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2011年03月27日

地震、大津波と原発事故その後について

前回急ごしらえの浅い知識ながらこの原発事故の怖さを、そうならないことを願いつつ書きましたが、そのシナリオ通り進み、いやすでにスリーマイルを上回り、チェルノブイリに近づいていくということにもなりかけていて、言葉が出ません。
地震と大津波の惨状も、日が経って状況が分かるにつれ、その凄まじさが露わになり、まさに目を覆いたくなります。その中にあっても奮い立って頑張ろうとしている人々の姿、救援の手をいち早く差し伸べる人々など、いざとなった時の人間の底力に心打たれています。そうせざるを得ないのでしょうし、カメラに向かって意気阻喪した姿は見せられないでしょうが、視ている私のほうが、今萎れてしまいそうな日々です。
今、この大震災、また特に原発事故について世界もあらゆる意味で注目しているようですが、今度の事故で、私は初めて「爆」と「曝」の違いを知りました。被曝とは、爆弾を受けるのではなく、放射能を浴びることなのですね。この辺りももう放射能が飛んでいるとお言われてます。なるべく外を歩かないようにと。水もだんだん危なくなるということ。これなどはまだまだ大したことありませんが、20キロ圏内の指示、30キロ圏内の避難要請。故郷を捨てざるを得ない人々の気持ちを考えると、胸が痛みます。
今日本はまさに、世界にその姿を曝(さらす)、曝してもいるのだな・・・とも思います。ただただ原発が一刻も早く鎮静することを願い、また被災地の復興が一日でも早いことを願っています。ほとんど役に立たないかもしれないけれど、私なりのささやかな心や義捐金を届けることぐらいしかできませんけど。
震災後の行事や集まり、約束などはすべて取りやめになっていたが、だんだん世の中も平常を取戻してたので、今日はこれから初めて電車を使っての外出です。

これから先は、帰宅してから追記したものです。
行く先は、横浜みなとみらいにある神奈川大学エクステンションセンターの、市民に開かれた講座、「『遠野物語』と現代」(講師:安藤礼二)でした。『遠野物語』が世に出て100年ということから、遠野の現地をはじめいろいろなところでもシンポジュームや催し物が企画されましたが、これもその一つです。水野さんや福井さんに誘われてですが、毎回とても刺激的で高度な内容の講座です。遠野も今度の大震災の被害地の一つですね。
3回連続講座でしたが、最終回の前に地震が起こり延期になり(このことも劇的でありました)、2週間遅れて今日になったのです。この物語の持つ意義を、日本の古典から始まり現代までの文学、歴史や民俗学にまでわたって論じてきて、最後は現代に及ぶところで中断していたのです。
この物語が、いかに現代の、まさにこの大災難に直面した日本、そして日本人に示唆を与えるものであるか、この今を予感したようなこの最終講座であったことを知り、しかも現代と結びつく内容であったということでちょっと興奮しました。
その一端でもここに書こうと思いましたが、難しいです。

節電のため駅はホームなど肝心な場所以外は消灯していて全体が薄暗い。コンビニもスーパーも閉店かと思えるほど薄暗く、売り場だけを照明が当てられているが、どことなく薄寒い。品物も平時とそれほど変わっていないように思えるが、肝心なもの、売り切れと言われているような品目の棚はがらんとしている。みなとみらいもエスカレーターや歩く歩道は停止しているので、皆ぞろぞろと歩いています。日曜なので停電がないので、買い物などにみな出ているのです。従業員たちの応対は丁寧で落ち着いており、客も通行人も、皆平静で目的に従って行動しているという感じで、この異常な事態を平静に受け止め、淡々と行動しているように見えます。苛立った声も、喧嘩も言い争いも見かけませんでした。黙々とした感じで雑踏が動いています。
よく政治家が使う常套句、「粛々と」がありますが、今日電車に乗り街を歩いた私の印象から言えば、民衆は今のところ粛々とこの事態に対応しているように見えました。
私は花粉症になったか、風邪かという感じで鼻がむずむずして気分もよくありませんが、『遠野』講座を聞き、大変大きく深い内容で私が理解できたかどうか危ぶまれますが、何やら勇気をもらい、帰ってきました。「人はどこからきて どこへ行くのか」というのがありますが、「日本人はどこからきて どこへ行くのか」の示唆のあるこの書を持つ私たち日本人は、誇りを持っていいような気がしました。みなさん、それぞれの立場で元気に生き抜き、これからいい世の中になるように努力しましょう。
今日は計画停電がなかったのでのんびりしていましたが、明日からまた始まります。直前になければ分からないので、この点スーパーなども開店するかしないかで困っているようです。ここも予定通りだと夕方から夜の時間帯になり、一番嫌な時間帯です。電気の有難さが分かりますけど。

