家の在り場所で呼ばれる例で、3兄弟の二条家、京極家に対して、末っ子の藤原為相邸は冷泉にあり、彼から一族は始まるからである。だから本当の姓は藤原であったが、近年になって藤原では同姓が多すぎるので、区別するために冷泉を名乗るようになったのだという。
さて冷泉家というのは何か。言って見れば、和歌の「家元」という事である。日本の文芸・芸能の多くは家元制をとることが多い。お茶やお花から、能や歌舞伎やその他、一子相伝の家元によってその芸は受け継がれてきている。そんな家元である。

現代詩はそういう日本の和歌的抒情から先ず抜けだそうとしるところから始まった。もちろん短歌や俳句を書いていた人が詩を書き始めたり、また反対に詩人が短歌や俳句を取り入れたりすることがあったりするが、初期はむしろそれらに傾こうとする事を潔しとしなかったのではないだろうか。今でもpoemとして根っこは同じであっても決して
それらに手を染めない人もいるし、私もちょっとだけ短歌や俳句を作ってみたりしたが、それぞれにおくが深いわけであるし、そちらには行かなかった。
現代詩はそういう伝統から見ると異端児的である。しかし冷泉貴実子さんの言うように七五調というリズムは、遺伝子の記憶として自分の中にある。もちろん伝統が全て良しというわけではなく、たとえば花柳幻舟さんのようにと例を挙げ、家元批判の気持も分かるけれど自分たちはただ祖先の遺産を守り続けてきたと話された。
芭蕉のいう不易流行なのだろうが、現代詩に関わってきたものとしては、その伝統の素晴らしさ、力に感嘆しつつもちょっと複雑な気持にもなるのだった。
これら家宝の数々については、新聞にも宣伝され、東京都美術館で展覧される事になっているからここには書かないが、面白いと思ったことを少し。

大体において、日本では祭政一致は平安朝以降は無くなり、実権は武士が握り、また明治以降は、政治の中心まで東京に移り、貴族は公家ということになったが、政治に携わることをしなくなった彼らは一体何をしていたかということである。
一体何をしていたのか?
それは年中行事を行っていたのだという。すなわち新春のための準備(掃除、餅つき、飾りつけ)からお正月の行事、その後節分、お花見、端午の節句や七夕、お月見などなど四季折々の行事を、昔行われていた通りに今も踏襲しているのである。明治以後、東京に逝ってしまう公家たちも多い中で、冷泉家だけは昔のままの750坪の古い屋敷に昔のままの年中行事を延々と800年間続けてきたのだという。まさにここには「源氏物語」の世界がそのまま残っているのである。
「源氏」を読んでいると、ここには政治のことは出ていないので、貴族たちはいわゆる年中行事を行いながら管弦の遊び、詩歌の作成や朗誦に明け暮れている場面ばかりであるが、まさにその世界を今日まで守り、引き続いているという事を知って驚嘆した。
それが一体何の役に立つか、また何故そうするのか、分からないが、しかしそれが文化というものではないだろうか。それが大切な事だと先祖から言われているので、それをただ自分たちはやっているだけだとも。
しかし8百年間、当代で25代にわたる期間守り続ける事はやはり大変だったようだ。日本本土の爆撃にも、京都であったことから免れたが、その後の経済バブル期を切り抜けることは大変だったようで、そして今日は相続税の問題など、やっと新聞による発掘で学術調査が入り財団法人になったことで、これらが守られたのである。
そういえば、今の天皇家の仕事も公務のほかに、宮中のさまざまな行事も大切な仕事のようで、冷泉家と同じようなものだなと、思い至ったのであった。

もう一つ、この冷泉家の存続に大きな役割をしたのが、あの「十六夜日記」を書いた阿仏尼であるということを知った。はじめに書いたように3兄弟の末っ子の為相が一代目になるが、その母親がその阿仏尼。彼女は女でありながら息子の相続問題で訴訟を起こしはるばる鎌倉幕府に訴えにきた、しっかりした文学的な才もある人で、それが認められて家の復興が遂げられたのである。上の二人は、父親からは目にかけられていたのにもかかわらず、政争に巻き込まれて家は断絶。まさに祖父に当たる定家の有名な言葉「紅旗征戎わがことにあらず」が、この家を守ったのである。
これは「源氏物語」が世界に誇れる文学作品であるように、倉の宝物と同時に、家という生きた文化財もやはり世界に誇るものであろう。ただその家に生まれた人は宿命だとはいえやはり大変だろうなあと思った。

投稿者 kinu : 2009年10月22日 15:10

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