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2011年09月03日

「洞門山緑地」その後(報告)。

台風12号の直撃はそれましたが、四国などでまたもや災害。気持ちの落ち着かない日々が続きます。本当にこの国はなんと災害の多い国でしょう! 特に今は、そういう時期にあたっているのでしょうか?

さて「洞門山」の事を覚えていらっしゃいますか?
2008年のちょうど今頃から、盛んにブログに書きました。JR横須賀線が北鎌倉駅に滑り込む頃の左手の線路沿いの緑地、裏の道に通じるトンネルの赤い石門からそう名付けられているここに、開発の手が伸びてきたので住民の反対運動がおこり、「台峯」歩きに参加している私もそれに加わって、署名やら業者による説明会への出席などもしたのですが、その経過をここにも集中的に書いたことがあります。
鎌倉に入る玄関口のような緑地、それへの保存を願う署名には近辺の人たちだけでない広がりを見せ、私も読書会の方たちだけでなくこのブログを読んでくださった方からも協力していただいたりしました。

その後いろいろ経過がありましたが、やっと保全する形で守られることが決まったようです。
それは新聞に報じられ(地方版やタウンニュース紙)ましたが、本当に大丈夫なのかを台峯歩きの時に確かめてからと思っていましたが、先月は雨で歩きませんでしたので延び延びになっていました。実際どのような形で保存されるのか、これまですでに崩されたところもあるので、どうなっているのかわかりませんが、実際の様子は又にして、報告することにします。
なぜ今書くことにしたのかというのは、実は台峯歩きの理事の方から電話があって、台峯に続く「都市緑地候補地」と言われるところがまた、急に大きく伐採されて、そのあたりが開発されそうだとのこと、それで急きょ署名を集めてほしいということ、それで昨日今日と近隣のお宅を回って、少しばかり書いてもらったからです。
ここだけではありません、そういうことがあちこちにあり、もちろん私有地なので強制力はなく、個人の事情もあり、古い姿を守るなど自体難しいことですが、「遺産」に登録してもらいたいという足元にはこういう問題が山積していることも事実です。

洞門山が保存されることになりそうなその理由は、業者が心を入れかえたというよりも、その地に至る経路、狭くて本数も多い踏切と交通量が多い幹線道路と同時に通学路でもある狭い路地を使っての土砂や重機の搬入や運搬が大変だということにやっと納得したというのが実情のようです。

ではここでは洞門山のその後のご報告とご協力のお礼まで。

投稿者 kinu : 2011年09月03日 13:55

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