投稿者 kinu : 09:21 | コメント (0)

2011年03月24日

地震および原発事故

最近このブログへの投稿がほとんど見られないのは、未曾有の地震とそれによる被害の大きさ凄まじさに言葉もなくただ愕然、呆然、惨状の酷さ傷ましさにただ胸をいっぱいにするしかないからではないだろうか。私もそうであった。
またそれを身に受けた東北の被災者の人々の冷静沈着な、また勇気ある態度、その後運命を敢然と受け止め、過酷な中からでもなお立ち上がり、互いに助け合おうとするけなげで優しい心情、それらを支える厳しい風土によって培われた力強さや忍耐強さ、そういう姿に打たれながらもただ映像を眺めているしかないもどかしさを感じるばかりだった。

さらなる追い討ちが原発事故である。
津波はたとえ想定外の巨大さであったとしても天災である。しかし原発事故は正に人災なのだ。
原子爆弾を落とされた日本人の多くはこの建設に反対であったろう。私もそうである。それを自分の町や村に諸手をあげて建設したいなどという人は極めてまれなはず。しかし原発は絶対大丈夫だ、安全だという国の言葉を地元の人たちは信じてそれを作らせたのである。この結果がこれである。そしてそれによる電力の恩恵を私も受けている。
私自身を考えても最初は原発建設に反対だった。しかし特に反対運動をしたわけでもなく、旗も振らずデモにも参加してこなかった。次第になし崩しに原発は次々に建設されていった。あちこちから小さな事故や放射能漏れなどの情報が流れてきてはいたが、ただ黙っていただけである。
ところが、この事故が発生してからの政府の発表、会見が、何やら表面的ではっきりしない。何か隠していることがあるに違いない、実態はどうなのだ、とう気持ちが高まってきた。本当のことを知りたい、本当はどうなっているんだ、という気持ちに駆られ、遅ればせながら19日に週刊誌を買い集め、その記事を読み学習した。もちろんそこには誤報や偏りがあり、真偽のほども分からないオーバーなものもあるだろう。しかしガイガー計数機を持って潜り込んで取材した記事もあれば正しいかどうかは別にして学者、専門家の意見、これまでの資料も載っているので、その中から、パニックにならないようにと慎重な政府の公式発表より真実がつかめるのではないかと思ったからである。ツイッターでもいろいろな意見が飛び交っているという人もいたが、それはいま見たくなく、原子力資料室というのに確かな情報ありというのも知らせでそれも見ましたが、ここでは今どういう状態なのかということを端的に知りたいので、主としてその時発売の週刊誌によったものです。
それによるとその時すでに大変深刻な状態だということが当事者には、また外国でも分かっていたようです。やはり知らされないのは自国民なのだな… 。もちろん買占めや風評被害に見られるような事態を避けるためにも悲観論より、あくまでも楽観論で、その時が来るまで手綱を引き締めていなければならないのでしょうが。
チェルノブイリまでには至らないだろうけれど、スリーマイル島よりもひどくなりそうで、チェルノブイリにいかにして近づかないようにするかにかかっているようなのでした。そこで分かったことの肝心なことは、必死に水を注入して高温になるのを防いでいるけれどこれはあくまでも対症法で、外部から引き入れた電気が通じて電源が入り、これによって各号機のモータが作動、冷却水が循環するようになってやっと収束に向かうということでした。これはもう映像でも説明され誰も知っていることですが、通電しても冷却水が循環するようになるまでが大変だということ、いまそれに少しずつ近づいているようですが、早くそうなることを、ただただ祈るしかありません。
そしてそのわが身を挺して必死の努力をさせられるのは常に現場の人々、自衛隊員や消防士たち、その働きに頭が下がりますが、こういう事態にいたった大本はいったいどこにあるのだろうという思いになります。
私のうちのお向かいさんの次男は市の消防士だそうですが、今福島の現地に派遣されているそうです。被災地ですからもちろん手弁当、食糧・燃料をすべて積み込んだ車で、現地ではテント生活、あちらは雪も降る寒さで、大変らしいです。このように全国から派遣され協力もして懸命の放水努力などしているのですから、何とか冷却水循環が作動できるようになるよう、これも祈るしかありません。
いま、原発事故に関する政府の公式発表などテレビで見たくも聞きたくもない気持ちです。
とうとう浄水場が汚染されるまでになりました。
「乳幼児のミルクはこれを使わないように」と言われて、ボトルが店には売り切れであればいったいどうしたらいいのでしょう。急きょ都がボトルを配布するですって!
また「大人も使わないほうがいいけれど」「手に入らなければ、使ってもいいです」って?当たり前です。水を飲まなければ死んでしまいます。汚染されたものでも飲まざるを得ないではないですか!
「でもこの数値はこれを継続的に一年間飲み続ければ危険だというもので、一時的に飲むなら大丈夫」「この数値はレントゲンを一回とった時と同じ数値でしかありません」「航空機でニューヨークに往復してきたのと同じくらいです」とかいかにも科学的なことで当座を安心させようとしている手口に憤りを覚えます。そんなことではなくもっと根本的な事柄、これからどんな事態になっていくのか、その場合はどうしようと考えているのか、また我々はどういう覚悟が必要なのか、それを政府はどういう風に考えているのか、国民に向かって真剣に、真実を語り、対策を話してほしいのではないでしょうか。
でもそういう政府を作ったのは私たちであり、また原発を作らせ享受してきたのも私たち、その一員である私であるわけですから、自らの胸にも問いかけねばならぬことでしょう。

それはそうと、原発の寿命は何年だと思いますか? 30年だそうです。
「従来、原発の寿命は30年とされていましたが、福島第一は今年でちょうど40年になります。原発を40年以上も運転し続けた例は世界的に少ない。予想できないトラブルが起こる可能性が高まる。30年で廃炉すべきです」と語っているのは、NPO法人「原子力資料情報室」の西尾漠共同代表の言葉です。
またこれは資料を見て私が数えた全国各地にある(たいていは海岸)原子力発電所の原子炉の数は54基、今建設中が4基でした。でもこれは私が数えたのですから誤差があると思います。福島は6基ですね。
もうそろそろ終えることにします。
今日も計画停電があるはずでしたが、中止になりほっとしています。もしそれが実施されていたら、ちょうどこの時間が始まりのころなので慌てたところでした。昨日は夕方6時20分からと準備したのに行われず、中止かなと思っていたら突然7時に消灯。このようにこの辺は計画停電に振り回されていますが、津波と原発の二重苦に振り回されても黙って耐えている人たちを見ると、どんなに憤懣やるかたないだろうと思わないではいられません。この原発に寄りかかっている今の文明生活について、これからはじっくり考えていかねばならない時なのでしょう。
テレビに天皇陛下の姿が現れた時、なにか不思議な感覚が生じました。これは誰のすすめでもなく陛下ご自身の気持ちからだということが報じられていましたが、なぜか終戦時の放送が浮かびました。あらあらまた同じ光景?! 不謹慎かもしれませんけど。

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投稿者 kinu : 11:03 | コメント (0)